第67話 分水嶺

「後、一匹・・・!」

 ペルグラヌスの頭部から飛び降りて、息を整える。体に付着したねばつく血を払いながら、片割れのもう一匹に視線を移す。白煙の壁を突き破り、ペルグラヌスが現れた。


 ブゥアアアアアアアアアア


 奴が咆哮した。ドラゴンの言葉がわかるわけではないが、怒っているのはわかった。仲間を殺されたためだ。

 昔見た映画で、恐竜にも仲間意識、家族意識があると言っていた。ケガした仲間の分の餌をとってくるとか、子どもを成長するまで保護するとか。


 そうか。


 忙しい時に限って、いま最も必要なこととは関係ないことが突然フラッシュのように意識を一気に埋め尽くす。

 なぜ高地に住むペルグラヌスが平地にまで足を運ぶのか。食糧問題、住居問題の他に、もう一つ。最も自然的ではない理由がある。

 その理由である証拠を裏付けるのが、プラエが聞いた音だ。彼女が連絡してきたタイミングでは、まだ『目の前』のペルグラヌスらは吠えてはいなかった。つまり、その音が奴らを呼び寄せた。

 『音』の正体とは何か。奴らが遠くからでも反応し、呼び寄せられる音といえば、そんなもの仲間の声に他ならない。どういう理由かはわからないが、アルボスで仲間の声がしたから、連中が現れたのだ。

 痛い目を見たはずなのに、どうして忘れていたのか。同じ手を他の誰かが使わないと、どうして思い込んでいたのか。

「撃て!」

 モンドの指示が飛ぶ。思考の海におぼれかけた私を引っ張り上げる。

「出し惜しみする必要はねえ! 撃って撃って撃ちまくれ! 動きを止めて、鱗をぶち抜いてやれ! もう少しで俺たちの勝ちだ!」

 カテナが射出される音、銃弾が放たれ鱗ではじける音が、ここが油断は即死につながるバトルフィールドであることを教えてくれる。そうだ。今は考えるときじゃない。

 再び足を前に出す。目標に向かって走る。ペルグラヌスの雄たけびが皮膚を叩く。奴の目が、私を捉えた。

 ぐぐ、と奴の四肢に力がこもる。足の筋肉が隆起し、体を屈めた。まずい。

「全員奴の前から退避!」

 叫ぶと同時、私もアレーナで横に飛ぶ。

 足元を暴風が吹き荒れた。全身のバネを存分に活かした突進は、中途半端に刺さっていたカテナを引きちぎり、レンガ造りとの建物を軽々と吹き飛ばし、城壁を突き崩した。なんて威力だ。さっきよりもスピードが上がっている。

 瓦礫が降り注ぐ中振り返ったペルグラヌスの視線の先には、私。完全にロックオンされている。再び奴が跳躍した。

 舌打ちしながらアレーナを伸ばして、体を掴んだ場所へと引き寄せる。背後をペルグラヌスが通過し・・・

 がりがりと、異音と地響きを立ててペルグラヌスが私の前で止まっていた。爪を路面に突き立て、急ブレーキをかけたのか。

「冗談、きついわ!」

 路地裏に体を滑り込ませる。これで直撃は避けられると一瞬気が緩んだ。

 ミシミシと横から建築素材たちの悲鳴が聞こえ、限界を迎えた。左側にあった建物が内側から破裂した。中から巨大な掌が現れる。

 ぬぅ、とゆっくりと掌が迫る。躱すこともできず、ただ迫りくる圧力を凝視していた。とっさにアレーナを盾にできたのは不幸中の幸い、と言えるだろうか。体の左側に壁が押し付けられる。体は浮き、自分の体がめり込んでいく。

 体が壁を通過した。すり抜けたのではなく、物理的に自分の体が壁をぶち破ったのだ。そのまま跳ね飛ばされる。

「団長!」

 ムトの声が遠く下のほうから聞こえる。飛びかけた意識を何とかつなぎ止めて、必死に視線を動かす。地面から数メートル離れた中空に自分が存在した。ペルグラヌスの腕で薙ぎ払われたのだ。幾重もの建物を間に挟んで、ようやく全身が砕けない程度の威力に収まったのだ。それでも体は動かない。トラックに撥ねられたようなものだ。痛みは数舜後に訪れるだろう。

 ゆっくりと、奴がこちらを見上げた。さながら私は、宙に投げられたピーナッツ状態か。私の落下軌道上に、あんぐりと開いた巨大なアギトが待ち受ける。逃れようと頭は必死で回転するが、いかんせん体が思考についてこれない。アレーナも思うように変化しない。魔力が上手くアレーナに供給されていない。私の魔力が尽きかけているか、さっきの一撃でアレーナに不具合が起きたか、その両方だ。

 ここまでなのか。真っ暗な闇を見据えながら、諦めがちらつく。志半ばで、偉そうに大言壮語を並べて、あっけなく死ぬのか。ドラゴンに、人間は、私は敗れるのか。

 視界の端で何かが煌めいた。私の、涙? いや違う。悔しさで泣くような、そんな殊勝な性格はとうの昔に捨てた。

 真下にあるペルグラヌスのアギトが、横に揺れた。真横から殴られたようにぶれ、私の軌道上から闇が逸れる。代わりに見えたのは鎖。カテナの鎖だ。それはペルグラヌスの頬に直結している。誰かが放ったカテナの鏃が、頬に突き刺さったのだ。口を開けたため、その部分の肉の厚みが薄くなった。しかも頬の鱗は薄く小さい。それも幸いした。私の体はペルグラヌスの顔の横を通過し、肩、腕とぶつかって転がり落ちた。死ぬほど痛いが、生きている。まだ私は生きている。

「団長を守れ!」

 モンドの指示に、数人の団員が危険を顧みず痛みにもがくペルグラヌスに近づき、私を担ぎ上げて退却した。

「団長、団長! 大丈夫ですか!」

 ムトが泣きそうな顔で私の顔を覗き込んでいる。痛みのせいで声が出ないが、何とか顎を上下させる。

「はっはぁ! 団長、無事かぁ!?」

 かすむ視界の向こうで、誰かが射出機を担いで現れた。

 テーバだ。頭から血を流し、片腕はプランプランして、満身創痍だが、彼もまた生きていた。彼が放ったカテナが、ペルグラヌスを縫い留めたのか。

「バカ野郎! 生きてるならさっさと戻ってきやがれ!」

 モンドが嬉しそうに怒鳴る。

「悪い悪い。でも。肝心なところで戻ってこれたんだから良しとしてくれや」

 言って、カテナの反対側を射出。ペルグラヌスの体が勢いに引かれ、体勢を崩す。

「畳みかけろ! 奴を簀巻きにしてやれ!」

 動きが止まったペルグラヌスに、団員たちが残ったカテナをこれでもかと放ち、ガリバーみたく体を封じていく。腕、足、胴体、首、場所問わず鎖が巻き付いていく。

「野郎ども、とどめだ。めった刺しにしてやれ!」

「「応っ!」」

 野太い声とともに、団員たちがペルグラヌスに群がる。カテナの隙間から、剣を、槍を、斧を叩きこむ。


 ブゥウウウアアアアアアアア!


 ペルグラヌスが悲鳴を上げ、最後のあがきとばかりにもがく。刺さっていた槍が抜け、近くにいた団員が吹き飛ばされる。

「くそ、死なねえ!」

「何て生命力だ!」

 吹き飛ばされても、弾き飛ばされても、団員たちは果敢に挑む。ペルグラヌスもまた、全身から血が流れていても、最後の最後まで生きるためにあがき続けている。

「ムト、君」

 私の体を肩で担ぎ、支えている彼に声をかけた。

「団長?! 大丈夫ですか?! 今すぐプラエさんのとこに行くんで、少し我慢を」

「私の、服の内側の、右の、ポケット」

 戦場から離れようとする彼を押しとどめて、伝える。

「右ポケット、ですか? いったい何が」

「いいから、早く」

 彼に探らせる。

「え、えっと、じゃあ、失礼します」

 顔を背けながら、ムトが懐に手を入れた。すぐに目当てのものを見つけたらしく、取り出される。ウイスキーなどを入れる、スキットル型の容器。よかった、破損していなかったか。

「これ、プラエさん特製の回復薬改!? まさか団長、まだ戦う気ですか!」

 別名生ゴミ濃縮味のするスライムゼリー。出来れば使いたくなかったが、四の五の言ってはいられない。団員たちが死闘を繰り広げているのに、自分だけが寝ているわけにはいかない。

「ちょ、無茶したらダメですって! これで回復するの魔力だけでしょう! 体の傷がすぐに癒えるわけじゃないんですよ!」

 口を開けて、飲ませろというジェスチャーに、ムトが拒否を示した。

「いいから」

「ダメですって! あとはみんなに任せましょう! みんななら大丈夫ですから!」

 確かに大丈夫だとは思う。勝ちは揺るがないだろう。けれど、被害が出ないとも限らない。獣も手負いからが手強い。命尽きる前の炎はより激しく燃え上がるものだ。仕留めるときは、手早く、一撃で急所を突くべきだ。今のみんなの手持ちの武器では、急所に届きにくい。ウェントゥスなら届くのだ。

「ムト君」

「う、う、ううううううう」

 私と、戦場と見比べ、葛藤し

 ガイン、と鈍い音がした。見れば、カテナの一部が外れている。勝ちは揺るがない、といったが、少々揺らいできている。手負いのドラゴンはさらに厄介だ。

「ムト!」

「わかりましたよ! わかりました!」

 スキットルの口を開け、私の口に当てる。彼の手が私の顎を支え、スキットルごと上に向ける。どろりとした液体が、口腔内を埋め尽くす。そうそう、これこれ、この味。たまらないな畜生! まずいとかじゃない。生理的に無理な異物が味覚と嗅覚を侵食し、脳を狂わせる。代わりに得るのは、腹の中がぽうと温かくなったような感覚。魔力として回復薬が変換された証拠だ。

 ムトの首から腕を外し、支え無しで立つ。くらりと足が崩れかけたが踏ん張る。立てる、ということは歩けるということ、走れるということ、戦えるということだ。

 一歩を踏み出す。引きずるようにして二歩目、三歩目と足を交互に前に出す。慣性が手伝い、徐々にスピードが上がる。ウェントゥスに魔力を通す。刃が輝き、風をまとう。こちらの動作に問題はなさそうだ。続いてアレーナ。やはり、魔力の通りが悪い。こちらが流し込む魔力が、少しずつしか流れ込んでいないので、変化するスピードが遅い。あと一回。あと一回変化すればいい。

 軋む右腕を伸ばす。その先のアレーナに魔力を通す。通りが悪いのを、通す魔力の量で押し流す。臨界点ぎりぎりだ。いつ故障してもおかしくない。

「お願い、踏ん張って」

 果たして、アレーナは私の意志をくみ取った。まっすぐに伸び、二階建ての建物の屋根を掴んだ。その斜め下にペルグラヌスがいる。私が求める動作をアレーナがなぞった暁には、放物線を描いて私は奴の顔あたりに落ちるはずだ。

 ウェントゥスを握る左手に力がこもる。体力も魔力も底をつきかけていた。感覚だけは鋭くなっていて、視界に映る何もかもがスローモーションのように見えていた。俗にいうアスリートのゾーンに入っている、というものだろうか。何だっていいか。奴を、ペルグラヌスを倒せれば。

 タイミングを計り、アレーナを一気に縮める。体にGがかかり、全身が軋んだ。歯を食いしばって耐える。痛みが意識を繋げていた。一秒かそこらの加速と角度のついた射出で、今度は自分の意志で宙を舞った。全てがスローの中、ゆっくりと落ちていく私と、カテナの拘束を振りほどいたペルグラヌスが再び相対した。巨大なアギトを開き、こちらに向かって腕を突き出してくる。対して、私はウェントゥスに残存する全魔力を流し込み、腰だめに構えた。

 相対距離が狭まっていく。

 視界の端に、団員たちが見えた。モンドがいた。テーバがいた。私とともに地獄を歩いてくれる皆がいた。目的地はいまだ遠く、道のりは険しく、視界は利かない。けれどもこれだけはわかる。ここが、この一戦が私たちの分水嶺だ。一つの区切りだ。乗り越えなければ、道はない。

「私の!」

 ペルグラヌスの巨大な手が伸びてくる。長く鋭い爪が迫る。

「私たちの! 邪魔を!」


「するなァああああああああああ!」


 ブゥァアアアアアアアアアアア!


 交錯する爪と刃が朝日で煌めく。アルボス史上最も長い夜が、終わりを告げた。




 領主の館で仲間たちを待つプラエとギースは、騒音が収まっていることに気づいた。戦いは終わったのか。いてもたってもいられず、プラエは小走りに外に出た。ギースも後に続く。

 朝日が瓦礫の隙間から差し込み、昨日とは違う街の姿が広がっている。東側は特にひどく、城壁は半分ほど失われていた。

 規則的な音がプラエの耳に届いた。振り向く。

「お待たせしました」

 薄く朝もやのかかる中、両肩を支えられたアカリが、プラエに向かって片手を上げてみせた。

「お約束通り、全員無事、とは言い切れませんが、なんとか生きてます」

 傭兵団アスカロン全団員が、にっ、と笑って力こぶを作った。

「上々よ。生きてりゃ何とかなるんだから」

 おかえり。そう言ってプラエは仲間たちを出迎えた。

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