第21話 かげふみおに(4)自由研究のすすめ

 壁に向かって座っていた。フワフワとした変な感じで、力が入らない。カゲオニをした後はいつもこんな感じだけど、どんどんひどく、元に戻るまでの時間が長くなっている気がする。

 何か呼ばれてるかなあと思ったら、ドアの向こうから、いつかの高校生のお兄さんの声がしてた。


 直は上手く幸子の母親に言って部屋に入り込む許可を取り付け、管理人に電話をかけさせ、管理人が鍵を開けたので、僕は、ドアの閉まった幸子の部屋の前にいる。

 無事に幽体は戻ったらしい。

「なあ。もうやめないか」

「……」

「あいつらも反省してるし、許してやれよ」

「……」

「お前もやったんだから、おあいこだしな」

 ドアに何かを投げつけたらしく、ドンと音がした。元気で結構。

「仲直りしろよ」

「い・や」

「仲直りパーティーしてやるから」

「そんなの、いらないもん!」

「ふうん。上手くできたのになあ。焼き色といい、しっとりふわふわな生地といい。たまらん」

「……え?」

 直が持ってきた皿を、2人がかりで扇ぐ。ドアの隙間から、いい匂いがいってる筈だ。

「蜜はタップリだね」

「おう。生クリームも多めでな」

「うわあ、完成だあ」

「美味しそうだな。よし、では、いただきます」

「食べちゃダメー!!」

 ドアに体当たりする勢いで転がり出て来た幸子の目は、ホットケーキの皿に釘付けだ。

 遅れて、僕と直に気付く。

「何で食べてるの!?」

 泣くなよ、こんなもんで。

「自分達で焼いたら、もっとおいしいよ」

 リビングでは、ホットプレートを前にしてユキがホットケーキを焼き、エリカがジュースをコップに注ぎ分けていた。そして、心配そうな、泣きそうな顔の亜里沙、美羽、夢愛が、幸子を待っていた。

「さっちゃん、ごめんなさい」

「酷い事してごめんなさい」

「仲直りしてほしいの」

 幸子は視線を彷徨わせ、助けを求めるように僕を見上げた。

「どうしたい。自分で決めろ」

「う、私も、ごめんなさい。されて嫌な事はしちゃいけないんだよね。ごめんなさい」

 4人はしばらく泣いて謝り合っていたが、誰かのお腹がグウゥと鳴って、弾けるように笑い出した。小学生の子供らしい、影のない笑顔だ。

「さあ、焼きますよ。いいですか」

 ニコニコとしながら、ユキがおたまで生地をすくう。

「丁度良かったな。夏休みの自由研究は、美味しいホットケーキの作り方だ」

「それいい」

「やろうやろう」

 仲直りは済んだらしい。幽体離脱も、こうして安定していれば、起きなくなるって京香さんも言ってたし。

「はあ。なかなか面倒臭いケンカだったな」

「でも、良かったよ、仲直りできて。図書館の子の方も、たまたまぶつかっただけだろうって、大事にする気がないらしいし」

「でも、自分のしでかした事は、いずれはじっくりと考える必要があるけどな」

 僕と直は小声で話しながら、マンション玄関で待つ保護者4人に報告する為、部屋を出た。


「というわけで、食べたくなっちゃってね」

 兄の休日となったこの日の昼はパンケーキだ。甘味をなくして薄く焼いた生地に、レタス、パプリカ、スライス玉ねぎ、ハム、プルコギ風の味を付けた牛肉などを好きに巻く。

「ホットケーキもこういう食べ方をすれば、おやつじゃないな」

 兄はへえと言う風に笑って、チーズと野菜とハムを挟む。

「いじめが解決できたのは何よりだったな」

「うん。かなりホットケーキにはまったらしいから、あの4人がこの後太ってもそこまでは責任持てないけどね」

 それに、たまたま幸子の母親は納得して管理人に電話してくれたからスムーズに進めただけだし、亜里沙達の母親が納得しなければこじれていただろうし、図書館の子の親が事故と認識してくれずに警察沙汰にしていたら、幸子がホットケーキの匂いに釣られなかったら。綱渡りのようなものだったと言わざるを得ない。

「ああ、面倒臭い。もうあんな案件はこりごりだよ」

 夏の日差しに、洗い立てのカーテンが眩しかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る