第48話 眠りにおちた怪物
美容師の姉妹に、地獄部屋で精神的な集団暴行を与えたフミの一行は、同姉妹から激しく反発され、すっぱり縁を切られて新弟子の
以来、フミは人を騙してグループ内に連れ込み、圧力をかけて弟子にする試みをやめたようだ。弟子を増やしたいという欲望を捨てたわけではなく、新人のことは、客人として扱い続け洗脳する方法に切り替えていた。しかし、非常に慎重で、滅多に新人を連れて来ることはなかった。
同時に、極力少人数でナータの聖地を訪れるようになったのだが、フミの支配欲を自己制御するためらしい。それまで、トラタ共和国には十人前後でやって来たが、その半数以下の四人程度になり、グルごっこの規模は縮小された。人数が多ければ、グルの面目を保つために地獄部屋の説教をやらずにはいられないのだろう。やればナータから距離を置かれる。そのためだと思われる、気心の知れた身近な弟子のみを連れて来る。こうしてフミのグループは、すっかりおとなしくなった。
渚沙も、挨拶だけでなく簡単な話をフミたちと交わすようになった。しかし、あくまでも永住者、ナータの寺院で働く者として接するだけだ。いくらフミが静かになったとはいえ、渚沙が、神と交信していると主張する自称聖人やスピリチュアル系の人と個人的な関係を好んで築く気にはなれない。その部分に関して、フミは全然変わっていないのだ。
フミは現在は札幌に住んでいるが、井上潤次郎のツアー客だった時は四国の人だと聞いていた。どうやら、その後に移住して来たようだ。それを知った時、渚沙は、嫌悪感とともに深い因縁を感じた。なんと、渚沙の父親は定年退職すると、関東から北海道に移住していたからだ。しかも、どちらが先だったのかはわからないが、運悪く、フミの住まいから車で一時間もしないところが、渚沙の実家になってしまったのである――。
フミと小室比呂子は、渚沙の家を知っていた。土地を探していて偶然見つけたらしい。その地は新規で開拓された西欧風の田舎村でたいへん人気があり、全国から移住して来る人や、定年後に定住する予定でとりあえず家を建て、別荘として使用している人も多い。名の知れた作家や、有名なアナウンサーの別宅もあるし、リゾート地といえる。
一方、フミは札幌市内のマンションに住んでいる。転勤で会社や大学に通うためなら便利だが、北海道にわざわざ移住してきて好んで住むような場所ではない。周囲を見回しても建物ばかりで、北海道らしい自然は皆無だ。
四国の親戚たちとともに営んでいる自社の役員をやっているだけで、ほとんど働く必要がないフミは、便利で何人かの弟子たちがいる札幌市内を選んだようだ。フミの元夫が北海道出身だったり、転勤で一時的に住んでいたことがあるのではないかと思う。
渚沙は彼らと話をするようになってから、家はどこかと聞かれ、正直に答えた。大きな村だが、横尾という名の家は一軒しかないのでわかりやすい。
フミは弟子たちと一緒に過ごせるような大きな家を、同村に建てようと考えていた。渚沙はそれを聞いて不安になった。おとなしくなったとはいえ、未だグルをやめないフミが率いるスピリチュアル・グループがあの村にやって来たら絶対に浮く。おかしなことをやらかすかもしれない。渚沙の知り合いだと思われたくないし、実家にも迷惑がかかるだろう。
幸い、フミは越してくることは諦めたようだ。冬季は三ヶ月以上積雪が続き、二、三メートルの雪が壁となって道路を除雪車がと通れるだけの半分の幅に狭める。自然が多く雪景色が美しいから、という軽い憧れの気持ちだけでは住めない所だ。
札幌市内とは異なり、バスもタクシーもほとんどなく、駅も遠く不便だ。何年か前に、村の端にあった唯一のコンビニが閉店した。車がないと基本的に生活できないが、吹雪や雪道の運転は危険だ。病院も遠く、高齢者には向かない。おそらく、それらの理由でフミは札幌から動かないことにしたのだろう。
ある時、帰国したら会ってみるといいとナータからいわれ、フミの家を訪問したり、食事をしたりするようになった。もちろん、ただの知り合いとして、というより寺院の永住者としてだ。会うのは各帰国時に一度だけである。
フミは渚沙を丁重に扱った。小室比呂子をフミの車で迎えによこし、町のレストランで会ったり、フミのマンションでお茶をご馳走になったりした。
フミが「グル」をやっていない時は、人には礼儀正しく、気遣いができる人であることがわかった。毎回帰り際にお土産を持たせて、渚沙を車で家まで送り届けてくれた。お土産は仏壇のお供え物や弟子からの頂き物だが、いらないというのに、かなり高価な果物や菓子をどっさりくれた。
それは人に
ナータはいう。
「百パーセント善い人も、百パーセント悪い人もいない。昔の生き神たちは悪人を殺し、併せ持っていた良い面も殺してしまった」と。
フミに弟子がついているのは、良い面もあるからだろう。助ける対象が間違っているが、快く困っている人を助け、人に対する面倒見もいい。もし、「グル」さえやらなければ、フミはなかなかの善人なのではないかと渚沙は感じた。
渚沙はフミを決して「グル」として扱わず、年上の誰にでもそうしているように最低限のマナーをわきまえて接した。もし「グル」として持ち上げたりすれば、フミの狂気がむくりと起き上がることが容易に想像できる。それでなくても、フミはさりげなく自慢話を持ち出してくるし、井上潤次郎たちから批判されていたことを弁解しようと懸命だった。
しかし、そうしている間、フミは自信がなさそうで、決して渚沙の目を見ようとしなかった。いつもの、視線恐怖症がもろに出ているのだ。痛々しいくらいだ。前にも調べたが、多分、症状が出ないのは弟子の前と全く知らない人の前だろう。
フミの中にはまだ怪物が眠っているようだ。刺激したり、餌を与えたりしたら、また暴れだすのだろうか? いや、もうそういったことはないだろう。きっと大丈夫だ……渚沙は楽観的に考えていた。
しかしながら、フミの弟子に送り迎えをしてもらい、申し訳ないと感じつつ、どうしても渚沙の家にフミたちを招待することができなかった。何故なら、スピリチュアル系の人間をことさら嫌う父がいるし、やはり、自称神フミのことは母にも他の誰にも紹介できない。フミとの付き合いは、おそらくナータの寺院での仕事の延長だから、無関係な実家に仕事を持ち帰ってはならないと判断していたのだ。
ある帰国時、フミから東京にいる自分の女弟子の二人と会って欲しいと頼まれた。トラタ共和国の話を永住者である渚沙から聞きたいという。そういう人は、フミの関係者でなくてもたまにいる。断る理由はなく、渚沙は快く承知した。
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