第43話護りたいものですか?

 息が苦しい。


 ハルトだけではない。皆、膝を折り、泣き、逃げることさえしない。そもそも街全体を翼の一振りで半壊させるような、異次元的な相手からどこへ逃げようというのだろうか。


 まるで、蟻の列に水を注ぎこむように、軽々と氷龍は人間を蹂躙した。冒険者がスライムを相手にするようなレベルにすら届いていない。

 恐怖なんてものはとっくに失せていた。残ったものは虚無感。後はひたすらに感動? に近い感情だけだ。


 マナツとモミジは身を寄せ合って崩れ落ちている。混ぜてもらいたいような気もする。もちろん、こんな状況でよこしまな考えを抱いているわけではない。ただ、人のぬくもりに触れていないと、今にも身が凍り付いてしまいそうだった。

 

 災害が地に降り立った。単純に地面にその巨木な四肢と尾を接着させただけ。なのに、どうしてだろうか。氷龍の周りを、まるで魔法のように氷柱が地面から突き出した。

 

 その様子は言葉で表せない神々しさで、演出のように突き出した氷の柱でさえも眩く見えた。


 ハルトだけではない。その場のすべての人が、見入っていた。


「……ちと、やりすぎじゃのぉ」


 なぜだろうか。誰も声など出せないはず。いや、出した瞬間、身が凍り付く覚えをしているはずだ。その中で、唯一声を出し、歩みを進める一人の男性がいた。その後ろをついていくのもやっと、といった具合にぎこちなく歩く女性騎士。


 男性は紫色のローブと大きな魔女帽子を身に着け、手には素朴で安っぽい樫の杖を持っている。ローブの上からでもわかる猫背で、皺の深い顔には自慢の白髭が今日もうっすらなびいている。

 ギルドマスター――ロイド。過去にはAランクの冒険者として名を馳せていたらしいが、何しろ当時のことは彼の口からはおろか、その当時のパーティーメンバーもあまり語ろうとはしなかった。そのため、嘘か真か定かではない噂が多く飛び交う人物だ。


 彼の後ろを必死についていく女性は、確かゼシュといったか。ロイドの秘書であり、過去にはBランクの冒険者としての経歴を持つ人物だ。白銀の鎧に身を包んでいることから戦士系の職業だと思われる。この状況下で動けているということは、Bランクといっても相当上位。もしかしたらAランクに近い実力を持っているのかもしれない。


「冒険者がこぞって情けない。いやぁ、こやつ相手では仕方ないかのぉ」


 ロイドはまるで何事もないかのように凍り付いた草木をへし折りながら、歩みを進め、ハルトの前を悠然と通り過ぎる。その際、一瞬チラリと見られた気がするが、気のせいだろう。いや、気のせいではなかった。

 ロイドはゼシュに目配せをすると、ゼシュは辛そうな引きつった表情で軽く頷き、ハルトの傍に身を置いた。


「声も出ないか。デッドリーパーを倒した英雄よ……」


 ロイドはあえてなのか分からないが、周りの冒険者に聞こえるくらい大きな声で言った。しかし、もちろん周りがざわつくことはない。内心ではどう思っているのか分からないが……。


「やはり、ランクを上げなくて正解じゃったな」


 ランク? 何の話だろうか。もしかして、冒険者のランク? いや、それしかないだろうが、死の迫った今言う話ではない気もする。


 ロイドは眼前にそびえたつ氷龍に向き直った。


「ライズたちであれば、倒すことはできんが迷わず動くじゃろうな……。おぬしらは経験が足りん。単純に剣術や魔力が高いだけで言えば、ライズたちよりもおぬしらの方が上をいくだろう。じゃが、それだけでは足りん。絶望に抗う力、自信をコントロールする力、魔物の知識、場を掌握する力。色々と足りん」


 何も言い返せなかった。たとえ、声が出せる状況だとしても、たぶん何も言えないだろう。

 別に、強くなりたいわけじゃないんだけどな……。


 ロイドは前を向いたまま、まるでハルトを見透かしたように言った。


「強くなければ、護りたいものも護れん……」


 ロイドが樫の杖で地面を突いた。その瞬間、巨大な魔方陣が一帯に広がって出現した。見たこともないくらい大きく、まだ魔法が発動すらしていないのに、魔方陣に込められた魔力がとてつもないことがわかるくらい、強大なものだ。


「ゼシュ、後のことは任せたぞ。……死ぬつもりはない」


 傍らでゼシュが「……はい」と小さく声を振り絞った。

 ロイドは再度、杖で地面を軽くこずく。すると、その瞬間魔方陣は眩いばかりの光を放ち、薄紫色のオーラのようなものが上空に向かって一直線に立ち上り、徐々に濃さを増していく。やがて、目の前にいたはずのロイドの姿が紫色の壁によって遮られた。

 

「えっ……?」


 声が勝手に出た。気が付くと、先ほどまで感じていた虚脱感が、嘘かのように消え去っている。

 

 誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。それを皮切りに至る所から、安堵のため息が上がる。


「なん……だ。これ……」


 とにかく、助かったということでいいのだろうか。でも、確かにロイドはこの紫の魔法の外にいる。つまり、戦場に居座っている。

 あの龍と一騎打ち……? 無謀すぎる。相手はあの龍だぞ? しかも、一人で……。

 人の力では絶対に倒せない。そんな気がした。龍として人間のうわさで飛び交う炎龍なんかよりも、圧倒的にやばい。炎龍を見たことはないが、実際にそんな気がした。いや、絶対にそうだ。あれは、人の手で何とかなる生物ではない。完全なる別次元の魔物だ。


「ロイド様はあのようにおっしゃいましたが、真意は他にもありますよ」


 ゼシュが突然語りだす。


「あなた方のランクを上げなかった理由。それは、もちろん力不足だということもあります。しかし、それよりも単純にこの街に残ってほしかったのでしょうね」


「……それって、どういう意味ですか?」


 ゼシュは立ち上がり、壁に触れる。


「この街よりも既にひどい状況の街が多くあります。ランクが上がれば、その者たちは他の街に出向くように上から指示されます。今のライズさんたちのように。しかし、そうなれば今回のようなイレギュラーが起きた場合、この街を誰が護るというのでしょうか」


 ゼシュは振り返り、「つまり、あなたたちに期待しているのです」と付け加えた。


「期待……」


 正直な話、期待されても困る。だって、実際何もできなかった。ただ逃げ惑って、他の冒険者同様に怯え、地に伏し、絶望を受け入れた。

 四人そろわなければ、AランクやBランクなんて目でもない、ただのDランクの魔剣士だ。そんな自分たちに期待している? 


「無理だ……」


 つぶやいて、その後にロイドの言葉を思い出した。

 ――強くなければ、護りたいものも護れない。


 実際、パーティーバフのある状態ならば、自分たちは強い。そう思い込んでいた。しかし、ロイドは言い放った。間接的にではあるが、と――。

 今まではパーティーバフの無い状態で強くなることを考え、ここ最近は無駄かもしれない自主練習などをしていた。でも、そうじゃない。きっと、護りたいものを護るには個々の力じゃない。パーティーとしての力を伸ばさなければいけないのだ。


 でも、護りたいものってなんだろう。この街は、確かに生まれ育った大切な街だ。しかし、きっとこの街のために強くなりたいとは思わないだろう。

 ふと、マナツとモミジが見えた。


 ああ、なるほど。


「パーティーを護りたいのに、パーティーとして強くなるか……。矛盾とはいわないけど、なんかおかしな話だな」


 ゼシュはそっと笑みを浮かべ、「そうですね」と言った。


「そ、それよりも……!」


 ハルトは思いだしたように立ち上がって、天高くそびえたつ紫色の壁に触れた。ピリッと魔力によって反発されるのがわかる。おそらく、渾身の力で魔法を叩き込んでも割れないだろう。


「――龍殺しのロイド」


 マナツが呟いた。いつの間にかマナツもモミジも傍まで来て、壁に触れていた。


「聞いたことある……と思う。数々の龍を討伐したっていう噂」


 確かに聞き覚えのある話だ。ただ、やはり彼の口から聞いたわけではなく、単純に冒険者の誇張された噂話かもしれない。


「噂……ではないです」

 

 ゼシュが灰鼠色の空を仰いだ。


「ロイド様はかつて、パーティーで数々の龍を討ち、世界を旅してまわったそうです。まぁ、でも確かに今回の龍は明らかに格が違いますし、ロイド様一人ですからね。少し心配です」


 心配です。といったゼシュの口ぶりはやけに軽く、まるで微塵も心配などしていないようであった。

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