第110話 東の国の商人

 失礼します、とザジは立ち上がり、ドアの前に向かう。気になった私たちも、彼の背中を目で追った。各団員に目配せし、武器を振るえるように手元に置き、用心させる。念のためだ。小さな農村を襲い食料を略奪する盗賊紛いはそこら中にいる。

 ザジの誰何の声に応えたのは村人だった。彼らの話に聞き耳を立てる。

「旅人?」

 怪訝そうな声でザジが聞くと、村人も同じように怪訝な声で返した。

「はい。なんでも、プルウィクスの商人だそうで」

 そのまま、ザジは農民と一緒に外に出た。

 プルウィクス? はて、どこだったか。

「アウ・ルムとラーワーの国境にある東の小国ね」

 プラエが耳打ちした。

「行ったことが?」

「いいや。でも、有名な魔術師を多く輩出していることで有名だから。昔、私が師事した先生も、プルウィクスで学んだって聞いた」

「プラエさん自身は行かなかったんですか? 多く輩出しているってことは、学校か、それに類似する何か、ラーワーの図書館のようなものがあるわけですよね?」

 人の集まるところに情報が集まるのであれば、魔術師が集まるところには魔術の情報が集まるものだ。魔術を学ぶなら、そういう、いわゆる『本場』が学びに適しているのは間違いない。

「まあ、いろいろと行かなかった理由はあるのだけど、大きな理由としては先生が優秀だったのよ。わざわざ行く必要がないほどにね。本当かどうか知らないけど、スルクリーと共に旅をしたとか言ってたし」

「スルクリーというと、伝説のルシャの?」

「そう。本人曰く、スルクリー将軍のそばにいた方が、プルウィクスの研究室にこもっているよりもはるかに刺激的で勉強になったって。その頃は疑いの目で見てたけど、今はよくわかるわ」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」

 にやあ、と意味深な笑顔でこっちを見ている。

「先生みたいな例外は置いておくとして、今なおプルウィクスは魔術師の聖地としての地位を確立していて、そのおかげで二つの国に挟まれながらも併呑されずに、しかも中立国として形を残せているわけよ」

 ただ、とプラエが付け加えた。

「近年、雲行きが怪しいらしいのよね。現国王が病に倒れて、後継ぎ争いが勃発してるって噂」

「詳しく教えてもらえますか」

 関係ないかもしれないが、もし内紛にまで発展したら、傭兵の募集もあるかもしれない。ビジネスチャンスは、たとえどんな些細で関係ないかもしれない情報でも頭の隅に置いておきたい。

「飲み屋で聞いた噂だからどこまで正確かわかんないから鵜呑みにはしないでね。普通はどこの国でも、正妻である王妃の第一子が後継者として継ぐもんなんだけど、王妃はなかなか子宝に恵まれなかった。代わりに三人いる側室がそれぞれ身籠り、男児三人、女児二人が誕生した。そんな中で王が倒れて、側室の王子が王位を継ぐってほぼほぼ決まりかけてた。そこにきて、王妃の妊娠し、男児を出産したの」

 話が少しずつ読めてきた。

「普通は正妻の子が継承権一位。だから、この場合は王妃が妊娠したんだから王妃の子が次期国王になる、という話では収まらなかったんですね?」

「その通り。待ったがかかった。どうして病で臥せっている王が子作りできるのか、と訴えたのが、元王位継承権一位の王子側。病に伏せる前に子宝を授かったと訴えるのが王妃側。真っ向から対立しているの。もちろん、互いの後ろには彼らを操るスポンサーがいるわけ」

「プルウィクスを挟む両大国、アウ・ルムとラーワー、ですか」

「御明察。王妃側にはアウ・ルム。王子側にはラーワーがついた。もともと王妃はアウ・ルムの大貴族の出自だから味方するのは自然な流れよね。王妃の子は間違いなくアウ・ルムの血が流れているから、ゆくゆくは堂々とプルウィクスを乗っ取ることも画策済みでしょう。そうはさせじとラーワーが後押しする王子は、過去にラーワーに留学という名の人質になっていた経緯がある。多分、ティゲルが通っていた学校でしょう。王子が後を継げば、アウ・ルムの目論見を阻止できるどころか、ラーワーに人脈のある王子が継ぐのでプルウィクスはラーワー寄りになる。小国ながら優れた魔術師を抱えるプルウィクスが、優れた鍛冶師と鉱山を多く抱えるラーワーにつけば、単純な考えだけど技術力は他の四国を圧倒する。大国同士のバランスが崩れる可能性があるわ。もちろん、アウ・ルムに傾いても同じことが言えるでしょうけど」

 多分、それだけに話は収まらない。アウ・ルムとラーワー、二つの大国が抜きんでることを、他の三国が指をくわえてみているわけがないのだ。必ず介入してくる。まるでバルカン半島か有名な某タクティクスRPGだ。どこが勝っても戦争になる。唯一の回避方法は、王妃側でも王子側でもない、第三者が王位を簒奪してしまうことだが、それはそれで新たな争いを生みそうな気もする。誰もが納得する継承、落としどころなど、存在するのだろうか。

 ん? 最近似たようなことで思考を巡らせた気が。

「いやあ、夜分に申し訳ない」

 野太い男の声で、思考を中断する。

 ドアの前で、ザジともう一人が握手を交わしていた。

「うっかり道に迷ってしまって、どうしたものかと思っていたところなのです。快く村に入れていただき、感謝いたします」

 そういうのは、大柄な壮年の男だった。頭や髭をきっちりと整えているところからして、かなり身分が良いように見受けられた。纏っている朱色のローブも厚く、ところどころに刺繍が施されていて高そうだ。ザジよりも二十センチは背が高く、ローブ越しだが体も分厚い。握手している手も大きいので、ザジの手が埋まってしまって包まれているように見える。太い腕が上下するたびにザジの腕がウェーブして体まで揺さぶられてしまうので、ひきつった笑いを浮かべながらどうにかして腕を振りほどこうとしていた。

「い、いえ、プルウィクスの商人の方にはよい取引をしていただいております。これしきの事お気になさらず」

 先ほど村によそ者がきたら警戒すると言っていたザジが、簡単によそ者である男を受け入れていた。

 先ほどの話と関連して、ラーワーがプルウィクスを取り込もうと考えているなら、ザジのところにもプルウィクスの関係者が来たらもてなすように指示が来ているのかもしれない。言葉は悪いが、ドンバッハのような村にまで細かく指示を出しているのであれば、プルウィクスに対するラーワーの重要度はやはり高いようだ。噂が現実味を帯び始めている。

 ザジに腕をやんわりとほどかれた男は、今度は私たちに気づいた。

「おや?」

 するするとこちらに近づいてくる。大柄なのに、不思議なほど足音がしない。丁度私の手前で立ち止まった。

「お食事中でしたか、騒がしくして申し訳なかった」

「いえ、お気になさらず」

 笑顔で答えつつも、緊張と警戒は解かない。それを知ってか知らずか、男は続ける。

「見たところ、皆さんは傭兵団、では? そして、あなたが団長様かな?」

 少し驚く。いつもなら、ギースやモンドが団長と呼ばれるのに。もちろん、彼らの方がふさわしいといまだに思っているところはあるけれども。

「そうですが、よくわかりましたね」

「これでも商人ですから。人を見る目は、いくらか養っておりますとも」

 商人には見えず、私よりもよほど傭兵団の団長のような男が優雅に手を大きく回し、腹のあたりで九十度に曲げて当て、社交場で見るようなお辞儀をした。

「改めまして、プルウィクスで商店を営んでいるファルサと申します。以後、お見知りおきください」

「初めまして。傭兵団アスカロン、団長のアカリです」

「アスカロン?」

 体を起こした男が目を見張った。

「もしや、ラーワーのミネラで起こったスライム襲撃を、守備隊と共に撃退したあのアスカロンですか?」

「一応、そうです」

 有名になって力はつけたい。けれど、こうして名が売れて『あの』だの『かの』だの言われると、どうも腹の底の方がむずむずして落ち着かなくなる。慣れなくてはと思うし、みんなからはもっと威張れだの堂々としろだの自分からアピールしろだの言われるが、合わないものはやはり合わないのだ。

「何と、これは僥倖。かの『龍殺し』と巡り会えたのは天の采配としか思えぬ」

 男が柏手を打った。

「不躾で申し訳ないのだが、一つ、依頼を受けてはくださらんか?」

「依頼ですか?」

「ええ。私たちを、プルウィクスまで護衛してほしいのです」

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