起-3
脳内で反芻したあと、死神に取り憑かれたかのような野郎をガン見した。この生気のなさで何言ってやがんだコイツは?
視線に気づいた吉見が眉間に皺を作って、何、と短く言う。
「いや、そういう……メシも食いたくねぇっていう、そのテンションで仕事もやってんのかと」
「仕事はちゃんとやってる。仕事以外の時間が苦痛で堪らねぇんだ」
再び耳を疑った。聞いたこともない、そんなヤツ。
「信じらんねぇ、じゃあ仕事中はシャキッとしてるっていうのか?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「仕事中に鏡なんか見たことねぇから」
「ちなみに何の仕事してんだ? そっちの会社で」
「──」
「あぁ、別にスパイしようとか思ってないから警戒すんなよ。あんたがどういう部署にいんのかっていう単なる好奇心だ」
すると男はひどく面倒くさげに名刺入れを出して、無言で一枚寄越した。
「あんた、いくつ?」
「はぁ……? 32」
「マジで? 一緒じゃん、俺も32だよ。何月生まれ?」
「2月だけど」
「あ、俺8月だから学年は違うんだな」
「あぁそう」
だからどうしたと言わんばかりの野郎の部署と肩書きはしかし、少なくともこちらの社で言えば矢嶋より2つも上のポストだった。単純に一期上と考えたって、その隔たりは決して小さいものじゃない。
──マジで?
綯い交ぜになって押し寄せた戸惑いやら敗北感やらの塊を深呼吸で吐き出し、矢嶋は内ポケットに手を突っ込んだ。が、横目をくれた吉見に素早く一蹴された。
「名刺ならいらねぇよ」
余計なことは知りたくないと素っ気なく拒否されて、半ば安堵した自分に忸怩たる思いを抱く。仕事に人生を捧げてるつもりなんかさらさらなくとも、半年違いの男として2ランクの差を突きつけられれば少なからずプライドも刺激されるってモンだ。
複雑な思いで、仕事しかしたくないというフザけた言葉を反芻した。
普通なら冗談としか受け取れないその言葉は、信じられないことに純粋な本音なのかもしれない。そうでなければ、その身分の説明がつかない。
とはいえ不景気な姿しか知らない矢嶋にしてみれば、この男がバリバリ仕事をこなしてるさまなんて全くピンとこなかったし、想像しようとしても一瞬でエラーとなって終了した。
が、ただひとつ。
吉見の主張や肩書きを前提とするなら、あの若いツレの態度も腑に落ちる。
「あのさ、いつもメシんときに一緒にいるヤツいるよな。後輩?」
「あ? あぁ……部下。去年の春から俺の下に来て、最初はイマイチ使えないヤツだったけど、まぁ……」
そこで一旦深い溜め息を吐き、吉見は続けた。
「なかなか磨き甲斐があって」
「そのオチで、なんでいちいち途中で溜め息吐くんだよ」
「仕事でもないのに長文喋んのが面倒くさくて」
「あんた、その調子で彼女とか……いねぇよな、もちろん」
矢嶋が訊いたとき、二人前の串がやってきた。
お通し──大根とゲソの煮物の小鉢だけだった手元に、ようやく食欲をそそる熱気が登場した。
「そういや、食いモン何も頼んでねぇの?」
「夜は食欲が湧かない」
「まさか、朝まで仕事がないからだとか言わねぇよな」
「──」
どうやら図星らしい吉見も立ちのぼる湯気に誘われてか、皿に並んだ焼き鳥の列を鈍重な視線で舐めてから、うち1本を引き抜いた。
「で?」
「何が」
「だから、彼女とか」
「あぁ……たまに仕事で知り合った相手から誘いが来るけど」
「けど?」
「付き合うとかは無理だし」
「まぁ、だろうな。あんたが休みの日にデートしてるとこなんて正直想像がつかねぇよ。けど誘われたりはするんだな、一応」
「仕事はできてるからじゃねぇのか」
「いや、どういう基準だよそれ。仕事ができりゃ女が寄ってくるわけじゃないぜ、世の中」
「知らねぇよ」
「案外、贅沢な人生送ってるヤツだな」
「だから知らねぇし、しょっちゅう断ってたら……」
「うん?」
「ホモ疑惑を囁かれるようになった」
「おっと、無理もねぇ」
「岡田……さっきの部下な、アイツがベッタリだから余計に──まぁいいんだけど」
「いいのか」
「仕事に支障がない限りはどうでもいい」
「あんたはよくても、その岡田ってのはどうなんだ」
「さぁ。知らないけどアイツは彼女いるし」
言ってボンジリの串を咥える口元に目を留め、何の脈絡もなく思った。意外と唇の形が好きだ。
決して官能的だとかそういうんじゃない。でも厚すぎず薄すぎず絶妙なボリュームのそれは、まるで唇の参考画像みたいに几帳面なアウトライン。気怠く重たい目元も実は思いのほか切れ長で、物憂げに串を摘むその指だって、グラスを持つときや煙草を口に運ぶときに作り出す形がいちいちサマになってる。
改めて全体を見ても、さっき抱いた鋭利な印象は健在で、つまり何もかもがシャープな輪郭で描かれたような男だった。
これで年齢以上の肩書きを背負って本人の言のとおり仕事に精を出してるとすれば、そりゃあ女から声が掛かるのも無理はないのかもしれない。が、少なくとも今は救いようのないダラけ具合が全てを台無しにしていた。
フィルタを挟む指先の、几帳面に切り揃えられた爪を見るともなく眺めて、矢嶋は訊いた。
「じゃあさ、休みの日とか何してんだよ?」
「何も」
「出かけたりしねぇの?」
「しない」
「全然?」
「時々、岡田が外に連れだそうとするけど、休みの日は動く気が起きねぇし……」
「動かないで何やってんだ?」
「寝てる」
「メシぐらい食うんだろ?」
「ハラ減ってどうしようもなくなれば──質問の多いヤツだな」
不景気面に眉間の皺が加わるのを見て、矢嶋は広げた両手を吉見に向けた。
「わかった。ちなみに俺は逆。まぁ仕事が苦痛ってほどじゃないけど、やっぱ断然プライベートのほうが充実してんなぁ」
「あ、そう」
まるで関心のない返事が投げ返される。
女の話も続かない。オフの過ごし方についても完全スルー。
仕事以外の時間は一体何してやがんだコイツ──?
食い終えたレバーの串を串入れに放り込んだとき、ひとつの疑問が湧いた。
「ていうかあんた、プライベートがそんなで、だったら何やって充電してんの?」
「充電?」
「仕事するための活力が何か必要だろ?」
「──」
串を手に数秒考えていた吉見は、最後に残った肉片を咥えておもむろに引き抜いた。それから無言で咀嚼しながら矢嶋に目を寄越し、やがて言った。
「仕事が活力かな」
「はぁ?」
「仕事してる間に充電される」
「電動自転車の回生充電みたいなモンだな」
それにしたって、ここまで酷いワーカホリックは聞いたことがない。
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