昼頃-1

「あの……すみませんっ!」

 奥に向かって声を掛ける。

 誰もいないフロント。

 静寂に包まれた薄暗い室内。

 少し待っても返事は来ない。

……誰も……いないの?

 バッグを掛け直し、周りを見回す。

 目の前には白いカウンター。

 その奥にドアがある。

 ドアには【部外者立入禁止】とプレートが掲げられていて、その下に禁煙マークのステッカーが貼られていた。

 カウンターを目の前に、左側はすぐに壁があり、大きい嵌め殺しの窓が二つ付いている。

 右側は広いスペースがあり、背凭れの付いた木製のベンチが一つ置かれ、壁には左側と対称の位置に同じ型の窓が備わっている。

 奥の壁には、ベンチと向かい合うように、自動販売機が二台設置されていて、入り口側の壁には〈SICマンション・タイプWB〉の案内図が大きく掲示されていた。

……ちょっとしたロビー、ってとこね……。

 バッグから携帯を取り出すと、カウンター奥のドアを一瞥して、ベンチに向かう。

 携帯を操作しながら、ベンチに腰を下ろすと、バッグを横に置き、髪をかき上げた。

……ちょっと、早かったかな……。

 携帯のメモ機能を起動させ、昨日の電話の後に登録したメモを確認する。


『十二時 管理棟 フロント かわもと』


 続けて、ディスプレイの上方に表示された時刻を確認すると、軽い溜め息を吐いて、携帯をバッグに戻した。

……あと……五分ぐらい、かな……。

 髪を両手で撫でつけ整えながら、目の前の自動販売機をぼんやりと眺める。

 それぞれメーカーの違う、二台の自動販売機。

 どちらも、ありきたりのラインナップ。

 あらゆる所で見かけることができる、ありきたりの販売機。

……缶が、100円切ってる……。

 目を引く所と言ったら、値段ぐらいかな。

 販売機から視線を外し、後ろを振り向いて壁の案内図に目を移す。

 右上に画かれた小さめの建物が、赤い文字と矢印で【現在地】と示されている。

 今、私がいる場所。

 画かれた建物の真ん中あたりに、その建物の名称が記されているみたいだけど……。

 ここからでは文字が小さすぎて、うまく読み取れない。

 三文字であることはかろうじて分かる。

 おそらく、管理棟と書いてあるんだと思う。

 その隣に画かれた、大きな建物。

……どっちかな……。

 〈一号棟〉か〈二号棟〉か……。

 背凭れに手を掛けて身を乗り出し、目を細めて、その建物に記された文字を凝視する。


ガチャッ!


 カウンターの方から突然の金属音。

 心臓が跳ね上がると同時に、反射的に振り向く。

……ドアが……。

 カウンター奥のドアが開かれ、青い作業服を着た男の人が出てきた。

「……何か?」

 その男性は私と目が合うと、一瞬、視線を外し、また戻して面倒くさげにそう言った。

 四十代ぐらいかな。

 白髪混じりでボサボサの髪に、無精髭。

 気力のない目をした中年男。

 その表情は何もかも面倒だと言いたげに見える。

 この中年男はカワモトさんではない気がする。

 電話でのイメージが違いすぎる。

 だけど、とりあえずは……。

「あっ、えーと……カワモトさん、ですか?」

「……違うけど」

 中年男は後ろ手にドアを閉めながら、ぶっきらぼうに答えてくる。

 機嫌が悪いのか、何なのか。

 嫌な感じ。

……やっぱりね……このオッサンがカワモトさんだったらビックリだわ……。

 内心で溜息を吐きながらバッグを手に取り、立ち上がる。

「そう、ですか。カワモトさんと約束があるんですけど、いらっしゃいますか?」

「いや、戻ってない」

 中年男は視線を逸らし、投げやりに答える。

 誰にでもこんな態度なんだろうか。

 正直、あまり話を続けたくない。

「私、田中と言います。ここで、待たせてもらっていいですか?」

「田中……ああ、カワモトさんから聞いてるよ」

「えっ?」

 中年男が吐き捨てるように答えた言葉。

 その予想外の内容に、思わず声を上げてしまった。

「身内の部屋を開けるって話だろ?」

 中年男は不機嫌そうな口調でそう言って、睨むように私を見据える。

「え、ええ……はい、そうです……」

 不意を衝かれたように、返答が詰まってしまった。

 なんだか怒られているような気分。

 意識しないようにしていたけど……。

 この中年男に対する不快感が増してきているのが分かる。

……何で、こんな気分にならなきゃ……。

 視線を下に落とし、バッグのベルトを強く握る。

 兄の部屋に行きたいだけなのに、この無愛想な対応。

 目の前の中年男に敵意を抱いてしまいそう。

「そうか……アンタが……」

 中年男はそう呟くと、自分が出てきたドアを開け、奥に入っていった。

……え? ……どういう、こと……?

 意外な展開に拍子抜けしてしまう。

 あのまま、嫌味や罵声でも浴びせられるんじゃないかと身構えてたんだけど……。

……戻ったのかな……てゆーか、何なの……?

 閉まったドアを見つめ、何とも言えない感覚を抱いて立ち尽くす。

 戸惑いといらつき、そして、僅かな安堵が入り混じった感覚。

 不快なことに変わりないが、少しホッとしているのかな。

……カワモトさん……早く戻ってこないかな……。

 バッグをベンチに置き、再び座ろうとした時。


ガチャっ!


 また、ドアが開いた。

 ベンチに座ろうとする態勢のまま、動きを止める。

 出てくるであろう人物に、少しの期待と大きな不安を感じながら、ドアに注目した。

……やっぱり……やれやれ、ね……。

 溜め息を吐いて、ベンチに座る。

 期待を裏切ってか、予想通りというべきか。

 先ほどの中年男が出てきた。

 しかし、様子が違う。

 ダンボールの箱を両手で抱え、脇に黒い鞄を挟んでいる。

「これ、預かり物だから」

 カウンターにダンボールと鞄を置き、顎で指しながら、そう言った。

……預かり物? ……誰の? ……私の?

 頭の中に疑問符がいくつも浮かぶ。

 どういうことだろう。

 預かり物。

 誰から預かったのか。

 もちろん、私は預けてない。

 ここには初めて来たんだし、当たり前ね……。

 単純に考えれば、カワモトさんからの預かり物ということになるかな。

 カワモトさんが、私に渡そうとしていた品物。

 そう考えるのが妥当。

「えーと……私が受け取る……ですよね?」

 立ち上がり、ゆっくりとカウンターに向かいながら、おそるおそる尋ねる。

 どうやら、この中年男に対して拒否反応が起きているよう。

 そのせいなのか、意味不明な預かり物のせいなのかな。

 なんだか、頭がうまく回らない。

「ああ、アンタの身内のだからな」

 追い打ちのように、さらなる疑問符が頭の中に放り込まれた。

 カウンターの前に立ち、右手で左の二の腕を掴みながら、預かり物を眺める。

……身内の? 

 兄さんの物ってこと? 

 兄さんが預けたの? 

 どういうこと? 

 私が来る事を知っていた? 

 いやいや、そんなわけない……じゃあ、なんで? 

……わからない……。

 思考が鈍くなり、頭にモヤが掛かり出す。

 どうにも不可解すぎる。

「忘れ物、と言うより、落し物だな」

 中年男は気の入らない口調でそう言った。

 私の心を読み取ったのか、よっぽど表情に出ていたのか、更なる情報を教えてくれたよう。

「ああ、そうだったんですか……なるほど……」

 兄が落とした物。

 落としたのはいつ?

 この鞄を落としたのは……。

 そして……。

 徐にダンボールの中を覗き込むと。

……コレ? ……何?

 蜜柑箱ほどのダンボールの中は、紙切れで埋まっていた。

 チラシの山。

 何となく、想像がつきそう。

「郵便受けの中身だよ」

 中年男が疲れた声で、想像通りの情報を伝えてきた。

……やっぱり、ね……約2ヶ月分の紙の山ってわけね……。

 どうやら、頭のモヤが取れ、思考が元に戻ってきてるみたい。

 ダンボールの中身はわかった。

 だけど、鞄は何なのか。

 兄が鞄を落としたのなら、取りに来るのでは?

 このフロントに届けられてることを知らなかったのかな。

 そもそも、兄の鞄だと分かるなら、なぜ届けなかったのか……。

 いや、届けることができなかった。

 そう考えた方がしっくりくる。

 そうなると、この鞄が届けられたのは、兄の死後、かな。

 もしかしたら、死んだその日に、ここに届けられてたのかもしれない。

「これは……誰が、届けてくれたんですか?」

 鞄に手を置き、質問する。

 本革だろうか、滑らかな手触りに少しの心地良さを感じる。

「さあ? それは聞いてないな」

 中年男の答えにがっかりはしたけど、希望は潰えてない。

 これを受け取ったのが違う人だっただけ。

 それに、話の流れからすると、カワモトさんだったら知っているような気がする。

……カワモトさんに、会わないと……。

 心にそう決めると、一つ息を飲んで、目の前の鞄を両手で持ち上げる。

 意外に軽い。

 中身が入ってないのかも。

……中身を確認してみようかな……。

 鞄を右手に提げ、ベンチに向かう。

「おい、行くぞ」

 ベンチに置いたままになっていた私のバッグの横に、持っていた鞄を置いた瞬間。

 背後から不機嫌そうな声を掛けられた。

 振り向くと、中年男が入り口の前に立ち、こちらを見据えている。

 チラシの入ったダンボールを両手で抱えて……。

「え?」

 またまた頭の中に疑問符が浮かび上がる。

「部屋を開けるんだろ?」

 そう。

 部屋を開けてもらうために、ここに来た。

 だけど……。

 カワモトさんに案内してもらう約束。

 この中年男ではない。

 カワモトさんはまだ戻らないの?

 他にスタッフはいないの?

 どういうこと?

 この中年男は嫌だ。

 どうしたら……。

「……あの、まだ――」

「行くぞ」

 私の言葉を待たずに、中年男は面倒くさそうな表情で外に出て行った。

……何なの……もしかして……厄日?

 額に手を当て深々と溜め息を吐くと、バッグを肩に掛け、鞄を胸の前で抱きかかえる。

「やれやれ、ね……」

 前髪に息を吹き掛け、そう呟くと、中年男の後を追った。

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