第120話 未来・怜(3)人あっての国
地面の上に転がって息も絶え絶えの僕を、師匠は覗き込んだ。
「筋は悪くないんだがなあ」
「ありがとうございます」
「まあ、無駄な筋力はいらん。体力と、駆け引きと。実践では卑怯もクソもないから、どこでもバンバン狙えばいい。土方さんなんか、平気で膝を狙って来るしな」
「はい」
何とか起き上がって、息を整え、木刀を構える。
「お願いします」
「ん」
師匠も、静かに木刀を構えた。
あれから、僕はお侍さん改め師匠に、剣術の指導をしてもらっている。とにかく、強い。息も乱さず、涼しい顔で、思った以上に木刀をこっちに突き込んで来たり、ヒョイと変なところを狙って来たり、翻弄されっぱなしだ。
家の中では稽古などできず、かと言って外では、誰かに見られたら、僕が1人で、素振りして転んでいるようにしか見えない。だから、専ら夜に、近所の神社でやっている。
空が白み始めたら、帰る頃合いだ。
「今日はこのくらいにしておこうか」
「はい。ありがとうございました」
ロールパンにキャベツとハムとチーズと卵を挟んだものに、バナナ入りヨーグルト、コーヒー。残さず食べて、兄はチラリと時計を確認した。まだ、大丈夫だ。
御崎 司、ひと回り年上の兄だ。鋭くて有望視されていた刑事だったが、肝入りで新設された陰陽課に配属されている。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。頭が良くてスポーツも得意、クールなハンサムで、弟の僕から見てもカッコいい、自慢の兄だ。
「もうすぐ三者面談だな。進路希望は絞ったのか」
「公務員。だから、国立の文系かな」
「怜は、将来何をやりたいんだ」
師匠と同じことを訊いた。
「具体的な事は、わからない。でも、誰かを助けたい……?」
「まあ、まだ時間はあるから、今のうちにじっくりと考えてみるといいな」
「うん。そうしてみる」
それで兄は席を立ち、僕は、食器を片付けた。
協会へ人斬りがこの世に甦って来る事を報告してから、それらしいことは何もまだ起きていないらしい。
その事にホッとしながら、帰って来た直に、事の次第を報告する。
「えええっ!幕末の人斬りって、物凄く強いよねえ?そんなのが甦って来るの?うわあ。困るよねえ」
直はそう言って、絶句した。
「ホント、困るよな。どこに出て来るんだろうな」
「人の多い所かな?それとも、強い人のいる所かな?」
「強い人か。国体の会場とか?」
「うーん」
「師匠、思い当たる事はありますか」
「さっぱりだな」
言いながら、今日は協会から回って来た依頼で厚生労働省へ向かっていた。副大臣に面会を求めて来た男が突然暴れ出したそうだが、どうも普通ではないと陰陽課に連絡が来、行ってみると確かにそのようだったので、急遽協会に依頼が出されたそうだ。
着くと入り口に沢井さんが待っていて、すぐに、その現場に連れて行かれる。
兄と徳川さん、人質になっている副大臣のSPがおり、挨拶もそこそこに中を覗く。
「ああ、憑いてるな」
犯人は後援会の人で、いきなり白目を剥いたかと思ったら周りにビュンビュンとそこらへんの物を飛ばし、副大臣を人質にして、大臣を呼べと要求しているそうだ。
近付こうにも近づけず、銃で狙ってみても、何かがそれを阻んで、上手くできないそうだ。
「わかりました。じゃあ、入ります。
師匠、浄力を浴びたらまずいので、僕の前に出ないで下さいよ」
「わかった」
「直、頼む」
「了解」
僕達は、部屋に入った。
「こんにちわ」
「大臣を呼べと言ったぞ。まだか」
「初めまして。僕は御崎といいます。あなたは?なぜ大臣を?」
白目を剥いて失神したままの人が喋るという気持ちの悪い光景を見ながら、訊く。
「薬害があると知りながら、賄賂を貰ってそれを認可した大臣と売った製薬会社とに殺された患者だ。うやむやにして逃げようとしても、許さない。あいつらも殺してやる」
周りを飛び交うペンや重そうな灰皿の勢いが強くなる。
「なるほど。確かにそれは悔しいですね。なかった事にはしておけませんね。
でもそれは、警察が必ず罪を暴いて、逮捕します。だからこんなことはやめましょう」
「隠蔽する気だろう。お前も、国の味方か」
副大臣が、強まった冷気にヒイッと首を竦めた。
「違いますよ。いいですか。まずはその人から離れてくれませんか。その人は無関係でしょう。嫌だと言うなら、強制的に剥がします。話はそれからです」
少し迷うような間が開いて、後援会の人から、黒い影がペラリと剥がれるように抜け出た。後援会の人は、床の上に倒れ込んだ。
「苦しい。悔しい。死んでも死にきれない」
「そうですね。そんなあなたを見て、家族の方も、さぞや苦しい思いをしているでしょうね。散々苦しんで、亡くなってもまだ苦しんでいるなんて知ったら」
「……お前達は、何だ。こいつらの味方か」
「霊能師です。苦しんだまま、悲しいままの人を送る為、残った人が悲しい思いをしない為に、この仕事をしています。ご家族も安心できませんよ。新しい生に向かいませんか」
黒い影は低い唸りを発していたが、こちらを見て、何か考えていた。
「お前たちの守るものは何だ」
「人の幸せ」
「国や議員ではないのか」
「人が幸せでない国に、未来なんてないからねえ」
「そうか」
飛び交っていた色々な物が、次々に落ちて行く。
「そうか。未来か」
黒い影は揺らぎ、笑ったように思えた。
「逝きますか」
「頼む」
浄力を当てる。
黒い影はパジャマを着たガリガリの気弱そうな男になり、そして、光になると消えて行った。
大臣が、終わったと見て入って来る。
「やあ、よくやってくれた。ありがとう。良かった良かった」
それに兄は、
「次は大臣の番ですね。私の担当ではありませんが」
と言った。
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