第38話 天才暗殺者、温泉温泉温泉! 温泉ったら温泉なの!

 左右に開く壁!

 そして地下深くなのに漏れてくる白い光!

 そこに見えてくる景色は――!?


「って、何も見えなァァァァァァァァァァァァァい!!?」


 うおおおおおおおお、白! 真っ白! 視界が、真っヴァイス!


 眩しいとかそういうのじゃなくて、煙ー!

 何か、煙が! 開いた壁の向こうから、真っ白い煙がモワモワとォォォォォ!!?


「――クックック、ひっかかりましたな」


 聞こえてくるのはコーコ老人の声。

 まさか、罠。これは全て、コーコ老人の罠だったとでもいうのか!?


 そんなバカな、と、私は思った。

 わざわざ招いた自分の師を巻き込んでまで、私達を罠にかける必要があったのか。


 いや、もしやコーコ老人自体が〈協会〉とかいう連中の一員だった?

 だとしたらのこのこと温泉につられてやってきた私達はネギをしょったカモ。

 それどころか、ネギをしょって土鍋に乗って厨房へと滑降するカモではないか。


 何ということだ。

 だが今さらすぎる後悔も、私の視界を満たす白い煙の前には意味をなさない。

 煙は――、いや、きっとガスだろう。私達を一網打尽にするための毒ガスか何か。


 その証拠に、こんなにも私の肌はしっとりとして――、


「……あれ?」


 指先で軽くほっぺを触ってみた。

 若干、指に吸い付くような頬の感触。ぺた、というほどじゃない辺りがミソ。

 やだ……、いつもツルンツルンなあっしの肌に、さらなる潤いが!


 あ、この白いのガスじゃなくて湯気だ!


「クックック、我がオルルタ温泉郷の湯気は、ご婦人方のお肌を若返られる効果があるとかないとか! しかも、その成分たるや、他の温泉郷には見られない独自成分を含んでいるとかいないとか! その湯気を浴びた皆様の肌も、今よりさらにツルツルになるかもしれないしならないかもしれないですな! クックックックック!」


 すごい、何一つ確かな情報がない。

 ただでさえ下落の一途だったコーコ老人への信用度がついに黒土砂へ到達!


 あ、黒土砂っていうのは青天井の対義語っぽい感じのあっしの造語でやんす。

 溢れる知性が溢れて止まらないあっしは言葉すらも作っちゃったんでやんすね。

 う~ん、いんてりじえんす。


「……ところで、何がひっかかったんでやんす?」

「え、壁が開いて何か見えるかなーと思ったら湯気で何も見えませーん! という」


 という、じゃないよ。

 そんなつまんねーひっかけに誰がひっかかるんだよ!


「うむ、おんし以外は誰もひっかかっとらんようじゃのう」


 私の後ろから大妖怪の声が聞こえた。

 後ろを振り向く。そこには、私以外の全員が揃っていた。

 私一人だけが、壁が開いたその瞬間にそちらへと飛び出した形である。


「…………」

「何か、言うことはあるかの? ムールゥちゃんよ」


 黙りこくる私に、ウルラシオンの大妖怪はニヤニヤとした笑みを向けてきた。

 しかし甘い。その程度で私の羞恥心を煽ろうなどと、あまりにも考えが甘すぎる。


 このくらいの窮地ならば、私は幾度となく経験してきた。

 そしてそのたびに、この方法で脱してきたのだ!


「お」

「お?」

「覚えてろでやんす――――ッ!」


 私は一目散に逃げだした。


「う~ん、三下!」


 背後からグレイ・メルタの声が聞こえた気がしたが、きっと感嘆のそれであろう。


「ひとまず戦略的撤退~! 戦略上、五秒後に合流を予定!」


 迷子になったら困るからね!

 離れてもいいけど、はぐれるのはノゥ! 旅行におけるお約束でやんすね!


 そんなこんなで私は未だに視界を覆う大量の湯気の中を走った。

 何でこんなに湯気が、という疑問を覚えるよりも先に、私は湯気の向こうに至る。

 そして――、


「…………ふわぁ」


 そこに現れた景色を目の前にして、私は思わず足を止めた。

 想像だにしなかったものが、そこにあったからだ。


 開いた壁の先は、かなり高い場所であるようだった。

 地下なのに高い場所、というのもおかしな話だが、広大な空間を一望できる場所なのだから、そう形容するのがきっと一番わかりやすいだろう。


 そう、広大な空間だ。

 とても地下とは思えない、広く、大きく、そして明るい空間。

 優に街一つは収まりそうな、それだけの巨大空間である。


 草木はあまり目立たず、見えるのは凹凸に富んだ剥き出しの岩肌。

 黒、灰、茶、ときに赤。それらが入り混じる岩の連なりが視界を占めている。


 それのみならず、今さっき私が見た湯気の白色が雲のように流れていたりもする。

 バシュウ、と、近いどこかで音がした。

 それは、岩から湯が噴き出した音だった。間欠泉、というものだろう。


 湯気と湯が、岩と岩の間に見える。

 一か所ではない。そこかしこから湯気が立ちのぼっているのが見えた。


 離れた場所でもはっきり見えるのは、その空間全体がかなり明るいからだった。

 天井にヒカリゴケが生えているだけでは、これだけの明るさは担保されまい。

 おそらくは、岩そのものが発光している。そういう特徴の鉱物なのかもしれない。


 わずかながら草木も見えている。

 ここは、命なき場所ではない。ということだろう。


 いや、それは最初に見たときからわかっていたことだ。

 これだけでもかなり雄大な景色だが、しかし私は驚いた理由はそれだけではない。


 私が見る先。

 岩と岩の間に流れる湯の川をまたぐようにして、朱色の橋が架かっている。

 そして一つではないそれらの橋が結ぶ道の先には、見るも巨大な御殿が建っていた。


 三階建てらしき建物は邸宅というよりは砦、いや、城のようであった。

 大な空間のど真ん中で、威風堂々、我こそが中心とばかりに激しく自己主張している。


 瓦の屋根に白い壁。建築様式は東方のもののようだ。

 が、これまで私がこなしてきた諸々の任務で得た知識に照らし合わせると随分古いな。


 しかしそれはボロいということではない。

 むしろ逆。これだけの距離はあって遠目に見てわかる程の、圧倒的な風格。

 その屋根に、その壁に、そのどこまでも均整の取れた全景に、私は目を奪われる。


 周りの荒々しい岩の連なりと、時折噴き出る湯と煙。そして城。

 きっと私でなくとも、この景色を見た者は想像力を掻き立てられることだろう。

 私が声を漏らした理由の八割は、そこに立つ御殿の迫力に度肝を抜かれたがゆえである。


「ご覧になられましたか」


 コーコ老人の声がする。

 振り向くと、そこにコーコ老人他、全員が揃って景色を眺めていた。


「こいつぁスゲェな……」


 パニ・メディが私同様、そこにある風景に目を見開き、口をあんぐり開けている。

 そーだろ、そーだろ。すごいだろう、この景色! 最高だろう!

 別に私のモノじゃないけど、何でか得意げになってしまった。いや、なるじゃろ?


「コーコのじいさんよ、まさか、ここが……?」


 グレイ・メルタもいささか声を震わせ、コーコ老人の方を見た。

 すると老人は若干の間を空けて「然様……」と深く深くうなずくのであった。


 それを見て、私は直感した。

 このジジイ、思いっきり「訳知り顔キャラの神妙意味深ムーブ」を堪能してるな!

 って。


 だって顔がそうだモン!

 髭に隠れてるけど、上唇の端っこがよく見るとヒクヒクしてるモン!


 あれ絶対、ニヤけるの我慢してるからでやんすよ。間違いない!

 あっしはそういうの詳しいんでやんす! あっしの目をあざむけると思うなよ!


 あ、溜めてる! 今ちょっと溜めに入ってるよこのジジイ!

 ここで間を空けて、溜めを作ってかーらーの、今明かされる衝撃の事実ゥ!

 ってパターンでやんすね、こいつは。


 あっしから見たら丸わかりだけど、ちょっと気になるからツッコミはしないでおこう。

 フッ、あっしの好奇心に礼を言うでやんすね、コーコ老人。


 そして、溜めによって高まった緊張感がついに最高潮に達する。

 と、直後、コーコ老人がその両眼をいっぱいに見開き、鬼気迫る表情で皆へ告げる。


「こここそが、地獄谷温泉郷オルルタ四丁目十七番地5-6-6ですじゃッッ!」


 告げられたのは住所だった。


「……いや、どこ?」


 そしてグレイ・メルタが返したのはあまりにも当然すぎる疑問だった。


「ここですじゃ。ここ、ここ」


 コーコ老人が自分が立ってる場所をドスドス踏みしめる。


「知らんし」


 まーね、そーよね。知らんよね。心の底から知ったことかっつー話よね。

 あっしもグレイ・メルタと同意見だわー。屈辱だわー。


「フフフ、そういう反応にもなりましょうなぁ。全てはそれがしの予想通り」


 この白けた空気まで含めて予想通りと抜かすか。

 だとしたら、空前絶後、前人未踏、史上他に類を見ないレベルのキモの太さだぞ。

 ちょっと尊敬してあげてもいでやんすよ。


「で? だから?」


 一方、こっちは白けに白け切って肌の色が透過寸前になりかけているパニ・メディ。

 その視線に込められた呆れの色たるや、向けられたら痴呆確実でやんすね!


「フフフ、そんな目で見られたらそれがしちょっと……、んんッ」


 途中で言葉を切るな。

 変な声を出すな。

 あまつさえ頬赤くして身震いしてんじゃねぇでやんす。おまえソッチかよぉ!


「ん、ふゥ……。臓腑まで抉り抜くが如き突き刺す視線。なかなかの御手前でした」

「軽く呼吸乱して言うことがそれか。最低でも筋金は入ってンな……」


 グレイ・メルタが一歩後ずさりしつつそんなことを言う。

 いやー、参ったね。最低でも筋金入りかー。

 最低じゃなかったら一体何が入ってるの? 鉄柱? どこに入ってるの? ケツ?


 …………考えるのやーめた!


「さて、それではご案内しましょう」


 誰も望まない形で話に区切りがついたところで、コーコ老人が歩き出す。


「案内って、どこへ?」


 そこで、実に久々に口を開いたのがラン・ドラグ。


「無論、あそこに見えているアレですじゃ」


 コーコ老人が指さす先にあるのは、地下空間の中央に鎮座する巨大御殿。


「まさか、あの城に何かが……!」


 私が何度目かになる驚きを感じているそばで、ラン・ドラグも息を呑む。


「いや、違いますぞ」


 だが違った。え、違うの?


「あの城の右隣にあるアレですじゃ」

「え、どれ? え?」


「アレですじゃ、あそこの、あの、大きな岩の隣の、アレ。アレでございますぞ」

「あー、はいはい、何かあるねー。何か、一階建てのちっちゃい建物」


 ラン・ドラグには見えたようだが、私にはわからない。

 え、どれ。どれー? どれなのー! ぴー!


「ちなみに、あのど真ん中のおっきいお城みたいのは?」

「〈協会〉の本部ですな」


 敵の本拠地じゃねーか!!?


「で、隣にあるあの比較にもならない小さい建物は?」

「それがしが経営している温泉旅館ですな」


 ――ピクッ。


「ちなみに〈協会〉本部が地獄谷温泉郷オルルタ一丁目一番地1-1-2、それがしの温泉旅館〈ひなびた温泉宿亭〉が一丁目一番地1-1-1ですぞ」


 別にそれはどうでも――、いや待って何その旅館の屋号。何考えてそうしたの!?


「ふむ……」


 と、なだらかな下り坂を歩きながらコーコ老人が何かを考え込み始める。

 それを見る私の鼻先をくすぐる、若干の硫黄臭さ。


 鼻を衝く匂いであるが、しかしそれこそは温泉郷の温泉郷たる匂いでもある。

 私の中で、長らくあった温泉への期待がいよいよ大きく膨らむ。


「先に本題を済ますため〈協会〉本部に向かいますかな」


 …………あァン?


「や。温泉」


 私はコーコ老人の前に出て、ピシっとそう言った。


「いや、しかしやはり〈協会〉の方が優先されますゆえ……」

「や。温泉」


 この期に及んで、この匂いを私に嗅がせて、何言ってんだこのジジイ。


「温泉を楽しまれるのは、問題が終わったあとの方が……」

「や。温泉」


「いや、しかし……」

「や。温泉。温泉行くの」


 私の視界がぐにゃりと歪む。

 何故ならば、そう――、私は今、目に涙を浮かべているからだ!


「温泉……。温泉入りたいの。温泉……、やっと来れたのに、もう我慢したくないよぅ」


 潤んで揺れる瞳!

 小刻みに震える体!


 上気した頬に目一杯の上目遣い!

 両手は祈りの形に組み合わせて、そして懇願する震え声!


 その見た目、まさしく愛くるしさ百億万点の小動物!

 これをされて折れぬ野郎などいない! 見たかあっしの無敵おねだりポージング!


「いやー、しかしですなー」

「おらっしゃー!」


 折れなかったので思いっきりグーパンチしてやった。


「はひぃっ(はぁと)」


 あ、やべ、殴っちった。


「そ、そこまで言われては仕方がありませんな。では、旅館の方へ参りましょうぞ」


 そしたら何かお願いが受理された模様。ヤベェ、嬉しそうに笑ってる。

 やっぱこのジジイ、ソッチじゃないでやんすかー!


 ……でも別にいっか! 温泉は入れるし!


「――パニちゃん、あそこ」

「――間違いないんだろうな?」


「――う、うん。間違い、ないよ」

「――そうか。OK、わかった」


 浮かれ調子でスキップする私に、そのとき話していた二人の声は届かなかった。

 だって、私の心はすでに温泉旅館にチェックインしていたから。


 温泉♪

 温泉♪

 やったぜ、温泉! ぴゃー!

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