番外編 思い出の仮面旅行 その2

 ナータは旅行中、一般人として振る舞いどこに行っても謙虚で、出会う人々、寺院で仕える人たちに敬意を表していた。また、ホテルの従業員たちや食堂で働いている人々に親しみを込めて話しかけ、彼らの仕事について質問し、励ましていた。

 何も知らないふりをして会話をするのは、ナータのいつもの癖だ。そうやって万人に同じ愛情を注ぐを渚沙は感じた。


 不思議なのは、多くの人が庶民とたがわない衣服を着たナータに魅了されていたことだ。


 ナータはいつもの愛嬌のある笑顔で、会う人会う人に親しく接しており、渚沙たちも普通に振舞っていたので誰がリーダー的人物かはわからなかったはずだ。

 それに、一行の大半は外国人だった。トラタ共和国を訪れれば誰でも経験するが、現地の人が興味を持つのは圧倒的に外国人、特に西洋人なのだ。ちなみに日本人も人気がある。現地ではソニーやトヨタ、スズキというブランド名のメディア関連商品や車が人気で、先進国の印象が強いせいかもしれない。


 だがどいうわけか、現地人は老若男女問わず、ナータにだけ視線がいくようなのだ――これは大きな謎だった。

 道を歩いていると、よく人々が突然ナータに声をかけてきた。修行僧たちも、ナータに惹かれたように手を合わせる。「あなたは普通の人ではありませんね」「あなたは一体誰なのか」と尋ねられたことが何度もある。

 そんな時、ナータは決まって「私は神に帰依きえする者です」と答えていた。さらに、行く先々でいつもナータの一行は何故か特別扱いをされた。


 たしかに、生き神であるシャンタムやナータの持つ空気は、たいへん異質で顕著だ。初対面の時に明白に感じ取れたさは、他では体験したことがない筆舌に尽くし難いものだった。今ではすっかり麻痺してしまっており、「そうだ、そのせいだ」と渚沙は断言できないけれど――。いつも海の中にいる魚が、自分を取り巻く海水を特に認識していないように、渚沙たちもまたナータの神聖な空気の中で年中息をしているので、それがわからなくなっているらしい。


 結局、旅行中、ナータも同伴者たちも、ナータの正体を明かさなかった。彼が聖者であることすら黙っていた。

 水戸黄門のごとく印籠いんろうを掲げ、「このお方をどなたと心得る。が高い! 控えおろー」といったことは一度も起こらなかったのである。

 ナータと触れ合ったトラタ共和国の人々は、ナータが至高の生き神であることを知らずにほんの短い時を共に過ごした。それが少し気の毒だったが、みんなナータから優しい神性の祝福を受けていたように思う。そう考えると渚沙の心は温かくなった。


 さて、渚沙が旅行中、ナータの振る舞いに心を動かされたのは、村や町を歩いていた時だ。多数の店が立ち並ぶ中で、いつもナータは、貧しく小さな店をわざわざ選んで、石鹸や歯磨き粉など必要な物を購入していた。


「ここで買い物をしよう。小さな店の人たちを励ましてあげたいのだよ」とナータは店の手前で低い声で近くにいる渚沙にいった。


 人は普通、新しい物がいろいろ揃っていそうな、きれいで見た目のいいお店を選ぶだろう。古びた小さな店なら古い商品が残っていることが容易に想像ができる。同じ値段なら新しいものがありそうなお店に入りたくなる。だが、ナータに習い、それ以来渚沙も、小さなお店、ただし、ぼったくりをしない善良な人のお店をなるべく利用するように心がけている。

  

 また、道中、物乞いたちに出会った時、ナータは、本当に貧しく困っている人たち、恩恵を受ける資格のある人を即座に見分けていたようだ。そして、いくらかのお金を渡した場合もあるし、あげてはならないという場合もあった。


 普段、ナータは、物乞いにはお金を渡してはならないと人々に話している。何故なら、トラタ共和国では本当にどうしようもなく貧しい人たちもたくさんいるが、多くの物乞いたちの組織が作られているからだ。

 物乞いの子は物乞いになるように教育され、同情を引くために故意に手足を切断することもある。しかし、彼らは銀行の口座まで持っている。テレビまで持っていると地元の人たちは話していた。


 事実、いつも質素な生活を心がけている渚沙よりも、お金を持っているような「乞食」はたくさんいる。人間はナータのように真実を見分けることができない。他人が自立することを学んだり、成長することを妨げるような、おせっかいを焼いてはならないのだろう。本当の親切、奉仕とは何か考えさせられた。


 ――こういう真面目な旅だから、渚沙はナータとのロマンスなんて当然期待していなかった。

 だいたいにして、子供のような大人たちがぐずり、やりたい放題な状況は、子連れで家族旅行をする夫婦を連想させ、ロマンスもへったくれもない。空港や飛行機の中で、走り回ったり泣きわめいたりする子供をなんとかしようと必死な親たちをよく見かけるが、やっぱりこんな小さな子を連れて旅するのはたいへんだと後悔しているのではないかと思う。

 しかし、ナータは後悔など絶対にしない。何が起こるかなんて最初から全部わかっているのだから。


 ナータは「私は問題を進んで受け入れる」と昔からよくいっているが、巻き込まれるこっちの身にもなってほしいと思うことが多々ある。

 だが、彼の近くにいることを望んでいるのは渚沙たち人間のほうなのだ。重い使命を無数に背負っている彼の生き方に合わせるのが嫌なら、出て行くしかない。ナータは決してそういう人を止めない。たとえ渚沙でも誰であっても。

 クールすぎるよ……とへたる渚沙に、仮面旅行中ナータは珍しくちょっぴり嬉しいを表現してくれたことがあった。

 

 

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