2-5軍曹ユリアの傾聴

 第三分隊長ユリア・ズュースキントは、小隊長室を訪れて早々、部屋の主が眠たげに隻眼をこすっているのに出くわした。


栄光は闘争にありエーレ・ミット・カンプフ。お疲れ様です、小隊長。ずいぶんお疲れですね~」

「栄光は闘争にあり。お疲れもお疲れだよ、昨日から大忙しの千客万来だ。寝こけてる暇もありゃしない」


 ふああ、と椅子の背もたれに寄りかかったツェツィーリアが大きなあくびをする。


 実際休む余裕もないだろう。突然舞いこんだケストナー夫人の警護依頼、脱走した夫人の捜索、その収束と状況の把握……昨日今日と激動だった。取りまとめる側としてさぞ奔走しているはずだ。当の本人はその素振りも見せないが。


「絶好の昼寝日和だっていうのに、もったいないもんだよなまったく。さっきちょっと仮眠取ってたらハルトに起こされたし。あいつは融通利かないとこがなあ」

「トラウリヒ曹長も、このあいだ同じことを仰られてましたよ~」

「マジか。ってことはあいつくらいの人間力は自負していいわけだな、うはは」


 世間話でけらけら笑う表情にも、わずかな疲労がにじんでいる。

 早く休ませてあげたほうがいいだろうか……と手短に用件を済ませようとすると、向こうから切り出してきた。


「ああ、そういや第三分隊きさまたちのブリーフィングがそろそろだったか。そんじゃまあ始めるか」

「はあい。よろしくお願いします、小隊長」


 ブリーフィングといっても、そう混みいった話はしない。簡単にいえば警護状況の情報共有だ。


 出動が数時間後にせまった分隊の長がツェツィーリアと会談し、他の分隊によって報告された経過や周辺の情報を得る。

 そして交代時にはひとつ前の警護担当――今回はヴィルヘルミナの第四分隊だ――から話を聞き、最新情報を更新することとなっていた。


 小隊長であるツェツィーリアを通さずに最新情報が得られてしまうのはいささか問題がありそうだが、予算も装備も人数も限られている特別措置小隊は基本的に前時代的ローテクなやり方しかできない。

 そのあたりを弁えているからか、あるいは性格的になのか、ツェツィーリアもこのやり方を善しとしていた。


「で、保護対象――ケストナー夫人自身だが、貴様たちが最初に警護してたときから特記すべきことはないな。多少不安がる素振りはあるが、あんな目に遭ったわりにはパニックに陥るようでもない。肝の座った御仁だな、話に聞いた通りだ」


 報告書を流し読みながらすらすら告げるツェツィーリア。

 警備の際は外敵の襲撃はもちろん、心の不安定な保護対象も大きな障害となりうる。そういう意味では、落ち着いて構えてくれているケストナー夫人はありがたかった。


「屋敷の方も特には。貴様の仕掛けも、衛兵隊とかがいる割には誤作動等は起こしてないようだ。さすがだな」

「うふふ~、ありがとうございます小隊長。光栄です」

「で、現状の懸念事項はまあ掃いて捨てるほどあるが……まずひとつ、衛兵隊だな」


 報告書のいくつかを指でとんとんと叩きながら言う。最初の警備を勤めたユリア自身も報告したが、おそらく第一・第二分隊長も報告書に挙げていたのだろう。それほど共通の厄介ごとということでもある。


「奴らアレだな、私ら小隊が中心の警護ってのがよほどお気に召さないらしい。まあこれまで共同でやってきた任務でも、たいがいこっちが奴らの補助に回ってやってたし……立てられる側に慣れすぎて相手を立てられないんだろうな」


 可愛いことだ、と唇を歪めるツェツィーリアの表情に焦りはない。すでにやりようは考えているのだろう。


「配置にまで口出されるのはたまらんし、こっちからも働きかけている。それが実を結ぶまでの辛抱だ。

 いざという時は気にするな。衛兵隊そっちのけでブチかませ。むしろそっちの方が話が早い」

「はあい小隊長、がんばりますね~」


 話が早いとはどういうことだろう、とわずかな疑問が頭をかすめたがすぐに消えた。

 ツェツィーリアがぱん、と手を叩く。話を変えるとき、彼女はよくこうした仕草をする。


「で、ここまではちょっと前に出動したシュテルンブルクにも伝えた話。ここからは新情報だ」


 つまりヴィルヘルミナの聞いていない話になる。ユリアも豊かな胸を無意識に張っていた。


「憲兵警察の方だがな、犯人どもから何も得られていないらしい」


 犯人。昨日ケストナー夫人を誘拐しようとした3人組のことだろう。


 こちらの担当区域での犯行だったがわざわざヴィルヘルミナが捕まえてくれたという。ユリアとしては感謝する限りだ。ヴィルヘルミナにはなぜか謝罪されたが。


「それは……犯人のお口が、ずいぶんお固いということでしょうか?」

「いんや、シュテルンブルクの話じゃ奴らド素人もいいとこだ、憲警の「尋問」に耐えきれるタマじゃないさ。実際、結構頑張ったらしいが結局身元も吐いたらしい。全員同じ工場で使われてるポモルスカ人だと」


 そのポモルスカ人たちへ軽い同情が湧く。政治犯に対する憲兵警察の苛烈さは有名だ。


 「尋問」とツェツィーリアが強調して言うのも、それが半ば拷問じみたものだと知っているからだろう。並大抵の人間では耐えられないと駐屯地でも噂になっている。


「肝心なのは脅迫状だ。ケストナー夫人に送られてきたコレな」


 ツェツィーリアが机に荒い紙を放る。例の脅迫状の写しだ。いかにもおどろおどろしい脅し文句がタイプライターで長々連ねてあるが、要約するとこうなる。


 ケストナー大佐が選挙を降りなければ、夫人の身を害することも辞さない。


「これをアイツら、出してないって言うんだと。身元を明かしてケストナー夫人襲撃を認めた後もそこだけは知らないと。結局尋問で自白ゲロしたらしいが、3人の言うことがまったく噛み合わないらしい。多分マジで知らないやつだな」


 憲兵警察の取り調べに耐えかねて、嘘の自白で罪を認める。よく聞く話だ。


「そもそも襲撃自体、金と偽造パスポート餌に頼まれてやったらしい。要は捨て駒だ」

「つまりー……真犯人は別にいるってことでしょうか?」

「だろうよ。今後も何か仕掛けてくる可能性が高い。警護任務もしばらく続行が確定だ」


 長期戦のつもりで構えておけ、との言葉には笑顔の敬礼で返す。自分たちの分隊は持久戦には向いているほうだ。期待には応えられるだろう。


 あとで部下の子たちにも知らせておかなきゃなあ、とぼんやり思っていると、くっくと小気味よい笑いが耳朶を打った。


「しかし憲兵警察の奴ら、叩けばまだ埃が出ると思ってるのか見せしめにするつもりなのか、まだ尋問は続けるらしい。このままだと家族までしょっぴかれかねないな。何がそこまでさせるんだろうな?」


 机に頬杖をつき、独りごちる言葉はどこか甘い。片方だけの視線がここではない遠くを射抜いている。


「動くぞ、こりゃ。さてさて何が出たもんかな」


 その笑みは祭りを心待ちにする無邪気な童女のようにも、獲物を前にした獰猛な獣のようにも見えた。

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