第344話


「大丈夫か、ディア?」

「・・・」

「ディア?」

「むりっ」

「お、おい・・・」


 いよいよ秘術習得の試練当日の早朝。

 レイノ近くの朝霧の立ち込める森林の奥、狐の獣人達の聖域前でディアに覚悟を問い掛けると、返って来たのは当初は聞かれなかった言葉だった。


「何で急に?」

「いぬっころのせいっ‼︎」

「何を言ってるのです、ディア?」

「むうーーー‼︎」


 此処に着いても幼児形態から変身せず、ディアは粘っていた。


(余程、全戦全敗が堪えたんだなぁ・・・)


 あの後も模擬戦を行い続けた2人だったが、一勝も出来なかったディアは、遂には模擬戦相手に俺やブラートを指名する迄追い詰められたのだった。


(まぁ、アナスタシアが許さなかったが・・・)


 アナスタシアも大人気無いところがあるのか、初日にディアにやられたのが不満だったのか、若干ムキになっていた様子もあったのだった。


「まぁ、無理なら逃げて来て良いから・・・、な?」


 まるで記念受験を勧めるかの様にディアを説得する俺。


「ううう〜」

「・・・はぁ〜」


 ただ、反応は芳しく無く溜息を落とす事になった。


「どうする、日を改めるか?」


 少し離れた位置で、俺達のやり取りを窺っていたブラートから掛かった冷静な声。


「い、いやぁ、それは流石に・・・」

「そうか?ただ秘術も本人の覚悟が決まらないと、応えてくれんと思うぞ?」

「そういうものですか?」

「ああ」


 ブラートが言い切ったので、俺はディアに視線を向けてみる。


「・・・」

「ディア・・・」


(覚悟は決まっていると思うんだが、精神面には不安が有るしなぁ・・・)


「・・・ろ?」

「・・・ら」

「「くく・・・」」


 風に運ばれて来たのは、俺達の案内役として同行していた狐の獣人達の、内容の分からない話し声と、嘲る様な笑い声。


(まぁ、決して良い内容では無いだろうが・・・)


 監視の役目も有るのだろう、連中は距離を取りつつも此方に刺す様な視線を向けていた。


「・・・いくっ」

「ディア、気にするなよ?」

「べつにきにしてないっ」

「・・・」


 ディアは多分正確な内容が聞こえていたのだろう。

 突如として意思が変わった事に、俺は冷静さを失った可能性を心配したが・・・。


「心配する必要は無いぞ?」

「ディア・・・」

「妾は一族で究極の存在。下劣にして劣等なる存在なぞに妾の事は理解出来ぬ」

「・・・」


 渋っていた変身をし、九尾の銀狐の形態になったディア。

 その口から語られた言葉は、かなり強烈なものだったが、立ち姿そのものからは落ち着きが感じられた。


「ディア、約束してくれ」

「何じゃ?」

「無理はせず、危険と感じたら逃げて来てくれ」

「・・・」

「此処の連中がどう思おうと、お前には関係無いんだ。家では皆んながお前の帰りを待っているんだぞ」

「・・・」

「良いな?」

「ふふふ、妾を誰だと思っておる?妾に不可能なぞ有り得ぬ」

「・・・ディア」

「然し、其の言葉は胸に留めておいてやろう?」

「・・・良し。行ってこい‼︎」

「ふふふ、妾は人の命なぞには従わぬっ」


 此方に背を向けたままそう口にしたディアは、其の手に血縫いの槍を握り聖域へと踏み込んで行ったのだった。


「来い、司」

「ブラートさん?あぁ、焚き火ですか」

「ああ。聖域に近いとはいえ、流石に冷えるからな」

「えぇ。アナスタシア」

「私は大丈夫です」

「そうか、でも・・・」

「犬は寒さに強いのだ」

「貴方に犬呼ばわりされる覚えは有りませんっ」

「ふっ、そうか?」

「むっ」

「は、はは・・・」


 ブラートとアナスタシアのやり取りに、俺は乾いた笑いを漏らしながら、ブラートの起こした焚き火へと近付いた。


「もう、3時間位経ちましたかね?」

「ああ、そうだな」

「長過ぎないですか?」

「そうか?ただ、すぐに試練に入る訳でも無いからな」

「そういうものですか?」

「ああ、あまり心配するな。九尾の銀狐の腕前は、司が一番知ってるだろう」

「えぇ・・・」


 俺にとっては試練3時間というのは長く感じるのだが、ブラートは何でも無い風な様子だった。


(まぁ、ディアとの関わりが深く無いのも有るだろうけど・・・)


「司様」

「アナスタシア?どうした?」

「ディアを、あの娘を信じてあげて下さい」

「・・・分かったよ」


 アナスタシア迄もそう言うなら、信じるしか無いだろう。

 俺は気持ちを落ち着ける様に焚き火の炎を眺めるのだった。

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