第304話 閑話・バレエ公演のその後・その1

 従業員たちは恐怖とまではいかないまでも、なにやらおかしな雰囲気に身構えていた。


「ねえ、あそこ、大丈夫 ? 」

「暴れるわけでもないし騒ぐわけでもないんだけど、ちょっと寄りたくないっていうか」

「底知れぬ恐ろしさがあるような無いような」


 食べ飲み放題でお一人様三千六百円。

 掘りごたつっぽい個室仕様の和風チェーン居酒屋。

 リーズナブルな価格に選べる料理は百種類以上。

 アルコールの種類も多い。

 学生や社会人になりたての若者に大人気の店だ。

 そこに夕方入った当日予約の電話。

 どういった集まりかと聞けばネットのオフ会だという。

 今までもそういった集まりを受けたことがあったので、十五名のところ店長の指示で四十名様用の一番奥の部屋を用意した。

 オフ会と言えば日頃会えない人たちが『それ』への愛を語るので大騒ぎになるからだ。

 酒の勢いもあって、下手をすれば乱闘騒ぎだっておきる。


「余計なものは全部隠しておくように」

「その部屋の近くには新規のお客様は入れないように」


 そんな万全の体制で迎え撃ったのだが・・・。



【岸真理子記念バレエ団】ルーちゃんとアル君・デビューおめでとう ! ネット・オフ会【集まれ】


・ネット参加の皆さんは乾杯ドリンクとおつまみをご用意ください。

・スレ立て主の乾杯の音頭で開始です。

・合図があるまで書き込みはご遠慮ください。

・なお公平を期すため、会話は全てオンライン上でお願いします。


***************************************

 

1:

 スレ立てました。

 終演一時間過ぎまでおまちください。


2:

 お通しのサラダとフライドポテトは配り終わりましたか。

 空いたお皿を入り口に戻してください。

 ここからの受け取りとお皿の片づけは時計回りで順番にやりましょう。


3:

 準備万端整いました。

 それでは皆さん、グラスをお取りください。


4:

 ルーちゃんこと佐藤めぐみさんと、アル君こと山口なおと君のデビューと成功を祝って、乾杯っ !


5:

 乾杯っ !


6:

 かんぱーいっ !


 この後乾杯が延々と続く。


63:

 それではしばらくご歓談ください。ただしオンライン上で。

 食べ放題だよね。勝手に頼んでいいの ?


64:

 まず追加の飲み物オーダーします。ビールの人、十二人。ワインの人、赤二人と白一人。これ、カラフェでいいよね。ポン酒と焼酎と。ねえ、同じの飲む人固まって。


65:

 了解。

 ほら、さっさと移動。

 グラスとお皿と箸は持ってくれ。


66:

 お腹空いた。

 カルパッチョいる人、手ぇあげて。よし、七人ね。他にリクエストある人。


67:

 揚げ物と焼き物。がっちりしたの食べたいんだけど。


68:

 あのー、私糖分制限かかってるから、炭水化物はダメかも。


69:

 俺も。美味しい物は確実に糖分入ってるよな。命が惜しいから我慢する。


 ある程度の飲食が続いたところでパンパンと手が叩かれる。

 ネット上で。


130:

 それじゃあそろそろこの前代未聞の新人公演について語りあおう。


131:

 賛成。

 じゃあ全公演を見た自分から。

 昼公演すぱらしかった。プリマ誕生って感じた。

 だけど最終公演を見た後だと普通に思える。


132:

 つまらなかったってこと ?


133:

 いや、すばらしかったよ。

 それは間違いない。

 そうだな。

 昼は普通に素晴らしいデビュー。

 夜は真夏の夜の夢。

 最終公演は集大成ってところかな。


134:

 夜の部みたいにボワントでアチチュード十秒以上なんて軽業がなくても、ドン・キホーテという物語は進むんだ、

 大切なのは大技の連発じゃない。演技力と表現力だ。

 その上での完璧なテクニック。

 あの二人、本当に高校生か ?


135:

 二幕の初め。

 駆け落ちした二人が踊るところ。なんだかグッときちゃった。

 もう少しで泣くところだった。


136:

 お互いの気持ちを確かめ合うっていうシーンなんだけど、あれがあるから物語が締まるっていうか。

 なんでだろう。


137:

 何の気なしに見た踊りが、後のシーンに意味を持たせていたのは間違いない。


138:

 語彙って大切なんだわ。

 自分の気持ちを語るのに、こんなに言葉を知らないなんてこの年まで気が付かなかった。

 アルくんとルーちゃんを語りつくせない。


139:

 同感。

 ところであの二人ってつきあってるのかしら。


140:

 アルくんがルーちゃんをだきしめるところ。

 もう胸キュンどころじゃなかったわ。

 なんかこう、自分も誰かの腕の中にいるみたいだった。


141:

 そうそう。特に後ろからキュッとされるところ。

 あれはもう少しで悲鳴をあげるところだったわ。

 私の中では『バックハグのアル』くんよ。


142:

 わかる !

 とても大切に思ってるのが伝わってきた。

 あとルーちゃんかアルくんをとっても信頼してるってのも。

 出ないと三幕のパドドゥはなりたたない。


143:

 もう、絶対付き合ってるよね。


144:

 付き合ってないですよ。


145:

 誰だっ !


146:

 誰だっ !


147:

 誰だあぁぁぁっ !


148:白き翼

 お邪魔します。

 チケット買えなくて公演見れなかった『白き翼』です。


149:

 おお、内部工作員か。

 :

:150:

 なに、つきあってないの ?


151:白き翼

 はい、本人から聞きました。

 アルの片思いです。


152:

 ちょっと待って。

 私さっき楽屋詣でしたんだけど、あの二人手を繋いで帰ったわよ。


153:白き翼

 それ。いつもです。

 たけど片思い状態です。


154:

 ルーちゃん、魔性の女 ?

 つか、いいの ? ネットで個人の恋愛事情。


155:白き翼

 それでアルの気持ちがルーちゃんにつたわるならいくらでも嫌われます。

 もう可哀そうなくらいアルがお預け状態で。

 あんなに意思表示してるのに、どうしてルーちゃんが気が付かないのか。

 俺なんて告る相手もいないのに。


157:

 挫けるな、若者。

 男の魅力は二十歳すぎてからだ。

 後まだ隠し情報はあるかな。


158:白き翼

 はい。

 夜の部がおかしかった理由。

 ルーちゃん、バジル登場までアルが踊るの知らなかったそうです。

 外部業者の親戚情報です。


159:

 なに ?

 知らなかった ?


160:白き翼

 ついでにアルも突然代役指名されたそうです。


161:

 つまりアレは動揺したための踊りだったと。

 なるほど。辻褄が合う。


162:白き翼

 なんか一幕踊った後、怒ったルーちゃんがこの後は好き勝手する宣言をした上でのあの舞台だったとか。

 おれが聞いているのはそこまでです。


163:

 ないわー。

 ないでしょ。


164:

 ないわー。

 よくぞやり直したっていうか、夜の部を反省した上で演技の練り直し。

 パワー全開ではなくて、物語と音楽を崩さないギリギリの線での舞台。

 やっぱりあの二人は只者ではないわ。


165:

 日本バレエ界の超新星よ。

 次は何を踊るのかしら。


166:

 オーロラ欲しい !


167:

 当然よ。

 コッペリアもいいんじゃない ?


168:

 白鳥とかロミジュリとか。


169:

 あの二人の演技力ならジゼルもいける。

 

170:

 くるみ割りは外せない。


171:

 アルくんでボレロ見たい !


172: 

 あーん、もうあの二人の行く末が楽しみっ !


173:

 あ、ドキュメンタリー番組は一週間後に放映だって。

 その次の日に今日の舞台も放送されるってさ。


174:

 ほんと ? 

 録画予約いれないと !



 チェーン居酒屋店員たちは怯えていた。

 突然の大勢の予約。

 どんな騒ぎが起きるかと覚悟をしていたが、蓋を開けてみたら今までなかったくらい静かな宴会だった。

 注文された飲み物や食べ物のお残しは無く、空いた食器は片付けやすいように纏められ、静まり返った部屋。

 全員スマホやタブレット、ノーパソに向かって黙々と食べ飲みしていた。

 そして時折笑い声が起こるのを、店員たちは不気味に見ていた。

 だが値段のわりに注文は少なく、お店としては売り上げはアップ。

 気持ち悪いけど、また来てくれないかなと店長は密かに思った。

 その願いが通じたのか、年に数回彼らは現れる。

 予約時の名前は「ルーちゃんとアルくんの素敵な仲間たち」。

 数年後この店は閉店するのだが、解雇された従業員が融資して共同でファミリー系居酒屋を開店。

 コスパが高い店と長く愛されたが、あるグループのみに食べ飲み放題が許された。

 いつしかバレエファンの聖地と言われるようになるのだが、それはまた遠い未来の話。

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