第466話 新任警部補・御崎 怜(2)立てこもり
署の管内には企業や首相官邸、国会議事堂や靖国神社などがあり、夜はそんなに人は多くない。それでも、野次馬などで、現場周辺だけは混んでいた。
僕達は、男が立てこもっているというレストランを見ながら、詳しい話を当直だった下井さんから聞いた。
「容疑者はミケーレ。あのレストランに突然入って来て、『妻がここにいる筈だ。出せ』と言ったそうです。別れた奥さんがあの店で働いているんですが、今日は休みでいませんでした。それで、『呼んで来い』と言って、立てこもっているそうです。
あの人が、オーナーシェフのミゲルさんです」
少し離れた所では、南米風の男性が頭を抱えて片言の日本語で警官に
「妻を助けて。お願い」
と言っている。
そして、型通りに慰められると肩を落とし、かかって来た電話で話し始めた。
「ポルトガル語かあ」
「わかるんですか、係長」
「あ、うん」
「じゃあ、頼みます。詳しい事を聞こうにも、片言の日本語で、英語もだめだし」
皆とミゲルさんの傍に行って、知人から心配してかかってきたらしい電話を終えたところで声をかけた。
「こんばんは。警察の御崎 怜と言います」
ポルトガル語に一瞬目を丸くしたミゲルさんだったが、これで通じると分かった途端、マシンガンのように話し始めた。
「妻が人質になっているんです。どうか無事に助けて下さい。妻はとても繊細で優しい女なんです。何かあったら俺は、ああ……!」
「しっかりして下さい。全力を尽くしますからね。その為にも、色々とお話を訊かせて下さい」
「何でも訊いて下さい。何でもします」
店の中の間取りやミケーレとその元妻斉木マリエさんの事などを聴いて、それを通訳していく。
なぜか当たりのきつい益田さんが、舌打ちするが。
それによると、ミゲルさんもミケーレさんもブラジル出身で、ミケーレさんは旅行でブラジルを訪れていた斉木マリエさんと電撃婚をし、日本へ来たらしい。
ところがなかなか仕事が見付からず、見つけても続かず、今年の春先、とうとう離婚となったそうだ。
しかしミケーレさんは未練タラタラで、今晩ここへ酔って押しかけ、『妻を出せ』となったという。
「今日は休みと言っても聞かないで、それなら連れてこいって、立てこもったと」
下井さんは溜め息をついた。
「係長。元奥さんが到着しました」
五日市さんが言い、皆、少し驚いた。
「え、来てくれたのか?」
黒井さんが言うと、パトカーの中から不機嫌そうな顔を覗かせて、女が怒ったように言う。
「別れた旦那がオーナーの奥さんを人質にしたと聞いたら、もう無関係ですとは言えないじゃない」
「お話を聞かせて下さい」
僕達は、そちらに集まった。
斉木マリエさんは、学生の時にミケーレと出会い、その時は、明るくて情熱的で愛してるとさんざん言ってくれる南米男がカッコよく見えたらしい。それで、結婚したという。
「でも、向こうでは仕事が無くて、日本で暮らす事にしたんですよ。
最初は、言葉が通じないからなかなか仕事が見付からないのも仕方ないと思ってたんです。でも、同郷の人の店で働き始めても、なんだかんだで続かないし。働かないで家でブラブラしているのに、仕事を探すわけじゃない。家事をするわけでもない。お小遣いを持って出かけて、渡さなければツケで飲むし。夜はやたらと友達を呼んで毎晩のように宴会するんですよ。いい顔ばっかりして。
やってられないわ。無理。そう思って、離婚したんです」
斉木さんは一息に行って、ふう、と息を吐いて腕を組んだ。
「向こうには、友達を呼んで目下の者に食事などを振る舞うっていう風習がありますからね」
言うと、桂さんは、
「国際結婚って難しいなあ」
としみじみと言い、斉木さんは、
「ここは日本よ」
とむっつりと言う。はい、ごもっともです。
「説得なんて無理です。解放するからこっちに来いとか、元のさやにとか、もっと無理」
斉木さんの言葉に、皆、そりゃそうだよな、と納得する。
「桂さん、どうしましょう。窓際にでもおびき出して裏から突入とかいうのがパターンですか」
桂さんは唸った。
「そうですねえ。そんなところでしょうか」
「もっと飲まして酔い潰して突入とかはどうです?ヤマタノオロチ作戦」
「あはは。係長、面白いな」
黒井さんにはうけた。
「とにかく、説得を試みてみましょう。斉木さん。『とにかく、落ち着かない事には話にもならない、出て来なさい』という線でお願いします」
「わかりました。言うだけは言ってみます」
なかなか、協力的だ。
声が届くか届かないかという所で話しかける。
「ミケーレ」
「マリエ!」
「落ち着かない事には、何の話もできないわ。奥さんを離して、早く出て来なさい」
「ええ?よく聞こえないけど?」
「だから、出て来なさいって」
「マリエが来いよ」
「あんたが来なさい。話す義理がないのに私は譲歩してここへ来たんだから。あんたも譲歩しなさい」
ミケーレも、ナイフを突きつけられている女性も、耳を澄ますようにしている。
そして、2人で、
「出てこいって言ってるみたいよ」
「その後がよく聞こえなかったなあ」
「まあ、出てこいって事じゃないの」
「まあ、そうかなあ」
などと言っている。
オーナーシェフ夫人は、肝っ玉母さんとでもいうのか、あまり怖がっている様子はなく、どっしりしていた。繊細だとかなんと言っていたが、恐怖のせいでパニックを起こしてどうこうという心配はなさそうだ。
「聞いてくれ、マリエ。仕事なら見つけたんだ。ちょっと荷物を運ぶだけで1件1万円。凄いいい仕事だろう」
聞いていて、僕と斉木さんは心配になった。
「え、その仕事大丈夫?危ない物じゃないんでしょうね。関係ないけど」
僕も桂さん達に通訳したら、皆、
「ヤクのデリバリーとかじゃないのか」
と眉を寄せた。
「その仕事の雇い主って誰ですか」
「おお、ポルトガル語話せるのか!」
「いいから。誰です?」
僕は、途端に嬉しそうな顔をしたミケーレに言う。
「山田太郎」
全員、
「偽名だな」
「偽名ね」
と嘆息した。
「でも、おかしいんだ。運んだら、なぜか警官に追いかけられて」
やっぱりな。
「だから、うかつにここは出ない!」
「……ミケーレ、それじゃあ解決しませんよ」
「何とかしてくれ」
僕は斉木さんを見た。
「こういう人なのよ」
「ああ。面倒臭い事件だ。わかりました。そこに行ってみます。雇い主の事を教えて下さい」
僕は半分やけくそになって言った。
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