第33話 天才暗殺者、天才重戦士を見捨てない

 私はムールゥ・オーレ、決死必殺の天才暗殺者だ。

 決して、決して、決して天才ウンコではない。断じて、ない。


 標的グレイ・メルタの家を出た私は、何の気もなく街を歩いていた。

 華麗にして完璧なる我が作戦、その第一段階は理想的な形で遂行された。

 しかし、これに驕ることなく私は作戦の完遂を目指さなければならない。


 私は決死必殺の天才暗殺者。

 標的に何を言われようともそれが揺らぐことはない。


 必ずや、私は必ずやあのグレイ・メルタを仕留めてみせる!

 決意も新たに、私は今後の作戦の手順について思いを馳せた。


「……温泉。お料理、ひなびた旅館」


 ――温泉かー、実は行くのって生まれて初めてでやんすねー。


 噂にゃ聞いてるでげすが、気持ちいいんだろーなー。

 お料理、美味しいんだろーなー。

 旅館のベッドはフカフカなのかなー。景色いいんだろうなー。


「…………エヘヘ」


 楽しみ。

 あー、温泉楽しみでやんすねー!


 生まれて初めての温泉旅行!

 ついでに暗殺者稼業もこなせてしまうという充実具合!

 やったねこれであっしの暗殺者人生薔薇色謳歌確実でやんす!


 これはもう、ジンバの兄貴もあっしを褒め称えるに違いないでやんしょ。

 そしてあっしの名は一躍ウルラシオンの闇社会に響き轟き――


 ついでに温泉饅頭もゲット!

 これにはあっしもアンティもジンバの兄貴もニッコリ!


「あ~、早く温泉旅行の日にならないかなー、でやんす」


 と、そこで気づいた。

 あれ、出発するのいつでやんしょ?


 あれ?

 あれ?

 そういえば聞いてないような……。


「……これは、あっしとしたことが、何たる迂闊」


 天才暗殺者である私も、やはりまだまだ完全無欠とはいかないようだ。

 これはまさに百年に一度の大失態。

 百年に一度なので別に長命種ではない私にとっては一生に一度の失敗だ!


「んんんんんんんん、戻る?」


 いや、しかし待て。

 ここでグレイ・メルタの家に戻ったとして、果たして彼は生きているのか?

 ランにクラッシュされてうわらばしてたし、む~ん。


 はっ、待てよ。

 ここでグレイがランに殺されてれば私の任務は完遂では?


 ――ダメだ!

 そうなると今度はあっしの温泉旅行が無に帰しちゃう!


 どうするべきか、私は懊悩する。

 こんなにも悩むことになろうとは、やはりこれは百年の一度の失態!


「しゃーない、ちょっと一回戻るでやんすかねー……」


 なーに、ちょっとグレイに予定を聞きに行くだけでやんす。

 あいつ甘っちょろいから少し謝ればすぐ教えてくれるに違ぇねぇ。

 そうと決まれば――


「ひったくりー!」


 と、前の方から聞こえてきたのはそのときだった。

 私が何だと思う間もなく、いきなり男が私にぶつかってきた。


「いってぇ! コラー! どこ見てるでやす――ッ!」


 哀れ!

 小柄で可愛らしい体格の私は男に吹っ飛ばされてしまった!


 当然、私は抗議の声をあげる。

 しかし、私にぶつかった男はそんなの気にせず走り去ろうとする。

 まぁ当然か。あの男に、私のことは見えてないし。


 それに、男は私にぶつかったことすら認識していない。

 だから私が叫ぼうと、それを知ることもなく逃げようとするだけだ。


「させるか、ってーの! でやんす!」


 近くに落ちていた石を拾い上げ、私は立ち上がりざまそれを投げる。

 石は通行人の間を縫って、逃げる男の後頭部を直撃した。


「いだぁ!!?」


 私の手を離れた石を、男はさすがに認識したらしい。

 悲鳴をあげて、さっきの私のように無様に地面に転がった。


 ……もとい、さっきの私と違って、だ。


 あっしは転ぶときも華麗にヒラリと転ぶでやんす!

 無様とかないし! あっしは可憐で可愛いムールゥちゃんだし!


「おい、ひったくりだってよ!」

「こいつか、とっ捕まえろ!」

「ヘヘ、逃げる最中に転びやがって、情けないヤツ!」


 今頃になって、周りの人々が集まってきた。

 男はたちまち通行人に囲まれて、もはや逃げ場はどこにもない。

 放っておいても、決着はつくだろう。


 すっかり留飲を下げた私は、息をついて振り向き歩き出そうとする。

 すると、荷物をひったくられた女性が走ってくるのが見えた。


「ああ、ありがとうございます!」


 女性は泣き笑いの顔でそう言ってきた。

 盗まれたことに、怒りよりも強い恐怖を感じていたのだろう。


「いえいえ、こっちもぶつかられてムカついただけでやす」


 私は努めて明るい声を出して答えた。

 だが女性は、私に一瞥もくれないまま私の横を通り過ぎていった。


「…………」


 私は笑顔のまま、半分だけ振り返る。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」

「いいってことよ、すっ転んだこいつが間抜けなだけさ!」


 女性はひったくりを囲んでいる通行人に声をかけていた。

 自分の持ち物をその胸に抱きしめて、女性は安堵の涙を流している。


「ま、一件落着でやんすね」


 私は笑うのをやめて視線を前に戻す。

 特に気にすることではない。いつものこと。いつも通りの展開だ。


 ――私は何も、気にしていない。


 少し歩くと、果物屋が見えた。

 幾つものかごにいっぱいに積まれた果物の中から一つ、私は手に取る。


「おばちゃん、これちょーだいでやんす!」


 言っても、店主のおばちゃんは私の方を見ることはない。

 これもまた、いつものこと。


 私は銅貨を一枚取り出して、おばちゃんが立っている屋台に置いた。

 代金としてはそれだけで十分足りるだろう。


「さ~て、行くでやすかね~」


 歩きながら、私は果実を一かじり。

 ん、酸っぱい。そして甘い。まだ完全に熟していないみたいだ。


「おや、こんなとこに銅貨が。誰が置いてったんだろうねぇ」


 後から聞こえるおばちゃんの声。

 私は「気づくのおっせぇ~」と思いながら、また果実をかじった。


「……楽しかったな、あいつの部屋」


 気が付けば、私はポツリとそんなことを呟いていた。

 そしてハッとしてかぶりを振る。


 何を、私は何を思っていたのか。

 相手は標的。殺すべき相手。それを、楽しいなどと……。


 楽しむならば温泉とお料理と景色とベッド。

 それだけでいい。それだけ楽しめれば十分なんだ。だから、


「だから、グレイ・メルタと一緒にいることを楽しむなんて――」


 それだけは、あってはならないことなのだ。


「……帰るか」


 無性に、ジンバの兄貴の顔が見たくなった。

 この世界で私を見つけてくれた人。彼の顔が、今はとにかく見たかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――三日後でした!


 温・泉! イヤッフゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!


 ウルラシオンをグルリと囲う城壁の北側入り口。

 そこに!

 やたら!

 デッカイ馬車が!

 ドンデンドンデンドンデン! とばかりに!


 ひゃー、おっきー、すっごーい。

 あっし、二階建ての馬車なんて初めて見たー。何これー。


「うおー、何じゃこの馬車。でっけーわー」

「クッヒッヒッヒ、わしが乗る馬車じゃぞ? 特注に決まっておるわい」


 間抜け面で呆けているグレイの横で、浮遊幼女が胸を張っている。

 だが、それを誇張と思わないくらいには大きな馬車だ。

 少なくとも、ちょっとした家程度の大きさはあるだろう。


「あ、水源あればここで生活できるぞぇ」


 ……マジで家じゃねーかでやんす。


「だって馬車で三日もガタゴトなんて退屈じゃもーん。窮屈じゃもーん」

「魔法でバビューンってできないんスかー! 大妖怪なんでしょー!」


「大妖怪ちゃうわい! ……できるけど」

「できるんじゃねーか!」


「じゃがのう、坊。せっかくの温泉じゃよ? 魔法でバビューンとか味気ないじゃろ? 現地までゆっくり時間をかけて馬車に揺られながら景色を楽しみつつ向かう。風情があっていいじゃろ~? 風流じゃろ~?」

「うっわ、ババくさ……」


「あ、そーゆーこと言っちゃう? 言っちゃうんじゃね? じゃあええよ。坊だけ先にわしの魔法でバビューンしてやるから、現地で三日待つがええわい」

「やーだー! そんなのさーみーしーいー!」


「だったら、分かっとるよな? 坊?」

「ええ、もう! さすがは大賢者ウル様、実に素晴らしい提案ですね!」


 グレイ・メルタ、作り笑顔に揉み手と来たか!

 これはなかなか堂に入った三下ムーブ。彼の性根の卑しさがうかがえる。

 いや、まぁ、知らない街で三日も一人とか確かに寂しいけども。


 あ、ちなみにこの場にはグレイと、大妖怪と、あと私がいる。

 ラン・ドラグは荷物の積み込みを行なっており、他の二人は馬車の内装を確認するため中に入っていた。


「しかし本当にわしら以外にゃ見えておらんのじゃのう、おんし」

「え、私ですか?」


 いきなり大妖怪に水を向けられ、私はちょっとドキリとした。

 私にしてみれば当たり前のことなのだが、大妖怪にとっては違うようだ。


「おんしの加護を知る者はこの大陸にほとんどおらん」

「……そうなのですか」

「うむ。何せ、加護の中身が中身じゃからのう」


 他人から認識されない力。

 他人に自分の存在を理解されない力。

 なるほど、そもそも知られなければ伝わりようもない、か。


「私を、どうするつもりですか」

「どうもせんよ」


「え……?」

「ま、おんしの事情の詳しいところは知らんが、楽しめばええわい」


「……私の素性を調べたりはしないのですか?」

「坊が連れてくと言ったんじゃ。わしにとってはそれで十分じゃよ」


 大妖怪はそう言うと、私に笑いかけてそのまま浮遊していった。

 どうやらグレイ・メルタはあの大妖怪に随分と信用されているらしい。


「…………」


 残された私は、何だろう、急にムカムカしてきた。


「ほぁ~。ホントでけーなー、この馬車……」


 そして私の隣では、未だに馬車の大きさに目を丸くしている男が一人。


「いつまでいなかっぺしてるでやんすか!」

「いってぇ!!?」


 キック一閃!

 私の右足が鮮やかな弧を描き、グレイ・メルタの尻を叩く!


「……何? いきなり何してくれてるの?」

「いつまでもボ~っとしてるからでげしょ!」

「え~~~~?」


 グレイが私に対して不満げな顔を向けてくる。

 だがそのとんがった唇が、私をさらにムキィィィィィィ! させた。


「今のおたくの無防備さ、ヤバかったでやんずからね! ホント!」

「そ、そんなだった……?」


「ええ、そりゃもう、ハイ!」

「えー、そんなことないってー」


「バーカバーカ! あっしが刺客だったらラクショーでブスリでげすよ!」

「……あのさぁ」

「何か!」


 まだ何か文句があるんでやんすか?

 ホンット、男って何でこうだらしないクセに文句だけは一丁前なのか!


「いや、あのさ」

「だから、何でやんすか!」


「おまえって、刺客じゃないっけ……?」

「………………あ!」

「あ! じゃないよね?」


「………………フ!」

「フ! でもないよね?」


「別にカッコつけて誤魔化したワケじゃないでやんすよ?」

「今のが誤魔化しじゃなかったら一体どこの世界の何が誤魔化しなのか」

「ぴー!」


 もー、男がちっこいことをネチネチと!


「それよりも! そ・れ・よ・り・も! 温泉! 温泉の話するでやす!」

「いや、でも、おまえ刺客じゃん……」


「いいから! 今だけは生かしてやるからありがたく思うでげす!」

「…………」

「その『何言ってんだこいつ』っていう顔やめろでやんす――――ッッ!」


 ハァ、ハァ、ハァ……。


「なぁ、ムールゥ」

「何!」


「おまえって、アホだよな……」

「しみじみ言うなァァァァァァァァァァァァァァ!」


 泣くぞ!

 そろそろあっし本当に泣くでやんすからね!

 女の子泣かしたらどうなるか、その恐ろしさを味わわせるでやんすよ!


「はいはい、で、あー、温泉ね。温泉。どこの温泉行くか言ったっけ?」

「いや、聞いてねぇでやんすよ」

「フッフ~ン、だったら驚け。俺達が行くのは、何とあのオルルタ温泉だ!」


 オ、オルルタ温泉だって――――!!?

 背景に稲妻、ピシャーン! ゴロゴロゴロゴロ――――!


「…………え、どこそれ?」

「うん、だーよねー」


 え、そんな温泉地聞いたことない。え、本気でどこ?

 グレイの反応を見る限り、私がそう答えることも予測済みだったようだが。


「何かウルラシオンの北の方にある昔有名だった温泉らしいぜ」

「昔有名だった」

「せやな」


「それは、今はさびれて有名ではないということなのでは?」

「せやな」


「つまり、実は大したことない温泉である可能性が高いのでは?」

「せやな」


「…………」

「…………」


「グレイ・メルタ」

「何ぞ」


「美味しいお料理……」

「俺は、もう、あきらめた」

「ぴー!?」


 そんな一言一言かみしめるように言わんでも!!?


「坊、そろそろ出発するぞえ」

「おっと、了解だぜー」


 二階の窓から顔を出してきた大妖怪が、グレイに向けて言ってきた。


 憧れの温泉地にいきなりケチがついてしまった。

 しかししかし、本当は、或いは、実は、ものすごくいい温泉かもしれない。


 私は希望を捨てない。私は希望を捨てたりしない!

 思いながら、私は馬車に入ろうとするグレイの後に続いて――


「おまえはあっち」


 入り口に、ラン・ドラグが立ちはだかっていた。


「え」


 ランが指さした先は、御者席である。

 そういえば、こんな大きな馬車なのに御者がいなかったでやんすねぇ。


「あの、ラン?」

「おまえは、あっち」


 だがグレイに呼ばれても反応を見せず、ランは酷薄に言い放つ。

 くまさんおぱんてーの一件以来、ランの態度は氷点下極点絶対零度だった。


 いやー、やっぱ変態は嫌われちゃうんでげすねー。

 御者席なんて屋根ないし、雨降ったらびっしょ濡れ確定。

 完全貧乏クジでげす。


「……あのランさん?」

「お ま え は あ っ ち」


 グレイは半笑いでかぶりを振りながらランに訴えかけようとする。

 しかし、ランの頑固なこと。

 腕を組んで仁王立ちになっている彼女からは、絶対にグレイを馬車の中に入れないという断固たる決意すら感じられる。


「いや、俺の話を聞いて……」

「お・ま・え・は・あ・っ・ち!!!!」

「…………はい」


 グレイが折れた。

 弱い。こいつ弱い。やっぱりこいつ、立場弱いでやんすねー!

 ぷげら、ぷげら、ぷげらっちょ!


「フッフ~ン、じゃあ御者頑張るでやんすよ~」


 ランが馬車に入ったあと、棒立ちのグレイを尻目に私も馬車に向かった。

 しかし後ろから彼が私の腕をガシっと掴んでくる。


「……何でやんす?」


 まさか、私が馬車に入るのを許さないとでもいうつもりだろうか。

 だとしたら、何という狭量。

 そんなことだから女子に嫌われてしまうのだ!


「――――お」


 グレイが何かを言いかける。

 もし『おまえのせいだ』なんて言ったならば、いよいよこの男はダメだ。


 落胆を超え、失望を超え、私はこの男に絶望するだろう。

 そうだ。元々、グレイ・メルタは私にとって暗殺対象でしかないのだ。


 それだけの関わりしかない男に、私は一体何を期待していたというのか。

 そう思いかけていた私に、彼は言った。


「置いていかないでください」

「あ、はい」


 悲愴な顔つきで懇願してくるグレイに、私は思わずうなずいていた。

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