2-22小隊長ツェツィーリアの会談②

 ぬるい空気の夜だった。

 首都内にあるこの駐屯地は、政治的にも重要な部隊が多く居を構えていることもあって人の行き来が激しい。衛兵隊の大隊兵舎、その玄関口ともなればなおさらだ。いくつもの靴音が通り過ぎ、そのたびに軍服を着こんだ女自分には好奇と侮蔑の視線が降り注ぐ。しかしそれらを一顧だにせず、彼女は巌のように佇んでいた。


 こんな扱いには慣れていたし、何より今は上官の命を受けてここにいる。使命感こそあれど恥じる気持ちは微塵もなかった。さすがに将校が通れば敬礼くらいはしたが、それ以外の挙動をする必要も覚えない。自分はあの方の部下……この事実だけが彼女のすべてだ。


 そして杖をついた独特の足音が聞こえてはじめて、彼女――第一分隊長ハルトは口を開いた。


「ご会談お疲れ様でした、小隊長」

「うんうん、貴様もご苦労だったぞハルト。悪いな、待機中付き合わせて」

「問題ありません。次の警護には響かせませんので」

「貴様は本当そういうとこあるよなあ」


 からからと笑ってツェツィーリアは歩を進める。ハルトも足を踏み出した。数歩後ろを意識しながら歩いていると、自然と杖の音と自分の足音が重なりあう。それに言い知れない安らぎを覚えた。

 どうやらツェツィーリアも衛兵隊と渡りをつけることができたらしい。次の言葉がそれを証明していた。


「まあ、ここまでやれば衛兵隊もうちとある程度は協調せざるを得んだろうよ。上辺だけだろうがなんだろうがな」


 立てた人差し指をくるくると回して言う。考えの整理で会話に付き合ってほしいとき、彼女はこういう仕草をする。


「利害が競合せず、かといって価値観が合いもしないのなら、無難なのは馴れ合いでも攻撃でもなく適当なところで折り合いをつけることだ。中佐殿はそれをよく分かっておられる」

「それを承知でありながら、シュルツ中佐殿は部下の行いを見逃したと?」

「むしろ承知だからこそだろう。あとはアレだな、処世術というかなんというか……牽制に権力闘争に統治術、まあその類だろ」


 打てば響くように答えが返る。この件が衛兵隊内部の抗争だということも、シュルツ中佐があらかじめ部下の叛逆を知っていたということも、ハルトは先に聞かされていた。あくまでツェツィーリアの推測として、だが。


 しかしハルトに彼女の考えを疑う理由はない。ツェツィーリアは自分よりやや歳下だが、自分よりもよほど物事というものを知っている。そして彼女が間違っていたことも、ハルトの知る限り一度もないのだった。


「そうだな。ハルト、貴様にとっての衛兵隊のイメージを聞かせてみろ」

「警備に特化したエリート部隊ですね。国首官邸等の国内政治的要所を警備するとともに、要人警護にも多数の実績があります。一方で「我等が主は権力にあらず」をモットーとして、政治的立場としては一貫して中庸を標榜しています」

「教科書みたいだな貴様」


 杖を突いて歩く背中が苦笑する。同じようなことはツェツィーリアにも同僚にも何度となく言われていたが、これがハルトという女なので難しかった。

 なによりツェツィーリアが矯正を望んでいるわけでもない。特に苦言もなく首肯が続いたことからもそれは明らかだった。


「まあそうだ。なにせお偉い方を守る立場なんだから、特定の派閥に寄って別派閥の高官に警戒されてちゃ世話ないだろ。

 だから基本的に立場としてはニュートラルなんだが……悲しいかな、中の人間はそこまで自分を捨てられない」


 組織そのものの性質と属する人間の気性が一致するとは限らない。つまりはそういうことで、軍隊という一体性を求められる集団でもこれは同じだった。

 まして、この国において「軍」は一般的な軍事組織であると同時に、政府とほぼ同等の意味を持つ。それだけ役割を抱えこんでしまえば組織内に分裂が生じるのも当然だった。


 そう、たとえば――


「んで、エリート部隊なもんだから上流階級の子息の方が機会に恵まれる。特に最近は憲兵警察取りこんだ「貴族派」の動きが激しいからな。中立主義の衛兵隊も影響を受けないわけにはいくまい。あの副官もその類だろう」


 貴族派。それが軍国を分かつ大きな裂け目の片側だった。


 字面通り帝国時代の貴族出身者を中心とした派閥だ。とはいえ、革命クーデターののち軍が政治を左右するようになった現在、貴族の爵位は公的に廃されている。革命に協力した貴族の子孫であり、今なお権力の座につく人々の率いる派閥がそう呼ばれている、と表現した方がより正しい。

 家が長く上の立場であったがために政治感覚に優れる一方、階級意識が強く兵や市井への理解が薄い傾向にある。そのためか時に貴族派らしき若手が野心を燃やし、強引な手に出ることもままあった。


「では、今回の件はあの副官の暴走と?」

「ところがどっこい、そうストレートじゃないんだよなこりゃ」


 横顔がこちらを向いてにやりと笑う。どうやら望み通りの話運びのようだ。

 わずかな達成感が胸を潤す。自分の考えが至らなかったことよりも、この上官がご満悦であることの方がハルトにとっては大きい。そのまま耳を傾ける。


「あの副官が今回のことで「衛兵隊は貴族派寄り」って既成事実化しようとしたのは確かだろう。だが、シュルツ中佐殿は中流の出だと聞く。まあ出身から政治的思想を決めつけるのは愚行だが、少なくとも彼については「中立」を愚直に守るだろうよ」


 確信を持った口調。シュルツとツェツィーリアの間には職務が重なっているがための緊張関係と同時に、ある種の信頼関係がある。シュルツが衛兵隊本来の思想を護持していることは疑いない。


「にもかかわらず、中佐殿は副官の動きを事前に察知していながら見逃した。なぜだ?」

「……」


 上官の問いかけに、ハルトはしばし沈思する。

 貴族派の浸透を許したくないにもかかわらず、それを止めずにいた理由。思いつくものとしてはひとつしかない。


「……わざと決行させ、貴族派を批判する材料とするため、でしょうか」

「然り然り」


 ツェツィーリアは満足げに頷き、軽い足取りでまた前を向いた。


「あんまりにも雑で稚拙で無害で意味のないやらかしだからやらせてやってたんだよ。最終的に夫人さえ守れれば、直接的に迷惑こうむるのは我々みたいな政治力皆無の小隊だけだしな。まあうち以外に火の粉が飛ばなかったのも、中佐殿が裏から手を回してたからって可能性があるが」

「しかし、なぜこの時期にそんな博打を許したのでしょう。警護対象はあのケストナー夫妻なのに」

「この時期にそのケストナー夫妻だから、だろ」


 軽く言ってのけ、ツェツィーリアは人差し指を大きく回す。どうやら話も大詰めに入ったらしい。電灯の明かりと夜の闇を交互に浴びながら、ツェツィーリアは静かに言葉を紡ぐ。


「ケストナー大佐は選挙の有力候補で、「市民派」の広告塔だ。その警護で騒ぎを許したのはこういうことだろうよ――貴族派は邪魔だが、市民派に味方するつもりも毛頭ない。選挙でどっちがどう騒ごうが、衛兵隊はとことん無関係中立を貫くぞ、ってな」


 肩を竦めてこともなげに告げる。貴族派と袂を別つもう一派――市民派は、軍国成立後に地位を得た将校を中心としたグループだ。中下層階級の出身者も多く、軍国一般市民の生活に寄り添う姿勢を見せている。

 ≪雇用革命≫の主導者もほとんどはこちら寄りで、アルバート・ケストナーも市民派に属していると目されていた。その家族の警護で貴族派らしい隊員の暴走とくれば、どこにとっても無視はできない。


「要するに、内部の貴族派を芋づる式に吊るし上げるついでに、自分たちの宣伝までやってのけたわけだ。こりゃ憎いね。怖い怖い」

「しかしそれならばこの一件、市民派がさらに利用して衛兵隊を非難する可能性も……」

「できなくはないが、しないだろ。いま無駄に敵を増やすこともない。それに衛兵隊も表向きの責任は全部貴族派の隊員におっかぶせるはずだから、ケストナー大佐たち市民派は貴族派追及の格好の口実をゲットできる。実質WinWinだ」


 つまり、あの副官は貴族派として動き、市民派への嫌がらせと衛兵隊での地位拡大に向け暴走し。

 衛兵隊は敢えてそれを誘発させて市民派に攻撃させることで中立の補強をはかり。

 市民派はそれを承知で衛兵隊の誘いに乗る。


 すべてがすべて、自分の都合で他者を引きずりこんで足を引いていた。


「中立は中立でも武装中立ってわけだな。本当に折り合いのつけ方がうまいが、ヘタに触ると火傷しかねん。まあ何にせよ――」


 ツェツィーリアが急に立ち止まる。駐屯地の出口も近い。何か忘れでもしたのだろうかと思った直後、杖を突く音とともに踵を返し、耳元で吐息が囁いた。


「身内の権力闘争に外のポモルスカ人。内憂外患というやつだよ。我々女も、うまいこと立ち回らんとな」


 唇を離し、悪戯っぽい笑みに妖艶なものを含ませるツェツィーリア。


 ハルトの返事も聞かずにまた正面を向くと、藤色の髪を夜闇に染めては揺らし、陰謀渦まく駐屯地の門をまたいだ。

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