第16話 究極の大作
う、うう。気になって、一人すごろくが手につかない。
僕の席は窓際の一番後ろにあるのだけど、雨宮さんの席は隣の列の前から二番目。つまり、彼女の後ろ頭を見るに最高のポジションに僕の席がある。
ここまではいいだろうか。
彼女の後ろ頭が見えるから、落ち着かないんだ。
だって、雨宮さんは授業が始まる前に髪留めを黒猫に付け替えたんだよお。これが落ち着いていられるかって。僕が触れたあの髪留めを雨宮さんがつけているんだぞ。
しかし、手慣れたもんだなあ。ちゃんと結び目の上側に猫が来るように装着している。僕なら髪留めを装着することさえできないものだから、器用さに尊敬する。
ソワソワしていると、あっという間に一時間目が終わる。
とスマートフォンが揺れたあ! 普段動かないこいつが仕事をしているとびっくりして心臓が高鳴ってしまう。
休み時間が終わる前に見ておいた方がいいな……みんなこんな時どうしているんだろう? お昼まで触らないのかなあ。
『似合うかな。ありがとう、ようへいくん』
雨宮さんからだった。いつの間にメッセージを送ったんだろう。スマートフォンから目を離し、顔をあげるとこっちをちらりと伺う雨宮さんと目が合った。
僕は親指をグッと突き出すことで彼女へ「似合ってるよ」と念を送る。すると、彼女は口元に僅かな笑みを浮かべ、すぐに前を向いた。
こういうのって妄想の中だけのもんだと思っていたから、実際起こると舞い上がっちゃうなあ。女の子と目配せしてにこーなんてさ。
感激していたらすぐに二時間目が始まる。よ、よおし、テンションがあがってきたところで、物凄いすごろくを作ってやるぜ。
いつもはちゃちゃっと作ってすぐに鉛筆サイコロを振り始める僕だったが、この時は違った。お昼になるまでずっとすごろくを作り続けていたのだ。
これは……今までにない大作だ……我ながらよくできたものだと感動してしまった。
「松井くん、古池に行かない? 鈴も来るって」
「う、うん。行こうか」
ぐ、雨宮さんが僕のノートを凝視しているじゃないか。み、見られてしまった。
彼女は僕の大作について何も言おうとはしない。生暖かい優しさが僕をますますへこませる。「ダメだよ。松井くん、授業中に遊んでたら」とか言ってくれたら、「そうだね」って言えるのに。
すごろくのことで頭が一杯だったが、何やら周囲が少しざわついている。
そらそうだ。究極のステルススキルを持つ僕の席の前に氷の美少女が立っているのだから。それも、彼女は机の上に両手を置いて少し乗り出しているんだからさあ。
今更、気にしても仕方がない。今日でループは最終日だ。つまり……この件で何かと噂になることを心配しなくてもいいのだ。
気持ちを切り替えて、何事もなかったかのように大作の描かれたノートを閉じると立ち上がる。
お弁当を持って、ちょ、雨宮さん、手、手はまずい。周囲の目ってもんがあるじゃないですか。
「あ、雨宮さん。みんなが……」
「男の子って本当に恥ずかしがり屋さんなんだね。えへへ」
納得したように手を口元にやり、雨宮さんと肩を並べて教室を出る。
漫画か何かで読んだことを僕で試そうとしたんだろうか……雨宮さんは元々目立つからいいだろうけど、僕はもし明日からがあるなら……ちょっときついかも。
いや、決して雨宮さんと手を繋ぎたくないってわけじゃあないんだ。
「松井くん、そこで立ちどまると危ないよ」
「あ、うん。え?」
確かに、廊下で考え事をしていた僕が悪い。で、でも、手を引かないで……。
さっき自分でも言ってたじゃないか。「恥ずかしがり屋さん」って。も、もういいや。ここまで来たら挙動不審になるより、自然な動作で……そう、妹と手を繋いでいるように。
ってできるか。
一人突っ込みしているうちに古池が見えて来たから、岩切さんに見られる前に手を離す。
◆◆◆
「昼過ぎから雨の予報でしたが、カンカン照りですね! 雨が降れば少しは涼しくなるんですけど」
岩切さんはニコニコしながら、おにぎりをほうばる。
「そうだね。この分だと雨は降らなさそうだね。ね、松井くん」
雨宮さんは花が咲くような笑顔で僕へ目配せする。
「え、あ、う、うん」
「どうしたんですか? 洋平先輩?」
「え、あ、あの、雨宮さんの笑顔が」
「綺麗ですよね! 雨宮先輩! 最近、笑顔が素敵になったんですよ! 見とれるの分かります!」
岩切さんは男前な感じでグッと拳を握りしめる。
「そ、それは……洋平くんが……」
「へえ、洋平先輩のアドバイスですか! ふうん」
岩切さん、そのニタニタ笑いはやめてくれないか。雨宮さんも岩切さんの前だと僕の名前を下の名前で呼んでくれるのか。岩切さんもいつの間にか同じように呼んでいるし……。
彼女はさっぱりした感じだもんなあ。その辺恥ずかしいとかこだわりとかは無さそうだ。うん。
「で、でも、まだ恥ずかしくてなかなか……ね」
雨宮さんはコテンと首をかしげるのだった。大げさであざとい仕草だと思うけど、彼女なりに表情を出そうとしているのが見て取れるから、僕は見惚れてしまう。
「は、はやく食べないと。昼休憩が終わっちゃうよ」
二人から顔をそむけ、誤魔化すように早口で僕はそう言うのだった。
◆◆◆
午後の授業中は午前中に作った大作の修正を行う。僕はディテールにこだわるのだ。
ようやく納得のいく物が完成したと同時に終業のチャイムが鳴った。
「本当に晴れたね、洋平くん」
「うん。言った通りだろ?」
雨宮さんが席にやって来て、窓の外を指さす。
うん、僕が晴れると言ったら晴れるのだ。ははは。あ、いや。この三日間はずっと晴れなんだけどね。何度もやってるもんで……。
教室を出て校門のところまで二人で来ると、僕は雨宮さんへ声をかけた。
「じゃあ、小暮港駅前でいいかな?」
小暮港駅は名前の通り、あの小さな港があるところの最寄り駅になる。
場所の下調べはバッチリだ。どこに夜光虫が出現するかまで把握済みだ。
「うん。制服だとまずいから着替えてきてね」
「そうだね。補導員さんがいるかもしれないし」
ん、雨宮さんが何か言いたそうに口ごもっている。こういう時はきっと……。
「大丈夫だよ。雨宮さん。ジャージ以外の服も持ってるから!」
「そ、そう。そうだよね。じゃあ、また後でね」
どうやら図星だったようだ。あせあせする姿も可愛いなあ。僕だって普通の服くらい持ってるさ。ジャージが動きやすいだけなんだって。
◆◆◆
あああああ、緊張してきたああ。
僕は今、小暮港駅の改札出口にいる。こ、こんなことなら約束の時間ギリギリに来るんだった。
時刻は現在十七時五十分。雨宮さんとの待ち合わせまであと十分残っている。僕はというと、家に帰って超速でここまで来てしまったのだ。
焦り過ぎだろ……僕。
「洋平くん! 早いんだね」
「雨宮さん」
思わず目を見開いてしまった。
だって、学校で見る彼女のイメージと余りに違っていたのだから。
右側に髪をまとめて黒猫の髪留めで括って、伸びた髪はふわふわとしている。紺色の膝丈のノースリーブのワンピースに白の七分丈のカーディガンを上から羽織っていた。
足元も膝上まである黒の薄手のソックスに麦わらパンプス。
破壊力が抜群過ぎて言葉が出ない。
僕はといえば、白のTシャツにジーンズ、スニーカーという姿なんだけど……いいのかな、これで。
「洋平くん、私服の方がカッコイイかも」
「え、そ、そうかな」
お世辞でもそう言ってくれると隣を歩けるよ。
頭に手をやり微妙な顔をしていると、雨宮さんは僕の手を引き前を向く。
そ、そんな手軽に手を繋がれると戸惑ってしまう。彼女は僕と手を繋ぐことをどう思っているんだろう? 犬によーしよしとやる感覚なのだろうか? それとも。
「洋平くん、行こう?」
「う、うん」
戸惑いながらも僕は雨宮さんと手を繋いだまま港へ向かうのだった。
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