『アイをツぐ者』④


 柏原玲梨と相崎百合香。

 二人の出会い――それは取りも直さず、「超生徒会長・柏原玲梨伝説」その始まりをも意味していた。


 ここから先の話は、俺がマシバとサコツ、その他の東中出身者から聞いた話を元にして造り上げた一種のイメージだと思ってそのつもりで聞いて欲しい。




 元々は別の小学校に通っていたレイリと相崎百合香は、中学入学と同時に同じクラスになった。

 きっかけは、クラスの最前列の席に控えめに座る相崎百合香に、レイリが掛けた一言だった。


「こんにちは。きれいな髪してるのね、あなた」


 レイリは傍目にも目立つ相崎百合香のライトブラウンの髪を褒めて言った。


「あ、あの、えっと……でもね、これ、生まれつきなの、だから……」


 しどろもどろに答えた相崎百合香は、髪の毛を隠すように両手で覆い、そのまま俯いてレイリの顔を見ようともしなかった。

 少しの間、レイリはそんな様子の相崎百合香を不思議そうに眺めていたが、やがて、思い出したようにぽつりと言った。


「もしかして、自分では嫌い? その髪」

「……え、どうして?」

「なんとなく、ね。私にもそういうところあるから」


 レイリが小さくため息をついた。相崎百合香は恐る恐る顔を上げ、二人は初めて互いの顔を見合わせた。


「あの……」

「初めまして。私、柏原玲梨。よろしく」

「えっと……私、百合香……相崎、百合香です!」


 相崎百合香は顔を真っ赤にしながら、上ずった声で言う。レイリもそれに対して笑顔で手の平を差し出した。


「よろしくね、ユリカ」


 二人はすぐに打ち解け、良き友人同士となった。

 ところが、しばらくして東中の校内に不穏な噂が流れるようになった。

 やり玉に挙げられたのは相崎百合香。その髪の毛が火種になった。


 相崎百合香のライトブラウンの髪が生まれつきであるということは、一年の間ではもはや周知の事実であった。しかし、二年三年の生徒でそれを知っている人間は多くない。

 相崎百合香は上級生たちから「校則(髪を染めてはいけない)に堂々と反する生意気な一年」として目を付けられた。

 最初は相崎百合香の髪の毛に対する非難でしかなかったものが、次第にそれとは関係のない部分にまで話が膨らみ、「相崎百合香は非行少女である」「相崎百合香は援助交際をしている」「ラブホテルから出てくる相崎百合香を見た」と言った根も葉もない噂がどこからともなく聞こえてくるようになった。

 それは、美少女・相崎百合香に対する上級生女子たちの嫉妬から生まれたデマでしかなかったが、センセーショナルな噂だけが一人歩きし、同級生の中にも相崎百合香に不審の目を向ける者が出始めた。

 しかも分の悪いことに、相崎百合香の家は裕福な家庭であり、校内でも少数派の金持ちグループ寄りの人間として見られていた。

 相崎百合香は大多数の中流以下グループの生徒たちから白い目で見られ、さらに、本来であれば味方になってくれてもおかしくない金持ちグループの友人からも、逆に疎まれるようになった。

 次第に周囲から孤立していく相崎百合香だったが、一人、レイリだけが献身的に彼女を支えていた。


 そんな中、事件は起きた。


 放課後、日直として職員室に学級日誌を届けに行ったレイリを、相崎百合香は生徒玄関で待っていた。


「ねえ、あんた、四組の相崎だよね?」

「……はい?」


 気付けば、相崎百合香は周りを三人の一年生女子に囲まれていた。


「うちの部活の先輩がさあ、この間の土曜日にラブホから出て来るあんたを見たって言ってるんだけど、それってマジ?」

「し、知らないです、そんなこと……」相崎百合香は恐怖と困惑で身がすくんでしまっていた。

「私も聞いたことあんだけど。あんたが街でオッサン捕まえて、金せびってるって。みんな噂してんだよ」別の女子が言った。

「そんな……。別に、私お金のことで困ってません!」震える声で反論する相崎百合香。

「ああ、そっかー。あんたの家金持ちだったんだっけ?」

「なーんだ。じゃあ、ただヤリたいだけなんだ?」

 三人の女子はケラケラと笑い出した。相崎百合香は涙を浮かべながら唇を噛んで、ただじっとしていた。

「大体さあ、なんであんたそんな髪のまま登校して来てるわけ? 黒く染めりゃいいじゃん」

「自分一人だけ浮いてるとか、自覚ないの? 空気読めよ」

「あんたのせいで、うちらまで先輩から『今年の一年はナメてる』って思われて、迷惑してんだっつーの」


 三人の誹謗中傷に晒される相崎百合香。

 そんな彼女が、突如として奇声を上げた。


「うるさい! みんなうるさい! 私だって、好きでこんな髪してるんじゃないよ! そんなに言うんなら、こんな髪……!」


 相崎百合香は通学カバンの中からハサミを取り出すと、自分の髪の毛を掴んでハサミでじょきじょきと切り始めた。

 三人の女子は、目の前の光景を唖然としながら見つめていた。


「――ユリカ!」


 そこへ、騒ぎを聞きつけたレイリが飛んで来た。


「ちょっとやめて! やめなさい、ユリカ!」


 レイリは相崎百合香を壁に押し付けると、彼女の手からハサミを取り上げた。

 床には無残にも切り落とされた相崎百合香の髪の毛が散らばり、それはきらめく夕陽を受けて、そこだけ金色の池ができたようだった。


「レイリ……、レイリ!」


 相崎百合香はレイリの顔を見ると、堪え切れなくなったのか、人目も憚らずわんわん泣き出した。

レイリは相崎百合香の泣き声を漏らさぬよう、彼女の顔を自分の胸に優しく押し当てた。


 相崎百合香は悲しかったに違いない。

 レイリが褒めてくれた髪を、自らの手でこんなにしてしまったのだから。


 レイリは許せなかったのだろう。

 親友である相崎百合香をここまで追い込んでしまう、東中という一つの社会の在り方が。


「――待ちなさいよ、あんたたち!」


 面倒くさそうにその場を立ち去ろうとする三人の女子を、レイリが呼び止めた。

 三人から事の顛末を聞いたレイリは、三人の内の一人に妙な噂を吹き込んだという上級生のところへ自分を連れて行けと言い、真っ赤に目を腫らした相崎百合香の手を引いて、その上級生の元を訪れた。

 レイリは開口一番、


「あなたは土曜日の朝にホテルから出て来るユリカを見たと言っていますが、それは本当ですか? それがユリカであるという事実、もしくは根拠はありますか?」と言って、その上級生を驚かせた。


 レイリは立て続けに言った。


「私は前日の夕方にユリカの家でお茶をしてから夕飯までごちそうになりました。その後、家に帰ってからも私はユリカと何度かLINEでやり取りをしています。ユリカは夜が苦手で、十時には布団に入ってしまうような子です。そんなユリカが夜中に一人で外を出歩くなんていうことは考えられません。しかも、ユリカの携帯には防犯用のアプリが入っていて、ユリカの携帯の位置情報は五分ごとに個人の専用サーバーに記録され、ログはユリカの両親の携帯で確認することができます。それでもあなたがユリカを見たというのであれば、ユリカの両親にその情報を公開してもらうよう頼んでみますが、どうですか?」


「いや、どうですか、って言われても……」


 レイリは声を荒げた。


「ちゃんと答えてください! 私の友達は、変な言い掛かりを付けられて、こんなになるまで自分を傷付けているんです!」


 そう言って、レイリは自分の横に相崎百合香を立たせた。

 元の三分の一ほどまで無造作に切り散らされた髪の相崎百合香を見て、相手はぎょっとした。


「無実を訴える彼女がここまでしているんです! あなたも自分に信があるなら、それなりに誠意ある対応を見せてください!」


 上級生はレイリの剣幕に圧され、結果、口を濁しながら「それっぽい人物を見たというだけで、顔を見て確認したわけではない」としか言うことができなかった。


「それじゃあ、あなたの言ったことは全部ただの勘違いだったというわけですね。ありがとうございました。では今後一切、ユリカのことで変な噂を流さないでください。いいですか? お願いしましたからね」


 レイリは軽く一礼すると、相崎百合香の手を引き、その場を後にした。


 しかし、レイリは事態をこれで良しとはしなかった。


 翌日の全校朝会の時だった。その最後、「それじゃあ他に連絡事項は?」と、教頭が形式的な台詞を吐く中、「はい!」と毅然と手を挙げた者がいた。レイリである。

 レイリは前に進み出て教頭の手からマイクを受け取ると、登壇して全校生徒を前にした。


「私は、一年四組の柏原玲梨と言います。全校生徒の皆さん、聞いてください」


異様な雰囲気にざわつく全校生徒を見渡し、レイリは落ち着いた口調で話し始めた。


「今、私の友達がありもしない噂を流され、そのせいで大変苦しんでいます」「その子は生まれつき髪の毛が茶色いというだけなのに、それとは関係ない部分で妙な偏見を持たれ、迫害を受けています」「その子のことは、この私が一番よく知っています。彼女はちょっと人見知りで、おっちょこちょいで、でも、根はすごく真面目で、何事にも一所懸命な、優しくて、笑うとかわいい……私の、私の大切な友達なんです!」


 レイリの話を呆然としながら聞く生徒一同。

 と、その中から誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。それは壇上に立つレイリの耳にも届いていたはずだが、レイリは構わずに話を続けた。


「今、彼女について出回っている妙な噂は、全部デタラメです。真っ赤な嘘です」「たとえ学校中を敵に回しても、最後の一人になっても、私は彼女の味方であり続けます」「彼女がどこにでもいる、ごく普通の、一人の女子中学生であることを、私は知っています」


「私の友達、相崎百合香のことを悪く言う人間は全員、この私――一年四組、柏原玲梨のところまで来なさい! 彼女の無実は、この私が証明してみせます!」


 話し終えるなり、レイリはマイクを放り出し、壇上から駆け下りた。

 レイリの放ったマイクは床に落ちて壊れ、耳をつんざく鋭い金切り音を響かせる。

 それにも構わず、レイリは真っ直ぐに相崎百合香の元に駆け寄ると、泣きじゃくる彼女をそっと優しく抱きしめ、自らも大粒の涙を流し、声にならぬ声を上げた。

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