第163話 それぞれの、相容れぬ目的

 プーテとムステの群れから全力で逃げ切った私たちは、窪みの陰で小休止した。

「何か、妙ですね~」

 ティゲルが息を整えながら言った。

「プーテもムステも、元来臆病な生物ですから、こちらから縄張りを荒らさなければ自分から襲ってくる事はありません。そして、縄張りからそうそう出るものでもないのに」

「俺も、そこが気になっているんだ」

 テーバが同意した。

「あいつら、こっちを狙ってきたって感じじゃなかった。むしろ、あいつらも俺たちに鉢合わせて、びっくりして襲ってきた、みたいな感じだったんだよな」

「ああ~、なる程です。確かに群れの移動に遭遇したって感じでしたよね~」

 彼女たちの話はそこでいったん途切れた。ふとした疑問を思わず口にした、といったようだ。一方は猟師、一方は学者。経験と知識、二方向からの見解、しかも意見が一致した見解は無視できない。頭の片隅に置いておく。

 まもなくユグム山も五合を迎えようとしている。ここまで、アンたちの姿は見当たらない。私たちが手間取っている間に、すでに国境を越えてしまったのだろうか。

「団長!」

 焦る私に、テーバが望遠鏡を手渡した。

「見てくれ。あそこだ」

 彼が指さしたのは、今私たちがいる場所からさらに上の七合目あたり。薄暗い山の斜面の一部が小さく光った。溶岩ではない。人工的な明かりだ。もう少し近づき、その正体を確認する。

「驚きね」

 望遠鏡を下ろして呟く。斜面と同系色で偽装されているが、目を凝らしてみてみると、ところどころに自然にできたとは思えない凹凸がある。そして、今しがた見えた明かりは窓から漏れた光だった。

 ランタンの火を消し、月明かり、星明かりを頼りに斜面を這うように注意して進む。近づくにつれ、その全容がおぼろげながら見えてくる。見間違いじゃなかった。

「まさか、こんなところに砦を作っていたなんて」

「山くり抜いて、作ったってのかよ」

 同じく、テーバも驚嘆の声を上げている。アウ・ルムから見て裏側、丁度陰になる場所に斜面に沿って幾つもの穴が空き、それらを繋ぐ階段が作られている。上下両端にある穴を砦の端として考えると、見える範囲の大きさは三階建ての邸宅程か。トルコのカッパドキアを彷彿させる出来栄えだ。遠目からではまず発見できないだろう。今回も、微かに漏れる光がなければ見落としていた。

 一朝一夕で出来る事じゃない。かなりの時間と労力がかけられている。

 理にはかなっている。硫化水素の死亡事故のせいで人はまず近づかないし、アウ・ルムの主要都市は目と鼻の先だ。いざ戦争ともなればアウ・ルム領への足掛かりになり、山中なので大軍で攻め込むのには向かず、高所という地の利もあり落とすのは容易ではない。

 いざ、じゃない。こんな物を作るのだから、必ずアウ・ルムと戦う算段をつけている。その過程で見つけたのが、アンとスパイの情報だったのだ。

「これではっきりしたな。ほぼ間違いなく、フェミナンオーナーはここに連れてこられている」

 ギースが言った。

「急ぐぞ、アカリ。安全地帯に入った奴らが次にやることは一つだ」

「ええ。アンから情報を引き出そうとするでしょう」

 ギースの言う通り急がなければならない。どんな手段を用いても、奴らはアンから情報を引き出そうとする。そして、引き出し負えれば間違いなく殺害される。

 だが、チャンスはある。相手は安全地帯に入ったと思って油断していて、私たちの追跡は頭にない。

 まずはアンの現在位置を特定する。

「プラエさん、『メアリー』お願いできますか?」

「もちろんよ。任せて」

 頼もしい返事と共に、プラエが壁面に近づき、魔道具の円形の部分を取り付けた。反対側にあるコップ型の部品を自分の耳に当てる。以前ドンバッハで鹵獲した、音を拾う魔道具だ。正式名称はわからないので、『壁に耳あり障子に目あり』から、私が適当に『メアリー』と名付け、今はそれがアスカロンで定着している。

「感度を上げていくわ。皆、少し静かにしていて」

 プラエに言われ、私たちは呼吸すら控えて彼女の様子を見守る。目を瞑って全神経を耳に集中させながら魔道具を弄るプラエが、ぱっと目を開いた。

「・・・いた」




「出来れば、手荒な真似はしたくないんだがね」

 縛られ、椅子に座らされたアンの前で、男は掌でナイフを遊ばせながら言った。彼女を連れ出した、使者の顔をした男だった。

「多くの男を魅了し、篭絡してきたフェミナンオーナー、アン。その美しさは年を経ても変わらず、経営に専念したことを惜しがる声は多い。食事だけ、あるいはお茶だけでも、とね。そんなあなたを傷つけるのは、男としては忍びない」

 だが、と男は言葉を切り、彼女に近づいた。

「我々も任務がある。これは何よりも優先される。任務の為なら、我々は何でもできる。非道、鬼畜と呼ばれる所業も喜んでしよう。我らの子孫のために」

 すっとナイフがアンの首筋に添えられる。

「アウ・ルムが抱える諜報員の情報を全て吐け。さもなければ殺す」

 ただの脅しではなく、男が本気だという事は一目瞭然だった。しかしアンは平然とナイフを一瞥してから男の顔を見返した。

「こんな山奥まで無理やり連れてきて、どんなことを求められるのかと思ったら、ずいぶんと色気のない話ね」

「オーナー、俺は本気だ。ふざけない方が良い」

「本気だからこそ問題なのよ。私はただの娼館のオーナー。その私がどうして諜報員の事を知っていると?」

「しらばっくれても無駄だ。調べはついている」

 おい、と男が声をかけると、扉の向こうから男の仲間の男二人が現れた。だけでなく、男たちは何かを引きずっていた。

「イーナ!?」

 引きずっていたものを見て、アンが悲鳴に近い高い声で名前を呼んだ。男たちが引きずっていたのは、消息を絶っていたフェミナンのスタッフであり、スパイの一人だった。

 アンの声に反応したイーナが、ゆっくりと目を開く。

「お、オーナー・・・」

 つやつやだった褐色肌には無数の裂傷が刻まれ、愛らしい顔には打撲痕があった。

「イーナ! 大丈夫なの?!」

「申し訳ありません、私は、私は・・・」

「良いの、喋らないで。無事なら良いのよ。少し休んでいなさい」

 息も絶え絶えのイーナを黙らせる。

 彼女が姿を消したのは一か月前。傭兵を雇い、方々を探し回ったが見つからなかった。最悪の事態を想定していたが、生きている姿を確認できてよかった。

「女を傷つけるなんて、男として最低ね」

「言っただろう。我々は任務の為なら何でもする。女、子どもであろうと容赦はしない」

 男が仲間に目配せすると、イーナを連れてきた仲間の男が彼女の髪をぐいとつかみ上げ、喉元を晒した。

「やめなさい! その子をこれ以上傷つける必要はないはずよ」

「いいや、必要あるとも。この方があなたの言葉を引き出せそうだ」

 男は、今度はイーナに向かってナイフを突きつけた。わずかに刺さった先端が、彼女の首筋からぷっくりと血の珠を生んだ。

「もう一度聞くぞ。アウ・ルムの諜報員の情報を吐け。でなければ、可愛い部下が死ぬぞ」

 逡巡するアンに対し、男は見せつけるようにナイフをイーナの首元に這わせた。赤い筋が生まれ、血の雫が垂れる。

「・・・わかったわ。わかる範囲で教えてあげましょう」

「オー、ナー。いけません・・・っ!」

「黙ってろ!」

 イーナの髪がさらに引っ張り上げられる。苦しそうに喘ぐ彼女と男をアンは交互に見た。

「まず、その子を離しなさい」

「良いとも。あなたの話が済んだらな」

「それは困るわ。私も最近年なの。イーナの心配をするあまり、記憶があやふやになるかもしれないわ。あなた方が欲しい情報は、私の頭にしかないのに、その精度が狂っていてもよいと仰るの? どうせ私もその子も逃げられやしないわ。そのくらいの余裕、男なら持っていてほしいわね」

 アンと男がにらみ合う。しばらくして、フンと鼻を鳴らし、男はイーナを離すよう仲間に告げた。

「これで良いな?」

「ええ、満足よ。さて、どこから話しましょうか」

「最初から、全てだ。変に誤魔化そうとしたりするなよ。嘘をついたらすぐにわかる」

「嘘は苦手なのよ。だから、正直に話しましょう。今の私では、全てを話すことはできない」

「約束が違うぞ。この女がどうなっても」

「早くてせっかちで自分本位な男は嫌われるわよ。最後まで話を聞いて。さっきも言った通り、私も年々記憶力があやふやになっているの。なのに反対に諜報員の数は増加するから覚えるのがとても大変。そこで、私はメモを残し、自分にしかわからないよう暗号を作った。文字の配列を組み替えることで正解が浮き出るタイプの暗号文ね。そのメモを、私はここにもってきていない」

「そのメモはどこにある」

「え? 持ってないの?」

 アンがすっとぼける。

「どういう意味だ。なぜ我々が持っていると」

「だって、あなた。ああ、ごめんなさい。あなたが成り代わった、本物の使者が持っているはずだもの。私の記憶とその使者のメモ、二つ合わさって初めて諜報員の情報がわかるの」

「嘘をつくな。使者はそんなもの持っていなかった」

「嘘ついてどうするの。ちゃんと探した? ずいぶん急いでいたけど、焦って見落としたんじゃなくて?」

 馬鹿にしたようにアンは言った。

「リスクマネジメントってやつよ。分散して持っておくことで、一方だけでは意味をなさないようにしているの。まさにこういう時のために考えたんだけど、活用される日が来るとはね」

「ふざけるな!」

 男がアンの頬を張った。口元から血が流れるが、アンは薄笑いを浮かべながら血を舐めとる。この程度の痛み、イーナが受けた苦しみに比べればどうってことない。

「協力すると言っている相手に、暴力は良くないわ。私は嘘を言っていない。全て真実よ。メモさえあれば、嘘偽りなく解読し、あなた達が欲しい情報を渡す」

 きっぱりと言い切られた男たちは、互いの顔を見て視線も思考も彷徨わせる。

 アンの狙いは、相手を迷わせ時間を稼ぐことだ。時間を稼げば何とかなると思っている。本当に何となくだが、予感がしている。たいして仲が良いとは言えない相手だけど、彼女がもしかしたら来てくれるんじゃないか、と。

 しかし、事態はアンの想定よりも早く動き出す。

「ええい、まどろっこしい!」

 イーナの髪を掴んでいた男が自分のナイフを取り出して彼女に突きつける。

「ごちゃごちゃ五月蠅いんだよ。さっさと知ってるだけでも吐け。でないとこの女を殺す」

「言ったでしょう。本当に、メモがないと分からないのよ! あなた、私より若く見えるけど、昨日の食事の献立、間違わずに言える?!」

「それは、ええと・・・うるせえ! 良いか、今から十数える。その間に言わないと、この女は死ぬ!」

「待って! その子を殺しても、私を拷問しても答えは同じよ!」

「はっ、本当か? 死んだら意外と、ショックで思い出せるかもな」

 男がナイフを振り上げた。

「十!」

「だから待って!」

「九!」

 どうする! アンは迷った。メモに頼らなくても、十数人程度の名前は思い出せる。しかし、言ったが最後今度はその子たちがイーナと同じ目に遭う。イーナも大事だが他のスタッフも等しく大事だ。言えるわけがない。

 無情にもカウントは進んでいく。

「・・・三! ・・・二! ・・・一!」

 そして、男は憐れむような眼をアンとイーナに向けた。

「可哀そうに。あんたのせいだぜ」

 忌々しいほどに唇を歪めて、男はアンを嘲笑った。

「いいえ、オーナー。あなたのせいではありません」

 イーナが笑った。

「今まで、お世話になりました」

「イーナぁ!」

「ゼロだ」

 男のナイフが、穏やかな表情のイーナに向けて、無情にも振り下ろされ


 ずずん、と足元が揺れた。そのせいでナイフは止まる。


「な、なんだ!」

「おい、どうした!」

「まさか、火山が噴火したのか?!」

 男たちが慌てふためく。そんな中。

「敵襲だァ!」

 階下から敵襲の報が入る。

「馬鹿な! 敵襲だと! ここがばれたというのか!」

 慌てる男たちだが、すぐに意識を切り替える。

「ここを放棄する! 撤退の準備だ。せめてこいつらは本国に運ぶぞ! じっくりと締め上げてや」

 言い終える前に、再びの轟音、そして衝撃と粉じんが男を声ごと飲み込んだ。部屋の天井が爆発したのだ。座っていたアンは幸い椅子ごと転倒しただけで済んだ。

「まずいわね」

 粉じんの向こうから声がした。

「ちょっと流す魔力量を誤ったわ。生きてるかな?」

 その声に、アンは苦笑を漏らす。ほら、何とかなった。

「・・・勝手に殺さないで」

 椅子と一緒に横倒しのままのアンは、瓦礫と粉じんをかき分けてくる相手を見やった。

「元気そうで何よりね。さ、逃げよう」

 傭兵団アスカロン団長、龍殺しとあだ名される女は、男三人をすでに屠っていた。

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