第107話 主人公の友人的ポジショニング
「辞めた?」
図書館に到着した私たちを迎えたのは、ティゲルの笑顔ではなく、いぶかしげな顔を向ける偉そうな司書だった。立派な口ひげですね。引っこ抜いて差し上げましょうか? とお伝えしたくなる態度だ。
「ああ。ティゲル・ドンバッハは辞めた」
うっとうしそうな表情が、さっさと追い返したいと強く訴えている。
「どうしてですか? 昨日までここで勤めていたのに」
「さあ、知らんな」
一瞬手に力が入った。隣のプラエの眉間に青筋が入ったのが分かった。
「・・・では、今どこにいるかわかりますか?」
「知らん」
「住所などを教えてもらえませんか」
「だから、知らないと言っているだろう。そんな田舎者のことなんぞ!」
受付をたたき、司書が立ち上がった。
「頭がいいだけの、家柄も気品もないどんくさい小娘が、伝統と格式ある王立図書館の司書として勤めていたのが間違いだったのだ! ここを利用するのは王家に近しい高貴な方か、信任篤き学門の権威のみ。そこに勤める者にもそれ相応の格が求められる。ふさわしくないものが消えて、ようやくここは正しい姿に戻ったのだ。そこへ、貴様らのようなどこの馬の骨とも知れぬ野蛮な輩が、二度と聞きたくもない奴の名前を持ち出す。どれほど私を不愉快にさせているか、分かっているのか下郎!」
そうか、よし、こいつは言葉が通じない。通じない相手には通じない相手のためのコミュニケーション方法がある。感情は平坦、凪のように揺らぐことなく、視線は相手の急所を探す。可能な限り早く、現状の装備と人員体勢で、音を立てず、証拠を残さない、それらに合致するコミュニケーションという名のシミュレーションが脳内で組み立てられる。
笑顔でプラエに目配せする。彼女も能面のような笑顔で返した。
「おおおおおおお待ちくださいぃぃぃぃいいいい」
よし、やるか、と受付を乗り越えようとしたところで、大きな体を揺すりながら門番の一人がこちらに向かって走ってきた。初日に私たちを門前払いし、紹介状で簡単に手の平を返した男だ。司書の大声を聞きつけ、走ってきたのだろう。
「なんだ貴様。門番の分際で」
「ギャンガナック様。恐れながら申し上げます。この方たちはミネラ家の紹介で訪れております」
「なっ!?」
司書が面白いくらい狼狽えた。瞼からこぼれんばかりの目玉で、こちらのことを頭からつま先まで凝視する。この様子を見るに、ギャンガナック様はミネラ家よりも格下なのだろう。
「彼女らをぞんざいに扱えば、彼女らを紹介したミネラ家をぞんざいに扱うのと同義でございます」
「きっ、ききききき貴様、この俺が、ミネラ家の名におそおそそそ恐れをなすと?」
「滅相もございません。ギャンガナック様に限ってそんなわけございません。しかし、どうぞあなた様の部下である私どもにお慈悲をかけていただければと思います」
「貴様らに慈悲だ?」
「はい。ミネラ家次期当主、カナエ・ミネラ守備隊長といえば、ラーワー軍でも屈指の剛の者です」
「聞き覚えがあるぞ、確か、そう『鋼のヒグマ』の異名を持つ剛力の武人だな」
「さようでございます。最近では、北方では目撃証言のない危険な怪物であるスライム、それも規格外、超巨大なスライムの侵攻を盾一つで防いだとのことで、ますます勇名を馳せております」
「そ、それも知っておるぞ。近々その件でミネラ家に勲章が授与される。大きな戦争が終わって以来の勲章ということで、誰もが噂している」
「あの方は重要拠点であるミネラから滅多に出られませんが、年に一度開かれる御前武闘大会に参加されます。この大会は任務中以外の全ての軍人が出場します。もしカナエ隊長に今日のことが知られれば、我々、我々は・・・」
門番たちの脳内でどんな想像が繰り広げられているのかわからないが、見る見るうちに青ざめていくのでなんとなくの想像はついた。私もあの圧力の前に立った経験がある。気持ちはわかる。
「ですので何卒、我らの命を助けると思ってどうぞ寛容なお心をお示しください。確かに傭兵風情の分際で、この図書館に踏み入れるは無礼千万ではございますが、受け入れることでギャンガナック家の懐の広さ、寛大さがミネラ家、およびラーワーに広く知れ渡ると愚考致します」
無礼千万な紹介の仕方だが、許してつかわしてやるぞこの野郎。話が進めばそれでいい。
「わかった。光栄に思えよ傭兵ども。今までの無礼は水に流してやる。この私の寛大さに感謝するがいい。けしてミネラの名前に恐れをなしたからではない。この門番どもの願いを聞き入れたからに過ぎない」
「ははぁ! ありがたき幸せ!」
そんなことはどうでもいいからティゲルの居場所を吐けと髭を掴もうとしたところで、先にゲオーロが頭を下げた。
「ギャンガナック様、お願いします。ティゲルさんの居場所を教えていただけませんか」
「物覚えの悪い奴だな。知らんものは知らん。貧しい田舎者は王都に別荘など持っていないだろうからな」
「そうですか。ありがとうございます」
ゲオーロは律儀に頭を下げ、踵を返した。慌てて後を追う。
「ゲオーロ君、どこへ行くの? もっと聞きだした方が良いのでは?」
せっかく、こっちの話がミネラ翻訳機を介して通じ始めたのに。
「いえ、おそらくギャンガナック様は本当にご存じないのだと思います。ですが、ヒントも与えていただきました。地方の貴族の方は、この王都に滞在用の別荘を持っています。しかし、ティゲルさんの家は別荘を持っていない。だからご存じないのです。ということは、ティゲルさんはこの王都のどこかに間借りしているはずです。傭兵以外でそういう場所を借りている方はかなり少ないと思います」
「なるほど、冴えてるじゃない」
プラエが彼の背中を叩く。
「いえ、親方の義理の息子さんも、年に数度王都に仕事で泊まるらしいのですが、そういう仕事の方専用の宿泊施設があると聞いたのを先ほどの話の中で思い出しまして」
単身赴任用のマンションみたいなものか。それなら数も場所も限られるだろう。問題は時間だ。
「すでに荷造りを始めていたら、いつ王都を出るかわかりません」
もしかしたらすでに、という言葉はかろうじて飲み込んだ。一般人が街を出るのはかなりの準備が必要だし、何よりゲオーロの前では言えなかった。
「ムト君たちも今なら手が空いているはずです。彼らに声をかけて、探すのを手伝ってもらいましょう」
代わりに提案する。地図を作っていたムトなら街でそういう場所に心当たりがあるかもしれないし、ジュールやボブは独自の情報網でひっかかるかもしれない。彼らの助けは大きいはずだ。
「よし、宿まで走って暇人どもを呼んで来い! 通信機の使用も許可するわ!」
「はい!」
プラエの言葉を合図に、ゲオーロが全速力で道を駆けていく。
「引っ込み思案なゲオーロ君が、ここまで変わるとはね」
恋とは偉大だ。
「何年寄りみたいなこと言ってんの。あなただってまだまだ出来るでしょう」
「さて、どうでしょう。私がそれを許されるような立場でないのは、プラエさんはよくご存じのはずですが」
互いに、横目で互いの考えを読み取ろうとする。
「モンドだって言ってたでしょう。あなたは、気を使い過ぎなのよ。私たちはあなたを恨んでない。あなたが人並みに恋したり愛したりしても、誰も文句は言わないわ。ぐだぐだ言う奴がいたら特製の回復薬、回復しないバージョンをたらふく飲ませて黙らせてやるわよ」
「永遠に黙らせる気じゃないですよね?」
「冗談はともかく。今でも私はあなたの本当の目的には反対の立場よ。けれど、それとこれとはまた別問題じゃない? もっと人生を楽しんでいいはず。恋して愛して、あわよくばそれで考えが変われば、とか、ちょっと思わなかったわけではないけど」
「正直ですね。それを言うなら、プラエさんだって出来るはずです。すでに一人からプロポーズされているんですから」
「はぁ? 冗談はよしてよ。あんな貧乏人。言ったでしょ。私が欲しいのは、人のやることに口は出さずに金を出す相手よ」
そっちこそ冗談ばっかり、と言いかけて、はたと思いつく。
「・・・プラエさん。それ、もしかして私のことですか?」
彼女の研究には投資を惜しんだことはない。何を作っていても結果さえ出せば文句は言わない。
「結婚、します?」
「持ち帰って検討しておくわ」
にやにやしながら言うと、苦笑しながら彼女は取引先みたいな答えを返してきた。話が途切れたところで、ちょうど無線機から応答が入る。
「私たちも行きましょう」
「そうね。今は目の前の恋路の応援ね」
脇役としての役目を全うするとしようか。
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