第41話 天才暗殺者、イライラして壁ドンする

「うにょあァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 ズダダダダダダダダダダダダッ!


 廊下は走っちゃいけません。その常識をブチ壊す!


「間に合ってェェェェェェェェェェェェ!」


 叫びながら、私はまっすぐ伸びる廊下の果て、大浴場の入り口めがけて激走する。

 大浴場の入り口は左右の壁際に二つ。

 男湯と女湯。そう、その二つが明確に分かれている、はずだった。


 少なくとも、ちょっと前に私が確認してきたときはそうなっていた。

 しかし、しかし――!?


「あっれぇ!!?」


 廊下の果てに見えた大浴場の入り口は、側面ではなく最奥に一つきり。

 男、の暖簾でもなく、女、の暖簾でもなく、大きく「湯」と書かれた暖簾。


「どーゆーことだってばよ!!?」


 入り口前で足を止めて、私は思わず絶叫した。

 が、それを確認している時間は、私には与えられなかった。


「どうしておまえがここにいるんだよッ!?」


 暖簾の奥から聞こえる、悲鳴じみた女性の声。

 それは間違いなく、ラン・ドラグのものに間違いなかった。


 遅かったか――ッ!

 と、胸中で悲鳴をあげつつ、私は暖簾をくぐって奥にある脱衣所へと走った。

 そして、そこにあった絶望の光景を、私は目の当たりにすることになる。


 ――脱衣所の奥、温泉に通じる入り口で固まっている裸のグレイ・メルタ。

 ――そのさらに奥、湯気立ちこめる温泉に立つ、これまた裸のラン・ドラグ。


 グレイ・メルタは腰にタオルを巻き、ラン・ドラグはタオルで前を隠している。

 しかしそれは果たして不幸中の幸いと呼ぶべきことなのか。

 いや~、無理じゃないかな~。どんだけ贔屓目に見ても、焼け石に水よね。


「……な、え、ラ、ラン?」


 脱衣所と温泉の境目辺りで、グレイ・メルタは完全に固まっていた。

 私が踏み込んだのは、まさに彼が温泉に続く引き戸を開けた瞬間だったらしい。


「――グレイ・メルタ!」


 私はすぐさま彼に駆け寄り、まずは事情を耳打ちした。


「は? ……混浴の時間帯!?」

「え、混浴? 何それ、どういうこと!」


 グレイ・メルタがあげた驚きの声に、ラン・ドラグもまた目を見開いて叫ぶ。

 彼女には、私の姿は相変わらず見えていないようだ。

 そしてこの反応を見るに、ラン・ドラグも混浴については初耳、か。


「いや、今は混浴の時間帯らしい、ぜ……」

「何、そんな時間帯あるの? そんなの聞いてないよ、僕!」


 うんうん、それについてはグレイもあっしも聞いてなかった。

 これは、温泉宿の支配人に対して鉄拳制裁待ったなしなのでは?


 いや、そんなこたぁ、今この場ではどうでもいい。

 それよりも今は、向かい合ったままになっちゃってるこの二人である。


「……じゃあ、グレイが入ってきたのは」

「混浴の時間があるとは知らんかった。奥で男湯と女湯に別れてるのかなって」


 グレイ・メルタがひとまず頭を下げる。

 ラン・ドラグは、そんな彼をジッと凝視していた。睨んでいるといってもいい。

 だが、この遭遇が狙ったものではないコトは伝わると思う。


「そっか」


 しばし続いた沈黙ののち、ラン・ドラグが口を開いた。


「グレイは、僕を覗きに来たワケじゃないんだね」

「ったりめぇだろうが! ンなコトするかよ!」


 睨む視線はそのままに、しかしラン・ドラグは一応の理解を見せる。

 グレイ・メルタは本気で慌てふためいたが、裸のままじゃ説得力皆無! 絶無!


 けれど、何とかこの場での事態の悪化はなさそうか。

 これには私も安堵する。と、そう思った矢先――、


「……本当に、全部グレイが言ってる通りなら、だけどね」


 あれ?


「なぁ、ラン……?」

「動かないで。その場から、一歩も動いちゃダメ」


 命じるラン・ドラグの声は、これまでに硬く、冷たいものだった。

 そして私は気づく。彼女がグレイを睨む瞳の奥、そこに渦巻く強い疑念の光に。


「本当に――、本当にグレイが混浴のことを知らなかったなら、これは事故だね」

「そうだよ、事故だよ! それ以外の何だってんだ!」


 言われたグレイは顔色を赤くして、大きく腕を振って否定する。

 しかし、それではラン・ドラグの瞳に蟠る疑いの光は、いささかも揺るがない。


「前に」


 ラン・ドラグが言う。


「僕はおまえに、そばにいてくれるなら僕に触っていいって言ったよな」


 え。何それ。

 そんなこと言われてたの、このどーてー野郎?


 私はチラリとグレイ・メルタを見る。

 すると彼は、気まずそうに口をモゴモゴさせていた。何照れてんだオメー。


「おまえが事前に言ってくれれば、僕はおまえと一緒に温泉入ってもよかったよ」


 はぁ? この状況で、この女さん、そんなこと言っちゃうでやんすか?

 あ、グレイ・メルタの横顔が『マジか、マジかオイ』って感じのアトモスフィア。


「いやいやいやいや」


 と、しかしそこでグレイ・メルタはかぶりを振る。


「それはあれだろ、俺が相棒になることへの対価に、だろ? そういうのは自分を売るってんだぞ、ラン。いかんだろ。仲間ってのは、そういうモンじゃねぇだろ!」

「知らないよ! 仲間なんて今まで一人もいなかったんだから!」


 グレイが諭そうとするも、しかし、ラン・ドラグはそれ以上の大声で反論した。

 変わらず疑いのまなざしのまま、だが彼女の顔は何とも苦しげだ。


「そんなの、ずっと前の話だろ! 今は相棒の俺も、パニさん達もいるだろが!」

「そう、相棒だよ! 僕はおまえの仲間で、相棒のつもりだったよ! そう思ってたよ! この前、おまえが僕に何も言わないでパンツ盗むまではね!」

「あ~、それは……」


 ランに言い返され、グレイ・メルタは途端に勢いを失う。

 まぁ、そりゃあ答えられるはずもないでやんすよねー。だって実行犯あっしだし。


「ねぇ、グレイ。何であんなことしたの? 僕は相棒だよね、だったらどうして?」

「う、ぐぐ……」


 立て続けに浴びせかけられる詰問に、グレイ・メルタはただただ答えに窮した。

 だが、それをするラン・ドラグの方も顔を辛そうに歪めている。


 実際、辛いのだろう。

 信じた男が自分を裏切るような真似をした。その事実を信じたくないのだろう。

 だから、グレイを問い詰めている。自分が納得できる理由を欲して。


「……だったら」


 しかし、グレイ・メルタは、この男は――、


「だったら、俺が見せて欲しいっつったら、パンツ見せてくれたのかよ!?」


 どーしてここでそーゆー、的の外を光の速度で駆け抜けるコト言っちゃうかな。

 見てごらんよ、ラン・ドラグのまん丸になった目を。

 おまえを信じたくて辛いながらも問い続ける彼女にさ、その仕打ちはどーなのさ。


 って、あっしが思ってたらさ?


「み――」


 何かラン・ドラグが体をプルプル震えさせて、直後、


「見せるよ! パンツくらい! グレイにだったらいっぱい見せてあげるよ!」


 この絶叫である。

 今度は、グレイ・メルタの方がおめめまん丸になっちった。


「……いや、ホント似たモン同士でげすな、ご両人」


 これには、さしもの私もそう言うしかなかった。そう言うしかないじゃろ?


「だけど! それはおまえが僕にとって唯一無二の相棒だからだ! 僕は、それくらいにはおまえのコトを大切に思ってるよ! けど、おまえはどうなんだよ!」


 左手にタオルを抱えて、ラン・ドラグはグレイ・メルタに右手の指を突き付ける。


「もう一回きくぞ、何で僕のパンツ盗んだんだ!」


 そして、再び追及が始まった。

 やたらパンツにこだわっているようで、それ自体は実はそこまで重要じゃない。


 ラン・ドラグが見逃せないのは、グレイ・メルタが自分に黙っていたこと。

 相棒と信じた彼が、自分を裏切ったというその事実が、彼女を荒れさせている。


 そう、彼女は――、ラン・ドラグは、グレイ・メルタを許したいのだ。

 だから納得したい。何でもいいから理由をきいて、納得して彼を許したいのだ。


 けれど、グレイ・メルタが答えないから、彼女は余計に荒れる。

 傍から見ているだけでそうとわかる、愚かしいまでの悪循環であった。


「教えてよ、グレイ。おまえは、僕の体目当てだったの? そういう人だったの?」

「違う、違う違う! そんなんじゃねぇよ! 俺は……!」


「じゃあ、どうしてパンツ盗んだの? ……教えてくれるよね?」

「いや、だからそれは……」


 一度は大声で反論するグレイだったが、しかし、話の矛先が『パンツを盗んだ理由』に至ると途端に声が小さくなってしまう。それが、ラン・ドラグの猜疑を掻き立てるとわかっているだろうに、それでもこの男は、答えようとしない。


「黙ってちゃわからないよ、ねぇ……」

「ラン、俺は……」


「もしかして、相棒だって思ってたのは、僕だけだった?」

「な!? ンなこたァ、ねぇよ! おまえは、俺の相棒で……ッ」


「じゃあ、何で答えてくれないの。パンツ盗んだ理由、そんなに隠し通したいの?」

「う……」


 一声呻き、それでグレイ・メルタの動きは止まってしまう。


「……パンツ盗んだのも、こうして僕だけが温泉にいる時間を狙ってきたのも、おまえが僕のコトを都合がいい存在だと思ってるから、なのかな?」


 ラン・ドラグが、その顔に半笑いを浮かべた。ただし、唇は震えていた。

 彼女も、限界が近い。私はそう感じた。

 膨れ上がった疑心暗鬼が、グレイを信じようとする気持ちを上回ろうとしている。


 そうなったら、きっと彼女はグレイ・メルタの前から去っていく。

 私の暗殺対象は相棒を失って、私に対して大きな隙を晒すことになるだろう。


「違ェよ、そうじゃなくて……」


 なのに、グレイ・メルタは相変わらず煮え切らない返答をするのみ。

 どうしてそんな態度しかできないのか。何で、ラン・ドラグに応えられないのか。


 ――そんなの、決まってる。


「グレイ・メルタ」


 私は、隣に立つ裸姿の言い訳の一つも口に出せない情けない男に告げた。


「もう、いいです。もういいですよ。彼女に、私のことを教えてあげてください」


 本当に、この男はワケがわからない。

 唯一無二の相棒との関係を危機に晒してまで、どうして私のコトを話さないのか。


 一言、ただ一言だけ。

 自分がやったんじゃないと、そう言えばそれで全て解決するのに。


 この男は自分を疑うラン・ドラグに対し、頑として私のコトを言おうとしない。

 本当に理解できない。私がどういう存在なのか、知ってるでしょ!


「私がおまえを陥れた。それを彼女に教えれば、終わる話じゃないですか」

「…………」


 グレイ・メルタは押し黙っているが、今さら、彼女に私の存在がバレたところで、状況はそう大きく変わりはしない。

 何せ、すでに私の存在は今回同行しているほぼ全員に知られてしまっている。唯一、ラン・ドラグだけがまだ気づいていない。もはやそんなの、誤差同然だが。


「……言えねぇ」


 だが、グレイ・メルタが私に返してきたのは、予想だにしない一言だった。


「俺は、あいつにおまえのことを暗殺者だって言っちまってる。だから言えねぇ」

「はぁ!? 何言ってるんですか、おまえは! 自分の立場わかってるんですか!」


 私は、こいつを狙う暗殺者で、こいつは、私に殺される暗殺対象だ。

 そうだ。それ以外の関係性など、私とこの男の間には存在しない。なのに――、


「どうしておまえが私を守ろうとするんですか!!?」


 ひとつも理解できずに、私は叫びを迸らせた。

 何を考えてる? 何を考えているの? 本当に、この男、ワケわかんないよ!


「うるせぇ、おまえは黙ってろ」

「黙ってられるワケないでしょ! どうするんですか、ラン・ドラグはもう自分だけじゃ止まれなくなってるんですよ? おまえの言葉が必要なんですよ!」


「……だったら、言ってやるさ」

「今さら、何を!」

「掛け値なしの本音をだ!」


 ……え?


「おい、ラン――ッ!」


 いきなり、グレイ・メルタは胸を張ってランに向かって逆に指を突き付け返した。


「な、何だよ……」


 それが唐突すぎて、ラン・ドラグの方も鼻白んだ様子。

 しかし、すぐにキッとまなざしをキツく尖らせて、彼女はまたグレイを睨んだ。


「言っておくけど、その場しのぎの言葉で逃げようとしても無駄だからね?」

「ハッ、俺が逃げるのは敵からだけだぜ。相棒相手に、逃げるワケねーだろうが!」


 これまでと一転して、グレイ・メルタにいつもの調子が戻っていた。

 お調子者め、とも思うが、それがこの男の味であることも、また事実ではあった。


「男と女たぁいえど、ここは温泉! お互い裸! こうなりゃ心も裸にして、俺はおまえに言いたいことをバッチリ言ってやろうじゃねぇか!」

「それは僕のパンツを盗んだ理由に繋がるなら、聞いてやるさ」


「じゃあ言うがな、ラン! おまえ――!」

「……何だよ!」


 真正面から相棒に視線をぶつけ、グレイ・メルタが湯けむり舞う温泉に吼えた。



「おまえに、くまさんパンツは似合わねェンだよォォォォォォ――――ッッ!」



 そして静寂が訪れた。

 シ~ン、って感じで。シ~~~~~~~~~~~~~~ン、って感じで!


「……正気でげすか、おまえ」


 私はついつい、素でそんなことを尋ねてしまう。


「正気だ!」


 そしたら、威風堂々返された。こいつ狂ってるなって思った。


「…………あの、おまえ、それ」


 一方で、ラン・ドラグは肩を小さく震わせている。

 だが彼女が何かを言うより先に、グレイ・メルタが次の言葉を叩きつける。


「おまえにはもっと似合うパンツがあるッ!」


 ちょ。

 こいつ……、こいつ! え、本気で言ってるの!?


「おまえ、普段はクールでカッコイイ感じなんだから、下着もそれに合わせた方がいいかなって! 俺は思うね! 人の趣味にケチつける心算はないんだけどさ!」


 バリバリ本気だ――――!?

 こいつ、心底本気の本気で、人のパンツにダメ出ししてる――――!


「え、あの、グレイ……? あの、あ、っと……」


 ラン・ドラグ、完全に話に取り残されてる!

 全然ついていけてない顔してる!


 そりゃそうだよ!

 切羽詰まった話をしてたはずのに、何かパンツの趣味にケチつけられてんだモン!


「俺がおまえのパンツを盗んだ? いいや違うね! 俺はこれを由々しき問題と捉えて、相棒としてこれについてきっちり話をしようと思って、ちょっと預かってただけだね! 知ってしまった以上、俺の中でこれは解決しなきゃいけない問題だから!」


 グレイ・メルタよ、おまえは論点そこに持ってくのか?


「そ、そんな……! 僕のパンツの趣味って、そんなにおかしいのかい!?」


 そしてラン・ドラグ、おまえはそこにショックを受けるのか?


「……さっきまでのシリアス、どこ?」


 私は虚空に視線を彷徨わせて、いなくなったシリアスさんを探した。

 しかし、見えるのはもうもうと立ちのぼる温泉の真っ白い湯けむりだけだった。


「え、おかしい? 僕、趣味おかしい? 変かな? 恥ずかしいかな!?」


 さっきまでの思いつめた表情はどこへやら。

 ラン・ドラグはせわしなくまばたきをしながら、顔を青ざめさせている。


「別に、おかしいとは言ってねぇだろ。くまさんパンツ、可愛いと思うぜ」


 キリっとした顔で最低な発言してる野郎がいる。


「――――ッ!」


 そして、それを聞いてパァっと表情を輝かせる変な女もいる。


「ただな、ラン」

「う、うん? 何?」


「外に出るときには、くまさんパンツ、あんましはくな!」

「えっ、な、何でさ……!?」


 おっと、最低な野郎が変な女に最低な要求をしてきたぞー。かっこぼうよみ。


「おまえの……」


 と、続きを言いかけて、しかしグレイ・メルタは言葉を一端区切る。

 何でそこで溜めるの? 溜める必要ある? いや、ないね! かっこ反語表現!


「おまえの、えっと、あー……」


 あ、違う。

 これ単に口に出すのが恥ずかしくて、言葉止まっちゃったヤツだ!


 え、バカ? バカじゃないの?

 そんな風になるなら最初から言わなきゃいいじゃない。今さら純情ぶんなし!


「グレイ……?」


 ラン・ドラグは、明らかにドキドキしてる感じで相棒の言葉を待っている。

 そして、グレイ・メルタは二度三度首を振り、両手で自分の頬をペシンと張った。


 そこまでして意を決して、おまえは何を言わんとしているのだ。

 半ば呆れながら、そんな風に思いつつグレイ・メルタを見ていると、


「ラン! おまえの可愛いところは、俺だけが知ってりゃいいんだァ――――ッ!」


 ほとんど告白そのもののの文句ブチ込んでったァァァァァァ!!?


「え」


 それに対して、ラン・ドラグはまず一声。


「…………」


 そして、ぽかんと口を開けた状態になって、かーらーの、


「――ひんッ」


 顔を真っ赤にして涙目になって、小さく鳴いた。

 うああああああああああああああ、かわい子ぶりやがって――――ッ!


「普段のおまえは凛々しい、そして戦う姿はカッコイイ! ラン、それが外での冒険者としてのおまえなんだから、それをどうこう言うつもりはねぇ! しかし! 家にいるときに見せるおまえの可愛さを、俺以外のヤロウが見知るのは許せねぇ!」


 こっちはこっちで開き直ったか、言いよる言いよる。

 ものの見事な独占欲ですねぇ。これは案外彼女できたら束縛するタイプと見た。


「か、か、か、か、か、かかか、可愛くなんか、ないよ、ぼ、ぼ、僕は!」


 おー、どもってるどもってる。ほっぺプルプル震えとる。


「いいや、可愛いね!」


 しかし、グレイ・メルタ、即切り返した――――ッ!


「庭の花壇で花を育ててるおまえも、パニさんと一緒に買ってきた小物についてキャッキャしてるときのおまえも、腹減ってキュウってなってるときのおまえも、食い物前にして幸せそうに笑うおまえも、全部可愛いって俺は知ってるからな!」

「もうやめてぇ……」


 まくし立てるグレイ・メルタを前に、ラン・ドラグは屈んで両手で顔を覆った。


「何言ってんだ、ラン! まだ話は終わってねぇぞ!」

「もういいよ、もういいからー! くまさんパンツは家でしかはかないからー!」


 瞳に炎滾らせて、さらなる情熱を言葉に乗せてぶつけようとするグレイに、ランはついにギブアップ。そして、傍からそれを眺めていた私は思った。


 ――何見せられてるんだ、私は?


 あれ、グレイ・メルタとラン・ドラグの関係破綻の危機は、どこいった?

 何かいつの間にか、クソヤロウとクソアマがイチャつき始めてたんだけど、あれ?


「まぁ、その……」


 グレイ・メルタがコホンと咳ばらいを一つ。


「何も言わないでくまさんパンツ持ってったのは悪かった。ごめん」

「うう、いいよ、もう。それどころじゃなくなったから……」


 ラン・ドラグは温泉の中に顔の半分まで沈めて、頭を下げる彼を流し見る。

 そりゃあ、直視なんてできるワケねーわなー。

 見える範囲で、さっきからずっと彼女の顔は赤いままだ。


「よし、問題解決! じゃ、俺は戻るわ!」

「え?」


 踵を返そうとするグレイだが、ラン・ドラグが彼の背中に疑問符を投げる。


「……帰っ、ちゃうの?」

「いや、さすがに時間帯がそうだからって、一緒に入るワケにも」


「いいよ」

「……何て?」


「今はそういう時間帯だから仕方がないよ。だから、一緒に入ろうよ」

「…………あー。……いい、のか?」


「……二度も言わせないで。こっちだって恥ずかしいんだから!」

「相棒が見せるこういう可愛さ。グレイさん、心の底からアリだと思います」

「いいから! こっち来て一緒に温泉入るの!」


 う~ん、抜群にイライラさせてくれるイチャつき具合だぜ~。


 え、何?


『ドキッ! 温泉宿でバッタリ遭遇!? かーらーの、雨降って地固まる感じな、グレイの旦那とランのお嬢仲直りラブラブ大作戦!』?


 それ、必要だった?

 別にいらなかったんじゃないかなー!


「じゃあ、ちょっとだけ……」

「うん♪」


 そして、グレイ・メルタは温泉の方へと歩みを進めていくのだった。

 同時に私の我慢がついに限界に達した。


「こんな二人だけの世界にいられるか! あっしは部屋に戻らせて頂くでやんす!」


 最後に近くの壁をドンと殴って、私はその場から退散した。

 ちくしょおおおおおお、コーヒーブラックでガブ飲みしてやるゥゥゥゥゥゥゥ!

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