2-16伍長グレーテルの奮闘

 本当にマジもう無理ふざけないでよさっさと引き下がって諦めて帰れ。


 害虫のごとく諦めの悪い暴徒に対処しつづけるグレーテルの、それが掛け値なしの本音だった。


「っだーもう!!! いい加減にしろってば! 終いにゃ撃つわよ!」

「うるせえカス軍人! 女は黙ってろ!」

「やれるもんならやってみろよ、さっきみたいによ!」

「フリッツを返せー!」

「ケストナーの売女、出てこい!」


 どれだけ警棒の威嚇で突き放しても門へ距離を詰める様子は、引いては寄せる波の流れに似ている。

 実際、もう「流れ」はできてしまっているのだ。今はグレーテルたちが門前に陣取り、衛兵隊の門番ふたりも内側から必死に閉じているが、このままでは突破も時間の問題だろう。


「やた~! 撃っていいんですか、あたしじゃんじゃん当てますよ~!」

「やめろバカ!! これ以上事態ややこしくすんな!!」


 イルムガルトが銃をコッキングしかけたのを間一髪で止める。対人発砲許可は今日のシフトに入る時点ですでに降りていたが、今撃ったところで暴動という名のパニックに拍車がかかるだけだろう。

 この人数差もよろしくない。士気も団結力も削ぐことができないまま開かれた戦端だ、分裂させて各個撃破も難しい。実質的には防衛戦であることを考えれば圧倒的な不利だった。


 加えて、一向に来る気配のない増援――


「ちょっと、衛兵隊は一体何してんのよ! 屋敷にもっといるんでしょ、早く援護に来させなさいよ!」

「あっちはあっちで忙しいんだ、こんな急な暴動にすぐ出てこれるかよ。

 安心しろ、ここは俺たちが死守する、お前らもせいぜい頑張るんだな、女ども」

「こんっの、役立たずが!」


 背後に向けて毒づきながらも、その真意はグレーテルも半ば理解できていた。


 ――衛兵隊は加勢に来ない。

 さすがにこの数の難民たちを意図的に見逃したとまでは思わないが、わざわざグレーテルたちだけに応戦させていることは明らかだ。その証拠に、屋敷からはこちらを伺う気配こそあれ、応援をよこす様子はまるでなかった。


 これでどうやって暴徒を止めろというのか、と一瞬眉をしかめたが答えは簡単だ。止めさせるつもりなどない。

 より正確に言えば、グレーテルたちが抑えきれなくなるまで介入する気がないのだろう。特別措置小隊が惨めに敗北し、その後で躍り出た衛兵隊が華々しく勝利を飾る――そんなシナリオになっているはずだ。


(「いざという時は衛兵隊そっちのけでやれ」って、そういうこと……!)


 交代前にヴィルヘルミナから伝えられた言葉が頭をよぎる。おそらく小隊長ツェツィーリアもこの展開を読んでいた。明言しなかったのは確証がないからか、あるいは余計な疑念を抱かせないためか。グレーテルの頭が追いつかなかっただけというのは、あまり考えたくない。


「ほんっと、最っっっ低!」


 誰にともなくぶちまけて、振り下ろされたスパナを避ける。回避の隙を作ってやるために一拍おいてから、警棒を横薙ぎに一閃。人波がまた一歩後ろに退がった。


 隣のイルムガルトも殺さない程度に敵を蹴散らしている。今のところ、こちらにもあちらにも被害を出していないあたり善戦と言えよう。

 とはいえ状況は一切好転していない。このままでは人数差で押し負ける。


(こうなったら、あいつら呼ぶしかないわね……)


 路地に置いてきたふたり、タマラとベアテ。伏兵がいた場合の備えと衛兵隊の援護を当てにしていたこともあって予備にしていたのだが、こうなれば参戦させるしかない。ふたり増えたところでどうにかなるか怪しいのはさておき。


 チッと舌を打つ。お手本のような戦力の逐次投入、下の下の愚策。まさか自分がそんな轍を踏んでしまうなんて。

 最悪だ――そう物思いに耽っていたからだろうか、いや言い訳などできない。一瞬の影が視界をかすめ、見上げた時には遅かった。


「あ……っ!」


 人波の向こう、柵をすりぬけていく酒瓶の細いシルエット。手を伸ばしても届かずに、あっさりと敷地のうちへと放物線を描いていく。

 少年が持っていたのと同じだ。火炎瓶。暴徒の壁のどこか、下手人が声高に叫ぶ。


「これは警告だ! さっさとケストナーか女を出せ、次は火を点けるぞ!!」


 ということは先の火炎瓶は点火されていない、などと安堵する間もなかった。次やられれば今の分も含めて延焼するだけだし、そもそもこの火炎瓶投擲で「特別措置正体に暴動鎮圧能力なし」とされ、衛兵隊が乗り出してきてもおかしくない。


 まずい、と警鐘がひときわ強く鳴りはじめる。衛兵隊が出てくれば暴動は収められるかもしれない。しかしここで衛兵隊に助けられてしまえば、ただでさえ低い小隊の地位はなお貶められることになる。

 下手をすれば警備の任を解かれ、将来的には規模縮小か解散……部隊のためにもグレーテル自身のためにも、それだけは絶対に受け入れられなかった。


(私はもっと、軍人として上にいかなきゃならないんだから――!)


 かといって、起死回生の策が急に閃くわけもない。こうなれば発砲してでも火炎瓶の投擲だけは止める、だが仲間をやられれば暴徒は本当に手がつけられなくなる。ならば煙幕で一時的にでも視界をふさいで行動不能に、だが煙が晴れれば結局は――


 思考の堂々巡り、その間にも決断の刻限は迫る。とりあえずは煙幕で時間を稼ぎ、ベアテとタマラの介入する隙を作り出す……そう発煙手榴弾に手を伸ばした途端、背後からひときわ大きな足音が届いた。


 ――衛兵隊。その予感に思考が真っ白に染まる。間に合わなかった。悔しさと虚脱が全身を満たして、危うく崩れ落ちそうになる。

 しかし次に耳に入った声は妙に聞きなれた響きの、そして衛兵隊には存在しない、涼やかな女のものだった。


「あーあ、差し入れで天から酒でも降ってきたんかと思ったら、やっすい油じゃないすか。紛らわしいなあ、こういうことやめてくんないかな。真面目にガッカリなんすけど」


 振り返る。屋敷の門から扉までの間、石畳の敷きつめられた道にポニーテールが踊る。手には無傷の酒瓶が握られており、その口に寄せられた面長の顔は、いかにも裏切られたというような渋面だった。

 火炎瓶が地面に落ちる前にキャッチしたのか――その事実へ呆然とするグレーテルもよそに、イルムガルトが能天気な声をあげて背後へ手を振る。


「あ~、マルガさん! ちょりっす!」

「イルち、ちょりーす。副分隊長もどーも。ずいぶん楽しそうっすね」

「こんの……」


 今の惨状のどこが楽しそうに見えるんだ、という呪言じみた反論は口から出ていく前に消えた。門とそれを押さえる衛兵隊、障害物の向こうにあるはずのマルガの眼が、いやに意識へ焼きつく。


 あの眼光、第四分隊ならば誰でも知っている。濡れたような、それでいて焼けるような、普段は見ることのない艶めいた瞳。赤い舌が唇を舐め、にいと三日月じみて歪んだ。


「いいなあ。あたしもさ、混ぜてくださいよ」


 そう猛禽の笑みを浮かべると、マルガは手元の酒瓶を頭上に掲げる。そして口を逆さにすると、中の液体をその下に――つまり自分自身の頭に――景気よく浴びせかけた。

 濃い異臭が鼻をつく。グレーテルは言葉を失い、イルムガルトは手を叩いてはしゃいでいる。最前線の暴徒たちもざわめき、正気を疑う視線を向けていた。


 当のマルガはまるで水浴びでもしたかのように平然としながらも、その目つきは牙をむいて笑ったままだ。濡れて張りついた前髪をかきあげつつ、ベルトに吊り下げたホルスターを取り外して懐に収める。

 そして外したベルトで手首を縛ってぶんぶん振り回し、浅く腰を落とすと、門に向かって駆けだした。


 門までは十メートルもなく、しかし速度に抑えはみられない。このままでは門にぶつかる。そうグレーテルが目を逸らしかけたあたりで、マルガの悪戯っぽい囁きが耳に入った。


「ちょいと、勘弁」


 グレーテルの目の前、中腰で門を押さえていた衛兵隊員が思い切り背を踏みつけられて沈む。そして跳ね上がった体躯がふいに腕を投じたかと思うと、ベルトが柵の最上段の意匠に巻きついた。

 バックルの重さと勢いを利用した戦法。手首にきつく食いこむ革にも、マルガは顔色ひとつ変えはしない。ベルトとわずかな足がかりであっさりと柵をよじ登り――3メートルはあろうかという高みを舞い降りた。


 暴徒たちが反射的に身を引く。その真空地帯にマルガが降り立つ。立ち上がった彼女は燃料を滴らせながら周囲を一瞥し、寛容にして下劣な暴君のよう、中指を立てて嘲笑した。


「オイオイどーしたよ。さっきまであんなイキのいい声で鳴いてたじゃんか。また聞かせてみろよ、なア?」


 ベルトを地面に落として胸のタイも緩める彼女に、いつもの陽気さや軽率さは感じられない。部下としての口調も消え失せ、場末のゴロツキもかくやという言葉遣いに変じている。

 スイッチが入った……そう判断したグレーテルは一歩引きかけて、しかしマルガが前へ踏み出すほうが先だった。あっけにとられた暴徒たちが左右に分かれ、自然と彼女のための道を作る。


 しかし、いつまでも気圧されているばかりの群衆ならば、グレーテルたちもここまで苦労はしていないのだ。


「な、ナメてんじゃねえぞ、女ァ!」


 マルガへ道を譲らなかった男が鉄パイプを振りかぶる。鉄パイプはまっすぐマルガの脳天に狙いを定め、一瞬ののち、肉を打つ音が響いた。


「ナメんのはテメーだよ、あたしのケツをよ」


 笑うマルガ。額の前の片手は鉄パイプの先を受け止め、もう片手は男が握る至近に添えられていた。

 油で光る手のひらがパイプを撫でる。マルガに握られた鉄パイプの先がぐっと引かれ、男のバランスが崩れる。そしてマルガが腰を落として鉄パイプを突き出すと――油まみれのパイプはいともたやすく男の手を滑り、その腹に深くめりこんだ。


「うっ、げえ……っ!」


 腹を押さえて倒れこみ、悶絶する男。鉄パイプを手放したマルガはつまらなげに頭を掻き、アドバイスでもしてやるかのように語りかける。


「ンだよ、もっと腹筋鍛えろよな。そんなんじゃ将来絶対腹が垂れるぞ。ピストン運動じゃなくて自慰ばっかしてっからそんなんになるんじゃねえの、最近ちゃんと女抱いてるか?」


 聞くに堪えない猥談のオンパレード。こういう状況でなければ未成年のイルムガルトの耳は塞いでいた。どういう生活をすればこんな語彙になるのか、裕福とはいえない家で育ったグレーテルでさえ見当がつかない。

 暴徒たちもいくらか警戒を強めつつ、しかし退く気はないらしい。あちこちで己を鼓舞するような声があがっていく。


「ひ、怯むなお前ら! 女一人だぞ!? 全員でかかればすぐやれる!」

「そうだ、それにここで止めても捕まるだけだぞ! やるなら最後までだ、このままじゃ何も変わらねえ!」

「ポモルスカ人の誇りを軍国の雌犬に見せつけろ!」


 オォ、と鬨の声があがる。とはいえ、先より勢いが衰えているのは明らかだった。やたらと強い女が、理解不能な振る舞いと言動で突如この場に現れる……士気と団結に穴をあけるインパクトとしては十分らしい。

 一方のマルガもそれを一身に受けるつもりのようだ。指で自分のほうに引き寄せるしぐさをしながら、不敵に唇を吊り上げている。


「軍国の雌犬? いいねえ、そんじゃテメーらはポモルスカの雄犬な。シリウス以下のイチモツでせいぜい腰振って見せてみろや、短小ワンコロどもよォ!」


 その挑発を合図にしたかのように、マルガへ多くの暴徒が殺到する。それに萎縮するどころかむしろ狂喜して跳ねまわるマルガは、多対一の圧倒的不利を見事に数人対一の状況に落としこんで立ち回っている。多人数との戦闘に慣れた動きだ。

 残った幾人かは門前のグレーテルとイルムガルトで迎撃する。その最中、乱戦でもなお乱れた様子のない声が届いた。


「あ、忘れるとこだった。副分隊長、ぶんたいちょから指令ー! 対多人数防衛戦、作戦D展開! とりあえずやれるとこまでやれって仰せだったぞ、っと!」

「は!? あんた、もしかしてそれ伝えるためにこっち来たの!? 何やってんのよ野蛮人!」

「あっはっはっは、まあ結果オーライじゃん?」

「これでオーライですまかったら本当殺すわよ!」


 マルガの存在に助けられたのは確かなのだが、暴れるより先に言えという感想以外何も浮かばない。そんな当然の怒りもよそに、マルガは暴徒の顎を突き上げながら笑う。


「まあ、あたしも一応手伝うんでー、っと! こっち側は任せてくださいよって、オラァ死ね!!」


 別の暴徒の顔面を思い切り殴りつける。本当に殺しかねない勢いだが、マルガもそのあたりの加減はしているだろう。多分。きっと。

 そう信じておくことにして、グレーテルはグレーテルの成すべきことに目を向けた。


「了解、好き勝手やってる分馬車馬みたいに働きなさい! イルムガルト、あんたは私の指示に従って動いて。マルガのアホにつられたらぶん殴るわよ!」

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