第113話 待ち合わせ(3)恋人を待って

 遥か向こうに、女子の折り返し地点である旗のついたウキがプカプカとし、そのずっと向こうに、男子の折り返し地点である別の旗がついたウキが浮いている。

「視力の悪いやつは、もう見えないんじゃないか」

「まあ、今日はタイムで罰がないだけでもいいんじゃないか」

「……それをありがたいと感じる時点で、先生の策略にはまっている気がする」

 口々に言いながら、波打ち際にクラス毎に横1列に並ぶ。1クラスずつスタートするのだ。

 今日は、髪の毛のやつはまだいない。

「では1組。スタート」

 それで、波打ち際からザブザブと入って行って、泳ぎ出す。

 ああ、今日も苦行のスタートだ。だが、今日で終わる。

 ひたすら無心になって泳いだ。

「タラタラ泳ぐなよー。あからさまにさぼってるやつは、ペナルティだぞー」

 鬼だ。鬼がいる!

 ボートから呑気に声を掛けて来る先生達が、鬼に見えた……。


 ただ、ウキだけを目指す。女子のウキを通り過ぎ、ようやく男子のウキを回って、折り返す。浜の方から長い列ができていて、なかなかの眺めだ。

 適当に、がんばらずさぼらずに行きたいものだが、浜に近い辺りで例の髪のやつが出て来ているので、何かあった時の為には、さっさとゴールしておきたい。ままならないものだ。

 先頭のやつは張り切って10メートル程先を行っている。せめてこっちが着くまでは、何もしてくれるなよ。

 そう霊に心の中で言っておく。

 今度は砂浜を目指してひたすら泳ぐ。

 ようやく声が届くかと思われる辺りまで来た時、右手の岩陰から、その気配と冷気が染みるように湧き出て来るのが感じられた。

 今その近くにいるのは、先頭をいく水泳部のやつだ。

 目を凝らして観察する。黒いものがモヤッと生じると、水の中にインクを落としたように広がり、水泳部のやつの足に近付いて行く。そして足に触れた途端、水泳部のやつは違和感を感じたように辺りを見廻した。

 急いで近付き、黒い髪の毛の塊のようなものに、

「後で話は聞いてやる。それを離すか、今すぐ逝くか、選べ」

とどうにかこうにか言う。

 それはするりと足から離れ、女の姿をとると、岩陰に移動した。

「あれ?」

 足の着くところまで、辿り着いていたらしい。水泳部のやつは、立って、こっちを向いた。

 僕も立つと、岩の方へ近付く。

「御崎?」

「行け。

 あなたの目的は何ですか」

 女の霊に訊くと、女は悲しそうに、目を落とした。

「待っているのに、来ない」

 水泳部は、察したようだ。顔色を青くしながらも、離れようかこのまま見ようかと迷うようにその場にいる。

「誰を待っているんです?」

「恋人。ここで、待ち合わせをした。でも高波が来て、波に呑まれて……」

「そいつを見てください。そいつは、あなたの待つ人ではない」

 女は水泳部を見、ゆるゆると首を振った。

「違う。あの人はもっと……」

 もっと何だ?まあいい。

「もう、その人を待つのはやめにしませんか」

「……」

「あなたも、前に進みましょう」

「体が、重いの」

「手伝います」

 女の周囲には、雑霊がたくさん纏わり、しがみついていた。

 近付いて、右手に刀を出し、雑霊だけを斬る。

 女は空を見上げ、

「ああ。いつの間にか、晴れていたのね」

と言って微笑みを浮かべると、光になって、消えて行った。

 雑霊も、たくさん集まるとろくでもないことをするな。帰るまでに一掃しておくか。面倒臭いが。

 溜め息をついて、浜に体を向ける。まだ、ランニングが残っている。

 水泳部のそいつと様子を見に来た先生が、キラキラした目で僕の方を見ていた。ああ、説明か。面倒臭いな。

 

 夕食前の自由時間は、全員、やたらと元気だった。これでもう体を酷使する事は無い。夕食に焼肉を食べたら、明日は帰るだけだ。

 解放感で、顔が輝いている。

 と、直は考え込んでいる。

「水に強い札を開発してもらわないと、困るんだよねえ」

「確かになあ。そういう紙で作ってもらえたら、雨だろうが水辺だろうが使えるな」

「できない事は、無いと思うんだよねえ」

「あるからな、そういう紙。問題は、コストだろうな」

「小さくはない問題だねえ」

「ううん……」

 2人で考え込む。

 と、先生に呼ばれて行くと、日に焼けた若い男がいた。

「こちらが、あそこで恋人を亡くされたそうだ」

「これが彼女です。あそこにいたのは彼女ですか」

 男が財布を開いて、写真を見せた。まぎれもなく、彼女だった。

「そうです。待ち合わせをしていて、高波にさらわれたとか」

「あの岩のところで、いつも」

「もう、彼女は逝きましたから、心配はありません。あなたも、前を向いて下さい」

「はい。そうですね。はい」

 大粒の涙が、ボタボタッと落ちた。

 鬼のようだった先生も、泣いていた。


 夕食の焼肉の後、砂浜に出る。本当はダメなのだが、先生の許可はとってある。

「範囲が広いねえ」

「札で集めてくれるか。それで、一気に片付けよう」

「それが合理的だねえ」

 直は札を選び、放った。それは誘蛾灯のように雑霊を集め、どんどん黒い塊が大きくなっていく。もうこんなものかというところで、浄力を浴びせ、浄化する。

「雑霊も、あんまり放って置くとだめだな」

「雑霊が雑霊を呼ぶんだねえ」

 嘆息を一つついて、ホテルに戻る事にする。

「ああ、疲れる。雪山といい、海といい、研修内容がハード過ぎじゃないか?」

「筋肉痛で、ガタガタだよ。ああ、帰ったらゆっくりしたいねえ」

「夏休みか。三者面談があるんだったな」

「進路指導ねえ」

「面倒臭いなあ」

 溜め息が、潮風に流されて行った。



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