プレゼント

注意。このお話は、本編の青年時代編の2年前となっています。

第1話 青年・真之①

「どう、真之君。仕事はもう慣れたかしら?」

「はい、おかげさまで」


 湯気の立つ味噌ラーメンに横目を向けながら、芹那が柔らかな微笑を浮かべた。カウンターの隣の席で豚骨ラーメンの汁に口をつけながら、真之は頷き返す。

 二人がいるのは、市内にあるラーメン店だ。休日の正午には行列もできる人気店で、夕食の時間帯から少し外れた今でも客席は満員に近い。地元のテレビ番組でも紹介され、ネットのグルメサイトなどでも評価は上々である。


「民間人にしょっちゅう驚かれて、子どもに泣かれているし。正直言って、あなたはこの仕事に向いていないんじゃないか、って心配したけれど。仕事内容はすぐに覚えて、きっちりこなすから、その点は教育係として楽で助かっているわね」

「ありがとうございます」


 手配書に掲載されていそうな悪漢の顔つきを隠さず、真之は真面目に答える。

 二人は市内の警察署に勤める警察官だ。部署は共に生活安全課。真之は先月、警察学校を卒業し、配属されたばかりの新人だった。彼の昔馴染みということで、一歳上の芹那が教育係を務めてくれている。


 真之にとって、仕事は順調とは少々言い難かった。芹那の言う通り、その凶悪な外見のせいで民間人に警戒されてしまうのだ。地域の人々に密着する生活安全課としては、大きなマイナス要素だった。それでも、彼は挫けずに努力を重ね、先輩達から仕事を必死に学んでいる。

 今日も勤務を終え、芹那の誘いでこのラーメン店に立ち寄っていた。


「それで? 悩みがあるって聞いたけれど」

「はい、それなのですが」


 岩のごとき頑丈な頬を指で掻き、真之は言いづらそうに口ごもった。それから意を決し、相談を切り出す。


「昨日、初めての給料をいただけました」

「買いたいものは色々あるでしょ? 真之君は実家暮らしだから、お金にも余裕ができるでしょうし。あ、でも無駄遣いはやめた方がいいわよ。将来に備えて貯金をするのも大事ね。人生の先輩のアドバイス」


 真之は今年、高校を卒業したばかりの新人だ。高校時代は引っ越しのアルバイトで金を稼いでいたこともあった。しかし、社会人としての初給料というのは、また違った達成感を与えてくれる。


「それで、プレゼントを贈りたいと考えまして」

「プレゼント? あれ、確か真之君って今、彼女とかいないわよね?」

「ええ。相手は、紺です」

「なるほど、建宮さんか」


 その名前を出され、芹那はすぐに納得したようだった。

 紺は、真之の義母だ。現在も真之と同居中で、あれこれと彼の世話を焼いてくる。絶世の美女という言葉は紺のためにある言葉だ、と評しても間違いではない。それほどまでに美しく、濃厚な色香を纏った女性だった。


「日頃、世話になっていますし。感謝の意味を込めて、何か贈り物ができたら、と」

「なるほど。母の日には少し早いけど、いい心がけね」


 芹那は唇の端を緩ませながら、どんぶりに浮かんだチャーシューを箸で掴む。

 高校時代、真之はアルバイトで貯めた金を使い、紺に花束を贈ったことがあった。そのときの彼女は感激のあまり号泣し、何度も礼を言っていた。紺は長き時を生きる妖怪であり、その妖気を使って花束をドライフラワーとして保存し、今も自室に飾っている。


「ふふ。相変わらずお熱い仲ねぇ」

「べ、別にそういうわけでは」

「否定しても説得力がないわよ。それで、何をプレゼントにすればいいか分からず、困っているってところかしら?」


 チャーシューを噛んで飲み込んだ芹那が、片目を瞑って真之を指さした。両眼にそれぞれある泣きぼくろが魅力的な彼女は、ウインク一つにも独特の色気がある。小学生のころからの付き合いである真之には通じないが。


「おっしゃる通りです。情けない話ではありますが」

「ふむふむ。じゃあ、女心に疎い真之君のために、お姉さんが人肌脱いであげますか。明日の休暇を使って、二人で色々とお店を巡ってみましょう」

「いえ、先輩の貴重な休暇を消費させるわけには」

「気にしない、気にしない。可愛い後輩のためだもの」








 その後、芹那に散々からかわれた後、真之は彼女と別れて自宅マンションへ。時刻は既に夜の九時を過ぎており、夜空は星々で彩られていた。階段で四階へ上がり、我が家の玄関の扉を開ける。


「ただいま」

「おかえり、真之。今日もご苦労じゃったの」


 帰宅した真之を玄関で出迎えるのは、先程話題にされていた紺だ。薄水色の着物姿で、頭の上には獣の耳を、柔らかそうな尻からは二本の尾をそれぞれ生やしている。リラックスできる自宅では、耳と尾を隠そうとはしない。


 真之は革靴を脱いで廊下に上がる。一旦、自室に入って手提げ鞄を下ろした。

 それから居間に行くと、紺がガラスコップに入った麦茶を差し出してくる。甲斐甲斐しいまでの世話の焼きようだ。真之はきちんと礼を言い、コップを受け取った。


「夕飯は外で食べてきたのじゃったな」

「ああ」


 真之が芹那と一緒に夕飯を食べてくることは、署を出たときにメールで紺に連絡してある。そうしなければ、彼が帰宅するまで紺は夕飯に手を付けず待っているからだ。「仕事の都合で遅くなったときは、先に食べてくれていい」と言っても、頑として譲らない。


「それにしても、お主が警察官になるとはのう。進路希望を初めて聞いたときは、驚いたわい」

「似合わない、とは自分でも分かっているさ」

「いや、お主は正義感が強いからの。案外、天職かもしれぬぞ」


 そういうものだろうか。真之には自覚がなく、肩を竦める。


「初めてお主と出会ったときは、まだ小さかったのにのう。月日の流れとは早いものじゃ」

「そういう言い方は年寄りくさいぞ」

「くふ。実際、年寄りじゃからな」


 そう言って紺は懐かしむように微笑んだ。

 なにせ、一〇〇〇年を超える年齢の妖狐である。わずか一八年しか生きていない若造では、太刀打ちできない。


「明日は休みなのじゃろ? 何か予定はあるのかえ?」

「それなんだが……」


 どう説明すべきか、真之は一瞬迷った。芹那と一緒に街へ出かけることを正直に言えば、プレゼントのことを気づかれるのではないか。この義母は妙に勘の鋭いところがある。プレゼントはサプライズで渡す予定なので、それまで知られるわけにはいかない。


 なので、


「少し用があってな。一日出かけてくる」


 とだけ言った。


「そうか。夕飯までには帰ってくるのかや?」

「ああ、そのつもりだ」


 紺もそれ以上は追求してこない。隠し事をすることに対し、真之の中でほんの少しだけ良心が咎める。だが、それも全てはプレゼントの購入のためだ、と自分に言い聞かせた。

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