第85話 メッセージ
いつの間にか、晴臣も子供たちもソファでぐっすりと眠っている。
それを見て安心した渚沙は、簡易式の椅子を並べて横になることにした。
二日前に会ったモデルの優香子や数人から携帯メールが来て、少しばかりやりとりをしていたらすっかり目が覚めてしまった。ブルーライトのせいか、興奮のせいか。
渚沙は、バッグの中に小さな本が入っているのを思い出した。昔ナータに会いにトラタ共和国に来たことのある日本人女性から一年前の帰国時にもらった、著名な聖者たちのメッセージ集だ。荷物になるし、全然欲しくなかったのに無理やり持たされてしまい、仕方なくバッグの中に入れたままだった。
渚沙は、昼間の大揺れの恐怖やテレビの映像の惨事、先行きの見えない不安を忘れようと、その本を取り出した。そして、適当なところを開くと右のページの一番上から読んでみた。
「自分がしたいことをしないのが自由である」
「虹を楽しみたいのなら、雨に耐えなくてはならない」
「激務、不屈の意志力、限りない熱意によって、凡人も偉業を遂げる」
「意志力と自信を持つ人は、自分を他人と比べない。最善の自分とのみ比較する」
「忍耐することで、常に人格を高め強められる」
さすがの聖者たちの言葉だ。一番目のメッセージに似ているが、ナータは「自分のすべきことを好きになりなさい」と教えている。
悟ったつもりでいるスピリチュアル系の人は、「自分がしたいことをすればいい」と逆のことをよくいう。自分に酔いしれながら、人を気持ちよくさせようと甘い言葉を吐くのだ。呆れたことに、そんないい加減な思想にしっかり洗脳された人たちは、会社などでも自分の気分の
好色なスピリチュアル系たちが誘惑する「性」に関してもそうだ。だが、真の聖者たちから学んでいる人々は、「自分がしたいことをしないのが自由である」「自分のすべきことを好きになりなさい」という言葉の意味と重要性をよく心得ている。
その次の「虹を楽しみたいのなら、雨に耐えなくてはならない」というのは、今回の地震のことをいっているような気がした。こんな取り返しのつかないような大惨事の後で、虹が出るのだろうか。なんとも激し過ぎる雨だ。
その地震という言葉から、「自然災害、イコール、スピリチュアル・クリミナル」という言葉がぱっと思い浮かんだ。次の瞬間、なんとなく左隣のページのひとつのメッセージに目がいった。
「過ちを犯した時、それを認めて責めを負う勇気と謙虚さを持ちなさい」
渚沙は目を見張った。絶妙のタイミングだった。これはまったくの偶然なのだろうか? まさに、その直前に思い浮かんだ「スピリチュアル・クリミナル」へのメッセージとしか思えない。今回の恐ろしい自然災害は、やはり大半がスピリチュアル・クリミナルの責任なのではないか。二〇〇四年に起きた地震や洪水の時と同じように?
そうだとしたら、自分はいつも偉人で特別だと主張したがる狂った人々は、そのことを素直に認めるだろうか? もしかすると、この大惨事に対する恐怖心から連中が反省するのは可能かもしれない。
渚沙は、フミたちのことを思い浮かべた。七年も前の二〇〇四年から、「日本の自然災害は聖人、グルになりたがる人々の罪のせいで起こる」というナータの言葉を知っている彼らは今、この大災害をどう見ているのだろう。何を感じているのだろう。
昼間、駅前で突如浮かんだ「スピリチュアル・クリミナル」という言葉。同夜の「自然災害、イコール、スピリチュアル・クリミナル」もそうだが、渚沙が頭であれこれ考えていたことではない。
ナータがチャネリング、すなわち神との交信についてこう話していたことがある。
「神は人をいつも使わない。神が何かを人に伝えたい時、自分の思いつきのように感じさせる」
つまり、本人は「神が私にインスピレーションを与えたことだ」とは感じず、単なる自分の思いつきだと思っているのだ。
二〇一一年三月十一日の渚沙のケースもそうなのだろうか。真偽は不明だが、渚沙は、何故かわからないが思い浮かんだ言葉は真実だと確信していた。
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