第487話 耳(1)耳切り

 出産直後の嫁と新生児を眺め下す姑と夫。そこには、労りも喜びも無かった。

「うちの家系は、皆、こういう福耳なんだよ。それが、なんだい?」

 新生児の片耳は、奇形だった。

 と言っても、気にする程ではない。母胎の中で押さえていて耳が少し折れた形になったりするのはよくある事で、これなら、柔道で耳が変形する方が余程目立つというくらい、わからないものでしかない。

 何より、姑の言っている事は、難癖をつけたいが為の粗捜しであるというのは見え見えだ。冷静な時なら、そう思っていた筈だ。

 だが、出産直後の不安などから、彼女は冷静ではなかった。オロオロと、唯一の味方である筈の夫にすがるような目を向ける。

「あなた……」

 しかし夫は、肩を竦めて苦笑した。

「仕方ないな。我が家の耳じゃない。別れようか。後を継げる子を産んでくれなかったから、まあ、ね。残念だけど。元気でね」

 笑って言い、姑も、初めてそこで、満面の笑みを浮かべた。

「そんな……」

 最高の幸せになる日だったのに、最悪の絶望の日になってしまったのだった。


 下井さん認定の署の近くの定食屋は、流石に、量、味、良かった。

「生姜が効いてて、好きな味だな」

 御崎みさき れん。高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった、霊能師であり、新人警察官でもある。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「俺はここのカキフライが好きだな」

「俺はカツ丼」

 下井さん、桂さんも、自分の一押しメニューを言いながら、嬉しそうに食べている。

 美味しい物を食べている時、怒る人はいない。怒っていても、怒りは中々持続しないか、美味しさが感じられないかのどちらかになる。

 ここは、味も量も値段もいいのに、看板が目立たないせいか、客が表に並ぶほどには来ない。僕達警察官としてはありがたい店だ。

 真っ先にそばと天ぷら丼を食べ終えた黒井さんは、満足そうに椅子の背にもたれて、テレビに目をやった。

「ああ。生まれたのか」

「ん?ああ。二世議員と元女優の」

 親子丼の最後のご飯粒をかき集めながら、桂さんがチラッと目をテレビに向ける。

「爽やかなイケメンと美人女優って、結婚の時も騒ぎが凄かったなあ。社会部以外のマスコミまで国会議事堂に押しかけるもんだから、警備の連中が大変だったらしいですよ」

「今度は子供か。まあ、病院に押しかけはしても、こっちは大丈夫だろう」

 桂さんに、黒井さんは呑気にそう言った。

 そこで、下井さんがさらっと訊いて来る。

「係長、美里様とどうなんです?」

「うん。どうしようかと――はっ!」

 やられた!と気付いた時は、面白そうだと目を輝かせた3人に注目されていた。

「ええっと、その、深い意味は無くて、だな」

「そうなんですかあ?」

「……取り調べのスキル使うの、やめようよ」

「ちっ。下井。最後までさらっと喋らせないと。見ろよ。平然として動揺すらしてないぜ」

「ウス。まだまだ修行が足りないですね」

「十分だから。最後って何」

 僕も食べ終えて箸を揃えて置き、「ごちそうさま」と手を合わせ、お茶を啜りながら内心の動揺を鎮めた。

 僕は元々、世界に数人という週に3時間も寝たら済む無眠者という体質と、感情が表情に出難いという特徴がある。内心ではドキドキしているのだが、皆には、わからないらしい。

 と、桂さんのスマホが着信を示して震え出した。

 すぐに出て、少しやり取りをした桂さんは、短く小声で言う。

「入電です」

「よし、行こう」

 僕達は警察官の顔になって、立ち上がった。

 署に急いで戻りながら、桂さんが小声で補足する。

「男性が耳を切り取られて、救急搬送されたそうです」

「耳?切り取った?」

 訊き返し、下井さんが痛そうに自分の耳を手で覆う。

「何か、続きそうな予感がするなあ。面倒臭い」

「……係長の『面倒臭い』予感は当たるんだよなあ」

 下井さんが、観念したように嘆息した。




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