22 「そっか。いい目標じゃん。」



「じゃあ、今日は楽しかったよ!ありがとね!」


 電車の方向が僕たちとは違うらしい日向さんは、駅のホームで僕にそう言うと、朝日さんに「まったねー!」と言って人が多く乗る電車に乗り込んでいった。方向的に日向さんのほうの電車は帰宅するサラリーマンが多いようだ。ちなみに、僕たちの方向はそこまで混んでおらず、想像以上に空いていた。まぁ、さすがに座れはしなかったが、ある程度の余裕はある。

 そういえば、ファミレスの代金を払おうとしたら、やっぱり受け取ってもらえなかった。払わせてしまった以上は申し訳ないので、朝日さんが二十位以上をとれるように全力で教える必要ができた。ただ、初めから全力で教える気だったのであまり関係ないといえば関係ないのだが。


 電車の中で朝日さんとの会話は全くなく、ぼんやりと窓の外を見ている朝日さんと一緒に僕も窓の外を眺めて終わった。それも当然の話で、ほぼ話さない朝日さんと特に話すようなこともない僕の二人っきりなのだから、話すわけがないのだ。むしろなにか話したら奇跡だね。

 なんだかんだあってファミレスに長居したので、現在時刻は既に八時半。どうもどうやら電車は母が電話をよこした直後に運転を再開していたらしく、母と妹はもう家に帰っているようだ。外食してくるとメッセージを送っておいたので心配していないはず。


 部活をした生徒も一時間以上前に帰っている時間のせいか僕たちの帰り道に人気はほとんどなく、たまに疲れたサラリーマンの背中を見かけるぐらいだ。ここまで会話がないというのは、一般常識的に考えるとかなり変なのではなかろうか。まぁ、会話がないことを気にしているわけではないけど。ただ、そういうことを考えていたせいか、今まで沈黙を続けていた朝日さんが、唐突に口を開いた。


「イラスト、描きたい。」


 たぶんそれは僕に対して言った言葉などではなく、ただ思考の中でふと漏れてしまった言葉。ただ、ここで返事をしないと本当に無言で帰ることになりそうなので、気になったことを尋ねる。


「どんなイラスト?」

「ファミレスで、ご飯を食べる三人の絵。ただ、三人も一緒の絵に描くのはしたことない。難しそう。」


 難しそうと言いつつも、朝日さんの顔はいつもよりも柔らかく、口数もいつもより多い気がした。ファミレスで、なにかが楽しかったのだろうか。


「楽しかったの?」

「わたしが、じゃなくてお姉ちゃんが。」


 朝日さんは横を歩く僕を見上げながらそう言うと、すぐに前を向いてしまう。ちょうどそのタイミングで車道を一台の車が通り抜けていく。


「いつもは楽しそうじゃないの?」


 てっきりいつもあんな感じなのかと思っていたが、違うのだろうか。でも、初対面のときからあのテンションのままだったような気がするんだけど。


「いや、楽しそう。でも、今日はもっと楽しそうだった。だから、わたしも。」


 えっと、朝日さんは『いつもよりも楽しそうな姉を見て、自分も楽しくなった』と言いたいんだよね。って、やっぱりすごく仲良しじゃん。

 隣を歩く朝日さんの表情は角度的に見えなかったが、その足取りはいつもより軽く、制服のスカートがひらひらと揺れていた。まぁ、楽しそうな朝日さんが見れたし、僕が精神力を削った甲斐はあったかな。ここだけ聞くと、僕が朝日さんに恋愛感情を抱いているように聞こえるな。あくまでも僕が感じているのは、『普段感情を出さない人が感情を出すぐらい楽しんでもらえてよかった』という満足感であり、朝日さんのことが好きだから楽しそうにしてくれて嬉しいというわけではない。この差が大事。


「それならよかったよ。ただ、どうして絵にするの?」


 ふと浮かんだ疑問を、僕は口にしてみる。普段なら答えてくれなそうだけど、今日なら答えてくれるかもしれない。そんな僕の考えは、見事に当たったようだ。


「いつか、わたしもそうしたいから、いつか、誰かを楽しませたいから、わたしが楽しかったものを、真似して描く。」

「えっと、楽しいものを真似すれば、いつか『誰かを楽しませる絵』が描けるってこと?」

「うん。それが、目標。」


 そう目標を語る朝日さんは、いつになく楽しそうで、いつになく不安そうにも見えたのはなぜだろうか。もしかしたら、夜のせいで変なフィルターがかかって見えるのかもしれない。


「そっか。いい目標じゃん。」


 ただ描きたいから描いてた。好きだったから描いてた。そんな漠然とした自分だけの理由よりも、ずっといい。自分で完結してしまう目的はとても衝動的に人を動かすけど、所詮それは自己満足のために描いているだけ。それでもいいという人はいっぱいいるし、僕もそれが悪いとは思ってない。ただ、『彼のように・・・・・他人を喜ばせるなんて自分なんかにはできない。できないならやめよう。才能がないんだ。』と諦めた、他人のために描くことができなかった僕からすれば、とても眩しい目標で、羨ましいものだった。


「いつか、描けるといいね。」

「うん。」


 応援されたのが恥ずかしかったのか、俯いてしまう朝日さん。ここからは顔が見えないので残念だが、ファミレスでの時のように赤くなっているのではないだろうか。まぁ、確かに面と向かって応援されるのは恥ずかしいものだ。僕にもその気持ちはわかる。だから恥ずかしさを消すために、というわけではないが、僕はあえてこの流れに水を差すことを言う。


「ま、今日はもう勉強しなくてもいいにしても、来週にある再試を乗り切らなきゃいけないね。」

「うぐっ――」

「ああ、期末試験まで一か月と少しだったね。それも頑張らないと。」

「うぅ――忘れたい。」


 忘れられたら困る。僕が知りたいことを知れないままになっちゃうし、朝日さんがしたいことをできなくなってしまう。クラスでいつも絵を描いていることも、今日見せてもらったスケッチブックのほかにもたくさん練習していることも、朝日さんの絵を見ていたらわかる。そんな朝日さんが絵を描きにくい環境になっちゃうのは、とてももったいないし、感情的に嫌だ。


「大丈夫、だいたい朝日さんに合いそうな勉強法も分かってきたし。なるべく時間を削らないで、最大の結果が出せるように僕がどうにかするよ。」


 勉強に時間を使わないということは、その分絵を練習する時間が増えるということだ。そのために昨日ネットで調べたり、今日朝早く学校に行って図書室で勉強法の本を借りたりなど、少し労力を使った。だけど、それが大した問題ではない気がしてくる。いや、実際にいろんな勉強法を知ってれば、僕の勉強時間がさらに少なくて済むかもしれないし、それでいいのだろう。


「だから、期末試験の結果、楽しみにしててね。」


 我ながらこのセリフは少し痛いかと思ったが、朝日さんが「わかった、楽しみにしてる。」と笑いながら言ってくれたので、結果オーライだろう。どうでもいいことだけど、朝日さんには笑顔が一番似合うと思う。


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