第226話 血族(1)消えた傷

 急ぎ足で、職場へ向かう。昼休み、久しぶりに屋台のカレーが食べたくて公園へと行ったのだが、混んでいたのとつい良い天気でのんびりしてしまったのとで、ぎりぎりになってしまったのである。

 おまけに、急ぐあまりに転んで、膝を擦くという、何年かぶりの失態だ。恥ずかしいったらない。

 美雪は近道を通って、勤務先の病院裏まで来た。

 ホッとしたのもつかの間、もの凄い音がして、とにかく首を竦めた。

「何、何、何?」

 辺りを見回すと、壁に激突してひしゃげた車と、車と壁の間に挟まってグッタリしている人がいた。その人はそれだけでなく、胸に運悪く、干してあった傘が突き刺さっている。

「きゃあああ!!大変!!」

 美雪は慌てて近寄って、その人の血まみれの首に触った。脈は感じられない。

 被害者の体がズルリと体が滑って地面に横になり、広がる血だまりに両膝を突いて、心臓マッサージを行う。

「手伝って下さい!」

 車の運転席に目を向けると、誰もいなかった。

「ひき逃げ!?」

「何の音!?ワアッ!!」

 何事かと出て来た看護師が、目を剥く。

「事故です!先生を!」

 流石は救急病院裏。あっと言う間に被害者はストレッチャーに乗せられて運ばれて行ったが、その時点で心肺停止しており、結局、そのまま亡くなったと後から聞いた。

「そう。あのケガですもんね」

 言って、下を向く。

 そして気付く。転んで擦りむいたケガが、影も形も無くなっている事に。


 夕食の片付けを終え、リビングへオレンジケーキを持って行く。

「オレンジのケーキ、焼いたよ」

 御崎みさき れん、大学1年生。高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった、霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「オレンジか。ああ、旬だな」

 御崎 司。頭脳明晰でスポーツも得意。クールなハンサムで、弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の頼れる自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。警察庁キャリアで、今は警視庁警備部に所属する警視だ。

 テレビに目をやると、蚊の駆除だとか、デング熱だとか言っている。

「こっちも、季節になってくるね」

「蚊か。うっとうしい」

「蚊で思い出した。今、吸血鬼の噂があるよね」

「吸血鬼?」

「うん、そう。階段から転げ落ちて血まみれになったのに、ペロリと血をなめたらケガが治って、スタスタと立ち去ったとか。それで、不死身の吸血鬼って」

「不死身の吸血鬼ねえ」

「まあ、出血の割に大したことが無かっただけだろうけど」

 笑ってナイフをケーキに入れようとしたところで、電話が鳴り出した。兄のスマホと僕のスマホ、両方だ。

「何だろう。また何か面倒臭い事件かな」

 言いながら、電話に出る。そして、同じ案件に関わる事となった。警察から霊能師協会に協力依頼があり、それが僕に割り振られて来たのだ。

 うちの隣の隣にある協会のセーフティハウスに来ると言うので、着替えて待つ事となった。

 まず着いたのは、直だ。

 町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。

「霊絡みなのに、陰陽課じゃないんだねえ」

「そうなんだよ。兄ちゃんのとこだろ?何だろうな」

 気になるままに待っていると、到着する。

 警官に囲まれて、兄と同年代くらいの女性がやって来た。

「御崎君?」

 彼女は、兄を見て目を丸くした。


 真柴美雪さんについて来た警官が、事故を目撃した事、その後、被害者と思われる霊が現れて棚を倒したりして狙って来た事、それとは別に、人間が物理的に、歩道橋から突き落とそうとしたらしい事を説明する。

「運転手は」

「ひき逃げです。そういうわけなので、幽霊、人間、どちらからもガードする事になりました。よろしくお願いします。

 御崎課長、ちょっと」

 そして、廊下の端で、こそこそと何やら話している。

「ええっと、御崎 怜です。兄とややこしいから、怜でいいですよ。よろしくお願いします」

「町田 直です。ついでなので、直でいいですよう。よろしくお願いします」

「真柴美雪です。病理医なの。よろしくお願いします」

 美雪さんは、絶世の美女というわけではないが、にこにこと感じが良く、優しそうでありながら、芯が強そうな人だった。

「兄のお知り合いだったとは、偶然ですね」

「知り合いって言っても、私の友人が御崎君とも友人だったというだけで、私は実際に喋った事なんて2回しかないのよ。一回目は『こんにちは』、2回目は『ありがとうございました』」

「へえ」

 相槌を打った時、ぐうぅ、とお腹が鳴った。

「あら、恥ずかしいわ」

「あ、オレンジケーキ焼いたんです。一緒に食べませんか」

「いいの!?食べる!」

「ちょっと取って来ますね」

「え、取って来る?」

「怜ん家、隣の隣なんですよう」

 僕は後を直に任せて、ケーキを取りに戻った。






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