第32話 天才暗殺者、天才重戦士を見捨てる

「ほぇ~……、“申し子”とは何とも珍しいのぉ……」

「チビロリさん、それは一体何でしょうか? 聞いてやるから教えてください」


「相変わらずおんしは腰が低いかどうかわからんのう、坊」

「一生懸命考えながらしゃべってっから!」


「なるほど、悪いのは口ではなく頭の方かぇ」

「げっはぁ!?」

「クッヒッヒッヒッヒッヒッヒ」


 固まっている私の目の前で、グレイといきなり現れた幼女が話している。


「“申し子”というのはの、生まれつき加護を得ている人間のことじゃ」

「生まれつきィ? 洗礼も受けてないのにかよ」


「うむ」

「……いるの? そんなヤツ」


「じゃから珍しいと言うたじゃろ」

「おまえがそう言っちゃうくらいかぁ~」


「わしも長いこと生きとるが、十人見たかどうかじゃのう」

「はぇ~、ウルラシオンの深き闇ですらそれかぁ~……」


 動けないでいる私の目の前で、グレイとふわふわ浮いている幼女が話している。


「坊、おんしそれ結構気に入ってる?」

「うん? 気に入ってる入ってない以前に深き闇じゃん?」


「わしみたいなカワイ子ちゃんにそんな禍々しい名前って似合わんじゃろ?」

「ギャー! カワイ子ちゃんとかデッドワード、デッドワードですよ!」


「ええ!!? ナウなヤングにバカウケなはずなのに! マ~(↑)?」

「何で最後だけ今風なんだよ」


「わしはできる子ゆえ」

「……これが、ウルラシオンの深き闇!」


 戦慄している私の目の前で、グレイとウルラシオンの深き闇が――


「ウルラシオンの深き闇ィ!!?」

「「お。動いた」」


 グレイが口走ったその名が、私の魂を凍えさせた。

 その死にも似た冷たさに、私は思わず反応してしまったのだ。

 自分でも分かる。私の声は震えている。


「……ウルラシオンの深き闇。まさか、まさかあの」

「え、わしのこと知っとるの~? いや~、有名人は辛いの~」


「千年を生きるといわれている人の姿をした化生! 伝説の大妖怪!」

「人じゃよ!?」


「わらべのような容姿でありながら、主食は人の魂で――」

「待って」


「マグマのように沸騰した人の血でのどを潤すという――」

「待って待って」


「地獄の大公爵の化身で、魔界の王の六親等とも語られている――」

「何それはじめて聞いたぞぇ! っていうか微妙に遠い親戚じゃのう!」


「自称・大賢者ウル!」

「自称じゃない自称じゃないから!?」


 ウルラシオンに来る際に教えられた『絶対に何があっても関わっちゃいけないハイエンド危険人物ランキング』、堂々の第一位であるあの大賢者ウルが、どうしてこんなところに!


「いやそんなことより、どーしてあっしが見えてるでやんすー!!?」


 そう!

 私が固まっていた理由はそこだ。

 何故、どうして私が見える。グレイのみならず、この大妖怪までもが!


 いや、もしやこの街の人間は総じて私を見ることができるのか。

 ふとそんな恐るべき想像が頭をよぎった。

 もしそうであれば、私はもはや存在する意味がなくなる。


 この『認識されない能力』があるからこそ、これまで生きてこられたのだ。

 ウルラシオンの住人にそれが通じないならば私は仕事を果たせない。

 ジンバの兄貴の期待に応えることができない。

 それじゃあ私は、私は――


「ははぁ、なるほどのぉ。こりゃまた珍しいに珍しいが重なってくるわい」

「何なんでやんすー! こっちジロジロ見るなー!」


「いや、さすがにXランクの“申し子”はわしも初めてでのう」

「あ、やっぱこいつそーなの?」


 グレイまでもが私のことを値踏みするような目で見始める。

 一体、何だというのだ。あっしは食っても美味しくないでやんすよー!


「おそらくは“ぼっちくわ大明神”の加護じゃろうな」

「ハッハッハ、もう外位級のネーミングについちゃあきらめたぜ!」


「うううううううううううう!」

「唸るな唸るな。おんしの能力は正常じゃよ。今は不安定な面も含めてのう」


 ――今は不安定?


「“申し子”は洗礼を受けずに加護の力を使えるが、しかしレベルは上がらん。身体能力なんかはあくまでも一般人のままじゃ」

「加護持ってるのにかよ?」


「不安定っちゅーたじゃろ? “力あるもの”の加護を正しい形で発揮するには、やはり洗礼を受けねばならんのさ」

「えーと……」


 私は混乱していた。

 この二人は、一体何を話しているのか。

 加護や洗礼については私も聞いたことがあるが、私は冒険者ではない。


 大妖怪の言うところでは、私は生まれつき“加護”を授かっているらしい。

 今まで、そんな話一回も聞いたことがないけども。


「わしがおんしを捉えられるのも、まだおんしが未熟ゆえじゃよ。こう見えてもわし、大賢者じゃから? もう何か色々とすごいし? 見えないものだって見えちゃったりもするし? クッヒッヒッヒ~」

「こわ……」

「マジでドンびきされてもそれはそれで辛いのう……。まぁ、もしおんしが洗礼を受けてその力を確かなものにすれば、わしでもおんしは見えんからな?」


 私が、洗礼を受ける?

 この大妖怪は、私に冒険者になれとでもいうのか。


「もし、おんしがそれを望むのならば、じゃがな」

「…………! こ、心を読まれた!?」


「はっきり顔に出とったぞえ」

「ウッソでー! 俺のときもそーだったじゃんか! こえー! 妖怪こえー!」

「これがウルラシオンの深き闇、千年大妖怪ウル……!」


「驚くのもおののくのも自由じゃけど、わしそろそろ本題入りたい」

「「あ、はい」」


 私とグレイは、大妖怪の前に正座した。


「あのね、坊」

「何スか、チビロリ」


「そっちの誰じゃい。見たところ、冒険者じゃないようじゃけど」

「フ、フッフッフッフ!」


 私はスックと立ち上がった。


「誰かと問われれば答えないわけにはいかないでしょう。そう、私ことはこの街の闇に躍る伝説。決死必殺の天才暗さもが!?」


 あれー!

 カッコよく名乗ろうとしたらグレイに口を押さえつけられたでやんすー!

 しゃべれないー! これじゃないしゃべれないでげすー!


「ふむ、決死必殺の天才アンサモガ。……アンサモガって何じゃいな?」

「いや! あの! どっかの国の言葉でウンコって意味らしいよ!」


 コラァァァァァァァァァァァァァァァ!!?

 言うに事欠いて、何を言い出すんでやんすかこの野郎ォォォォォォ!


 おまえの方こそウンコでやんす!

 このウンコ! トイレ御用達エンガチョ冒険者!


「……自ら天才ウンコを名乗るのかぇ」


 あ、大妖怪のあっしを見る目が一気に冷え込んだ。

 辛ひ。

 そのまなざしが辛ひでやんす。五臓六腑にグサグサ刺さるゥ!


「そ、その国じゃウンコって何かの職業の意味らしいから!」


 私の口をその手でふさいだまま、グレイが次々口から出まかせを飛ばす。

 もうそれ以上はやめて! あっしの故郷を汚さないで!?


「あー、なるほどのう……」

「納得しちゃった」


 何で!!? 

 何で今ので納得しちゃうでやんすか、この大妖怪!


「おまえ、本当にそれでいいのか、チビロリ……」

「何じゃい、おんしの言うたことじゃろが。それとも嘘かえ?」

「いや、嘘じゃねーけどよ……」


 ちょっと! そこは嘘でしたって謝るターンでやんしょ!

 あっしの故郷が灼熱の風評被害によって焦土と化すから――――!


「だってさっきから聞いとる限り、嬢ちゃんはチンピラント出身じゃろ」

「むぐぐ、っぷは! 何で分かったんでやんすか!」


 どうにかグレイの手を払って、私は大妖怪に尋ねた。


「それだけコッテコテのチンピラント訛りが出てたらのぉ……」

「こいつの三下口調は訛りだったのか」


「そうじゃよー。大陸最小国家チンピラント帝国固有の訛りじゃよー」

「小さいけど心は錦の大国家でやんす!」

「あそこのことはよく知らんが、ウンコという名の職業があるとは……」


 ないから!

 そんなハエがブンブンしてそうな職業ないでやすから!


「しっかし国の名前からして三下クセェな……」

「バカにすんなし! あっしなんか帝都出身の超洗練シティガールでやすよ!」


「帝都って?」

「サンシタペテルブルグじゃな」


「どこまで行っても三下臭が抜けねーなぁ!!?」

「三下三下って、華の帝都を何だと思ってるでやんすかー!」


「その帝都自体が三下って名乗ってるだろーが!」

「…………言われてみれば!?」


「この嬢ちゃん、坊並のアホじゃのう」

「こいつと同列扱いはいくらチビロリでも怒るわ。やめて、本気で」

「マジマジのマジトーンじゃな……」


 グレイと大妖怪が話している。

 それを適当に聞き流しながら、私は浮かんだ疑問について考えていた。


 何故、グレイは私が名乗るのを止めたのか。

 振り返ってみれば、あそこで暗殺者と名乗るのは私にとって致命的だ。


 調子に乗りすぎた。それは素直に認めよう。

 次から名乗るときはもっとカッコよくアサシンと称する方がよさそうだ。


 だが、私にとっては致命的でもグレイにとってはそうではないはず。

 私の失敗は彼の利益に繋がる。今のような大きな失敗は特に。


 グレイ以外の誰かが私を暗殺者と知れば、もはや私の命運は尽きる。

 それを、グレイ自身も理解しているはずだ。

 だというのに、どうして彼は私を止めたのだろうか。


「おーい」


 もしや、彼は私に惚れたのか。

 いや、そんなはずは。

 だが私は私の美貌と魅力を知っている。それを考慮に入れれば或いは?


 ――そんな、困るでやんす。


「おいってばー」


 でもでも、あっしってー、スレンダーだしー、スマートだしー。

 髪の毛つやっつやのサラッサラだしー、お肌ツルンでプルンだしー。

 おめめぱっちりだしー、声も萌えっ萌えだしー、唇もつややんだしー。

 やっぱ何より可愛いしーで。


 あー! これはヤバイでげすよ! あー!

 これは惚れられちゃう! あっしがあっしを見たらあっしに一目惚れちゃう!


「おいってば、こら」


 んんんんん、でも仕方ないっかなー!

 あっしだもんなー! こんな可愛いムールゥちゃんでげすもんねー!


「てりゃあ!」

「ぴー!?」


 か、か、かかとがあっしの目の前を↑から↓にズドーンて!

 こう、勢いよくズドーンて!!?


「よしよし、やっと気づいたな!」

「な、何するでやんすかー!!? ビックリした! ビックリしたー!」


「だって呼んでも全然気づかねぇんだもん、おまえ」

「ううう、これも愛情表現なんでやんすね……」


「え、何それ怖い」

「皆まで言わずともいいでやんすよ。グレイはあっしに惚れてるから――」


「脳天に一発かかとイッとく?」

「ピシッ! すまなかったでやんす!」


「何て見事な高速土下座!」

「見えなかった。このウルの目をもってしても――」


 土下座一つでノーダメージで済むならいくらでも頭下げるでやんすよー!


「そのままでいいからちょっと聞いて?」

「何でやんしょ! このまま埋めるとかはしないでほしいでげす!」

「そんな猟奇的嗜好はないわ!!?」


 時々いるんでやんすよねー、そういうの。

 気を付けるに越したことはないでげすからねー。怖ひ怖ひ。


「おんしとこの嬢ちゃんが揃うとホンット話進まんのぉ」

「ちょっとしみじみ言わんといてくださいや、チビロリさん。今進めるし」


「ピシッ! キチッ! シャキィン!」

「おまえも一糸乱れぬ完全箱型土下座はいいから話聞いて?」

「あ、はい」


 土下座はもういいと言われたので私は床に大の字になって寝転がった。


「ふへ~……。それで何でやんすか~?」

「いきなりリラックスしすぎ……。まーいいや。あのな、温泉のことだけど」

「はい! ピシッ!」


「何て見事な高速正座!」

「またしても見えなかった。このウルの目をもってしても――」

「温泉! どこの温泉に行くでやんす! 秘湯? 名湯? お料理美味しい?」


 私は努めて平静を装いながら情報収集に勤しんだ。

 標的であるグレイ・メルタの暗殺計画を練り上げるために、必要だからだ。


「瞳キラッキラしとるのぅ……」

「いつよだれこぼしても俺は驚かんぞ」


 ……必要だからだ! だ!


「こやつも一緒に連れてくのかぇ、坊よ」

「あー、まぁ。うん、そうだな」

「別にわしは構わんが、ラン達には言ってあるのかぇ?」


 んん? 大妖怪が「構わない」と言うのはどういうことだろうか?


「はい! はいはーい! 質問、先生あっし質問でやすー!」

「誰が先生か。で、何よ?」


「大妖怪も一緒に温泉行くでやんす?」

「誰か大妖怪か。そりゃ行くわいな。わしからの護衛依頼じゃもん」

「…………」


 あれ、これヤバイのでわ?

 私の完璧なるグレイ・メルタ暗殺計画に大きな狂いが生じるのでは?


 温泉を楽しむついでにグレイ・メルタの隙を伺う。

 そして温泉を楽しむついでにグレイ・メルタを奇襲して殺す。

 そんな私の完全完璧な計画が、大妖怪の存在によって遂行不能になるのでは?


 いや、私を認識できる人間が一人増えただけのことだ。

 計画の修正は必要かもしれないが、とん挫したワケじゃない。冷静になるんだ。


 どの程度、作戦を修正すればよいか。

 少し脳内でシミュレートしてみよう。


 本来の作戦はこうだ。


 グレイの隙を狙う。

 温泉を楽しむ。

 温泉を楽しむ。

 温泉を楽しむ。

 あとついでにグレイを殺す。


 ――うむ。完璧。


 そして修正後の作戦はこうだ。


 グレイと大妖怪の隙を狙う。

 温泉を楽しむ。

 温泉を楽しむ。

 温泉を楽しむ。

 あとついでにグレイを殺す。


 なぁ~んだ、大して変わらないじゃないか。びっくりさせんなでやんす~。

 これなら大丈夫。

 やはり私は天才暗殺者だな。うむ。


「で、ラン達にはこやつのことは?」

「あー……、言わないでおこうかな、とか思ってるけど」

「ふむ? 何故じゃ?」


 私がシミュレートを進めている間に、グレイと大妖怪が話を進めていた。

 その内容は、私も無視できるものではなかった。


「少なくともランにはこいつのことは言えねぇなーって」

「だから、何でじゃい?」


「絶対怖がるだろ、あいつ」

「あー……」


 何故だか、大妖怪がしきりにうなずいている。

 私のことを怖がるとか失礼な話だが、知られずに済むのは都合がいい。


「あと、パニとアムに話したら絶対こいつのこと悪用する」

「悪用とは何じゃいな」


「うちの財布から金抜いてこいとか言いそうだろ、あいつら」

「あー…………」


 また大妖怪が何やらうなずいている。

 パニとアム。このハウスに住んでいる二人のサキュバスだが――


「あー…………」


 あの二人の性格を考えると、私もうなずくしかなかった。

 あいつら絶対あっしのこと知ったらギャンブル代くすねるのに利用するね!

 人間のクズその1とその2でげすからね!


「とゆーワケで、まぁ、言わないでおくのがいいかなー、とか……」

「ま、おんしが面倒みるならそれでよかろ」


「おう、あんがとな。チビロリ」

「わしもおんしにゃ世話になっとるしの。構わんよ」


 それからグレイと大妖怪は、出発に向けて軽い打ち合わせを行なった。

 私が気にかけるべき内容は特になかった。


 しかし、まだ私は確認しなければならないことがある。

 それを確かめるまでは、私はこの部屋を出ていくワケにはいかなかった。


「んじゃ、この日程でいくかの」

「ああ、出発はあさってだな。よろしく頼むぜ、チビロリ」


「クッヒッヒッヒ、準備は怠るでないぞ? ではの。わしは帰るとするよ」

「あいよ~、またなー」


 開かれた窓から、大妖怪がふわふわと飛んで出ていく。

 グレイはそれを見送るが、そこからの出入りが普通なのっておかしくない?

 ともあれ、これでようやく二人きり。私は彼に声をかける。


「――グレイ・メルタ」

「ん?」


「どうして私をかばったのですか」

「かばった? 何ぞそれ?」

「かばったじゃないですか! 大妖怪から! 私が名乗ろうとしたときに!」


 おかげであっし、大妖怪に天才ウンコって認識されちゃったでやんすよ!

 ひどい! ひどすぎる! こんなのあんまりよ! ぴー!


「あー、あれか……」

「私はあなたを狙う暗殺者ですよ。それなのにどうして――」


「いや、暗殺者じゃないじゃん。おまえ」

「な……」


 この男は、一体何を言っているのだ?


「俺を殺すのがおまえの仕事だろ?」

「そう言いました」


「でも、初仕事だろ?」

「…………ええ」

「じゃあ、まだお前は暗殺者じゃないじゃんか」


 そんな。

 そんな理由で、この男は私をかばったというのか。

 この男は、自分が狙われているという自覚がないのか――?


「私をナメているのですか、グレイ・メルタ」

「うん。かなり」

「ぴー!」


 シリアスブレイクやーめーるーのー!

 このサンシタペテルブルグ出身の超最先端シティガールに何てことを!


 いいですよ、やってやりますよ!

 こいつ絶対殺す。殺しますからね! もう、もー! 絶対殺すでやんす!


「絶対、絶対ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ殺します!」

「ブチブチ言うな! 毛根引っこ抜かれてる感じがして頭皮が痛ェ!」


「ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ…………」

「案外陰険だなおまえ!!?」


 この天才暗殺者をナメたお礼は絶対にしてやる。

 私はそう心に誓った。


 ジンバの兄貴のために。

 そして私自身のプライドのために、この男は殺す。

 私は、兄貴に見いだされた決死必殺の暗殺者ムールゥ・オーレなのだ。


「あのー、グレイ。ちょっといいかー」


 ガチャリ。ドアが開いた。

 振り返ると、そこには黒衣黒髪の女剣士ラン・ドラグがいた。


 何やら難しい顔をしている。

 というか、恥ずかしがっている?


 彼女は私をはっきり視界に入れながらも、しかし気づいた様子はない。

 やっぱり、私が見えているのはグレイと大妖怪だけみたいだ。


「おう、ラン。どした。何かあったか」

「あのな、洗濯物。干そうとしたら一枚足りなくて、おまえ知らな――」


 言いかけたランの動きが止まった。

 私はその視線の先を追う。

 床に置かれたまま忘れ去られていたくまさんおぱんてーがそこにあった。


 私は固まった。

 グレイ・メルタも固まった。


「……グレイ?」

「あ、いや、あのな……」


 全身から光すら呑みそうな重々しい波動を放ちつつ、ランが部屋に入ってくる。

 グレイは顔色を蒼白にしながら私を見た。


 その救いを求めるような涙目。

 私は、今の私が彼に送れる唯一の言葉を告げた。


「温泉、楽しみにしてやーす!」


 私は窓から飛び出して逃げた。

 そーれ、すたこらさっさでやんす――――!


「グレェェェェェェェェェェェェェェェェェェイ!」

「待て! 違うんだ! 話を聞いてくれ! っていうかおまえ、その年になってその服装でくまさんプリントってちょっと似合わな過ぎ う わ ら ば!?」

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