第30話 天才暗殺者、報告する

 私の名はムールゥ・オーレ、決死必殺の天才暗殺者だ。

 今回、私は任務の定期報告のためギルド本部へと戻ってきていた。


 闇ギルド『キルレイン』の本部は、古代群都市の一角にある。

 ウルラシオン周辺に点在する遺跡の中の一つ。

 古代の建物ながら、まだ諸々の機能が生きているそこが私達のアジトだ。


 街道から離れた平原の岩陰で、パックリと口を開けている地面の割れ目。

 そここそが我らが組織の本部へと通じる入口だ。

 草が茂っていることもあって、意識して探さなければまず見つかることはない。


 立てかけられた梯子を下りて地下へ。

 先述した通り、この遺跡は諸々の機能がまだ生きている。

 遺跡内を真昼のような明るさで照らしている魔法灯もその一つだ。


 アジト内部はさほど広くなく、使える部屋は四つ程度。

 他の部屋は崩れて使い物にならない状態だが、それでもさほど苦にはならない。


 少数精鋭である我らにはそこまで大きな建物は必要ない。

 暗殺者は闇に潜み、息を殺し、己を薄めて仕事をこなす、死の運び手なのだ。


 求められるのは確実なる任務の遂行。

 そのためには上に対する定期連絡は欠かしてはならないのだ。


「――ふぅん」


 アジトの最奥、割かし広いその部屋の真ん中に陣取った彼はまずそう言った。

 全身から力を漲らせた、獣のような男だった。


 積み上げられた瓦礫の上に腰を下ろし、身にまとうのは使い込まれた革防具。

 黒い髪もひげも伸ばしっぱなしで、露出している腕は太く、そして力強い。


 立てば私よりも頭二つ分は大きいであろう彼こそが、私のボスだ。

 名はジンバ。この街よりさらに東から流れてきた闇ギルドの頭目である。

 そんな彼へ、私はこの一週間の報告をし終えたところだ。


「なぁるほど」


 聞き終えた彼はその太い指であごを指すって、二度うなずいた。

 その視線が、じろりと私を見る。


「…………」


 直立不動の体勢で、私は彼の視線を全身に受け止めた。

 息を飲むことすらもはばかられる。すさまじいまでの視線の圧力だ。


「いかがなさいますか、ボス」


 そう言ったのは私ではない。

 私と彼以外にもう一人、この部屋には連絡係の『黒蟻』がいた。


 アンティ・ルッテ。

 この『キルレイン』ではジンバ様に次ぐNO.2の立場にいるエルフの少女だ。


「そうだな」


 アンティに問われ、ジンバ様は脇に置いていた酒瓶を手にしてをそれをあおる。

 ゴキュッ、ゴキュという音が私のところにまで聞こえてきた。


「ま、そうだな。褒美の一つでもくれてやるか」


 ジンバ様は笑って私にそう言ってくれた。

 彼が、この天才暗殺者である私の働きぶりを認めてくれたのだ。


「ご褒美! ジンバの兄貴、マジでやんす? もらっちゃっていいんでげす?」

「ムールゥ、口調」

「む、ン。コホン、ジンバ様、恐悦至極です」


 アンティに指摘されて、私は言い直した。

 ダメだな。感情が高ぶるとすぐにこうやって地元の訛りが出てしまう……。

 これは直さねばならない。天才暗殺者は訛らないのだ。


「おうよ、ムールゥ。よく頑張ったな。ほれ、もう少し近くに来い」

「はい!」


 ジンバ様に手招きされて、私は返事の声も大きく彼へと歩き出す。

 いけない。口の綻びを抑えきれない。認められたのが、素直にうれしい。


 ジンバ様はスラム街で死ぬだけだった孤児の私を拾ってくれた大恩ある方だ。

 彼がいなければ、私はこうして人並みに成長することもなく死んでいただろう。

 いわば育ての親である彼に認められて、嬉しくないワケがないのだ。


「よし、そこで止まれ」

「はい!」

「準備をする、少し目を閉じてろ」

「分かりました!」


 言われた通り、私は目を閉じた。

 準備とはどのようなことをするのか、私には想像もつかない。

 いや、想像することさえ不遜。私はあくまで、彼の手足でしかないのだ。


 足音が聞こえる。

 立ったままの私に、ジンバ様が近づいているのか。

 私は緊張に身を固めて、しばし待った。高鳴る心臓の音がやけに耳にうるさい。


 そうして直後――


「ジンバの兄貴!?」


 悲鳴のようなアンティの声が私の耳をつんざいた。


 え?


「このクソバカ野郎がァ!」


 罵声と、音と、衝撃と、そして激痛。

 私の頭に何かが叩きつけられた。

 ガシャンという割れる感触は、これは、酒瓶……?


 だが、それを確かめる前に私はその場に膝をついていた。

 世界が揺れている。感覚が定まらない。不快な浮遊感に私の意識は冒された。


 何だ? 一体何が起きたんだ?

 どうして私は殴られて、何で? 誰が? どうして?


 痛い。痛いよ。

 頭が、殴られた頭が痛いよ!


「テメェ、何寝ようとしてやがんだ、このクソガキが!」

「ぐァ!」


 野太い声で罵られ、今度は顔面を蹴られた。

 そんな、ジンバ様が私を、どうして。そんな、ご褒美をくれるって……!?


「あ……、ァ、アニ、き……?」

「この一週間、テメェは何してやがったんだ! ああ!!?」


 目を開ければ、そこには顔を憤怒に歪めたジンバの兄貴がいた。

 え、蹴ろうとしてる。え、待って。お願い。待っ――!?


「オラァ!」

「げ、ぼァ……!」


 兄貴のつま先が私の下腹部に勢い良く食い込んだ。

 そんな、そこは。あ、あァ……! 息が、できない……。


「あ! ああ! ぐ、ご! げほっ、ごほ!」

「誰が目ェ開けていいって言ったんだ、コラァ! オイ! オラ!」


 耐えきれずに床に伏した私を、ジンバの兄貴は容赦なく蹴りつけてくる。

 私の身体は細く、そしてさして強くない。

 大柄な大人である彼の蹴りを受けて、私の身体は壊されていった。


 兄貴、兄貴、もうやめて……。

 もうやめてください。お願い。お願いします。


 私が悪かったです。

 だからお願い、蹴らないで、殴らないで。


「あにき、わ、私が悪か……、ご、ごめんなさい……」

「ほぉ、テメェ。自分の醜態を謝れば済む程度に考えてやがんだな?」

「ひ……! ち、ちが……」

「うるせぇ! どうやらまだまだ仕置きが足りねぇみたいだな!」


 ひぃ、ひぃぃ!

 やめて、やめてぇ、もう殴らないでぇ……!


 だが私は痛みと恐怖に打ちのめされて、声の一つも出せなくなっていた。

 近くにジンバの兄貴の存在を感じる。

 彼は私を蹴ろうとして足を振り上げていた。


 やめて、やめて、もうやめて!

 逃げたくても体が動かない。痛い。痛いの。痛いよ。


 伸ばした指先にぬるりとした血の感触。

 血、私の血がこんなに……。

 寒い。冷たい。怖い。怖いよ。だって私の血が、こんなに……!


 死にたくない。

 死にたくない。

 私、まだ死にたくない。


「ジンバの兄貴、やりすぎです!」


 ……アンティ?


 目は開けているけれど、涙でにじんで何も見えない。

 ぼやける視界の片隅で何かが動いているのだけが分かった。


「アンティ、テメェ。誰にモノ言ってんだ、ン?」

「ですがジンバ様。ここでムールゥを壊してしまっては、それこそ本当にこの依頼を達成できなくなってしまいます。ムールゥ以外に任務を遂行できる者はいないとおっしゃられたのは、ジンバ様じゃないですか」

「……フン」


 わ、私は……、あっしは……。


「ムールゥ」

「ひっ」

「……オイ、聞いてんのか」

「ご、ごめんなさい。……ごめんなさい。ごめんなさい。私が悪いです」


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 床に体を横たえたまま、私は身を震わせて謝り続けた。

 そうだ、私は天才なんかじゃない。私は一人じゃ何もできない。

 だってジンバの兄貴をこんなに怒らせてしまったんだ。


 私はダメなヤツなんだ。

 悪いのは私だ。悪いのは私だ。だから謝らなきゃ、そうしないとまたぶたれる。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい!


 私が悪かったです。

 だからもうぶたないでください。蹴らないでください。

 どうか、私を殺さないでください。


「――悪かったな」


 目を閉じて祈り続けていると、大きな手が震える私を抱え起こした。

 言ったのはジンバの兄貴だった。

 私を抱え起こしたのも、やはりジンバの兄貴だった。


「ああ、こんなに血ィ流させちまって。……クソ、熱くなりすぎちまった」

「う、うぅ……、兄貴……」

「いい。しゃべるな。傷が広がっちまうからな」


 それから、ジンバの兄貴は私を抱きしめたまましばし動かなくなった。

 いや、兄貴が震えている。私を抱いたまま小さく震え続けて、


「悪かったなぁ……、痛かったよなぁ……」


 兄貴、泣いてる?


「ごめん。ごめんなぁ。やりすぎちまった。いっつもこうだ、俺ってヤツァ、本当にどうしようもねぇ。すまねぇ。すまねぇなぁ、ごめんな、ムールゥ」


 私を抱きしめる腕に、強く強く、力が込められた。

 兄貴は泣いていた。

 私を抱きしめて、その大きな体を縮こまらせて泣いていた。


 ――そんな。


 違う。

 そうじゃない。


 そんなことない。兄貴が悪いことなんて、ひとつもないよ。

 これは、私自身が招いたことなんだ。


「でもな、聞いてくれ。ムールゥ。俺ァ、おまえに期待してんだ。おまえだったら絶対にやってくれるって、そう思ってんだよ。おまえだからできるんだって、俺は確信してるんだ。だからよ、つい、辛く当たっちまった。おまえは悪くないのにな、俺がおまえに期待しすぎちまったんだ。俺が悪かった。悪かったよ」

「ち、違う……」


 兄貴は悪くない。絶対に悪いはずがない。

 だって、期待を裏切ったのは私の方じゃないか。悪いのは、私じゃないか。


 私にこの仕事を任せてくれたとき、ジンバの兄貴は言っていた。

 私に期待しているって、私だったら必ずこの仕事を果たせるって。

 言ってくれた。言ってくれたんだ。


「……ごめん、兄貴。私が、兄貴の期待を裏切ったんだ」


 一週間もかけたのに、人一人殺せないで、何が天才暗殺者だ。

 私は、やっぱりダメなんだ。私如きが兄貴の役に立とうなんて思ったから。

 こんな私は、やっぱり――


「ごめんね、兄貴……。私なんかじゃ……」

「何言ってんだよ。この仕事はおまえにしかできねぇよ、ムールゥ」

「ジンバの兄貴……」


 まだ、そう言ってくれるの?

 今まで何も果たせずにいる私なのに、まだ、期待してくれるの?


「報告、ご苦労だったな。これ以後もこの仕事はおまえに任す。……いいな?」

「うん。……うん!」


 太くたくましい兄貴の腕に抱かれながら、私は幾度もうなずいた。

 今もこの身を蝕む激痛も、兄貴の期待あってのことと思えば痛くなくなる。

 この痛みは兄貴からの期待の証、ならばこそ、痛みもいとおしく思えた。


「アンティ」

「はい、ボス」

「ムールゥの傷を治してやれ!」

「ボスは、どこへ?」

「依頼人のところだ。報告へ行ってくる」


 ジンバ様は私を再び床に置くと、そのまま部屋を出ていこうとした。

 たまらずに、私は彼の背中に声をかける。


「ジンバの兄貴……、ぜ、絶対に期待に応えてみせやすから!」

「――期待してるぜ」


 その言葉を最後に、彼は通路の奥へと消えていった。

 私は床に大の字になって、煌々と明かりを投げてくる魔法灯を見上げた。


 ああ、痛い。体中が痛い。

 ズキンズキンと、熱く疼くような痛みが全身に残っている。

 だが骨は折れていない。さすがはジンバの兄貴、人のいたぶり方が上手いなぁ。


「……ムールゥ、どこだ? ムールゥ!」


 アンティが私を探し始めた。

 付き合いが長い彼女でも、今でもそうしないと私を見つけられない。

 私は手にした石で床を幾度か叩いて、音で自分の位置を示した。


「そこにいたか」


 一度気づいてもらえれば、彼女は私を認識できるようになる。

 動けないでいる私の横に来ると、アンティは手をかざして詠唱を始めた。

 ほどなく、発動した回復魔法の光が私の身体を癒していく。


「初級の魔法しか使えないから時間はかかるけど、いいな」

「う~、くすぐってぇでやんすぅ~……」


 彼女の魔法は、生物の自然治癒力を高めて傷を癒すものだ。

 だから治る途中でどうしても強いかゆみが出てしまう。私はそれが苦手だった。


「我慢しろ。……しかし災難だったな」

「ふぇ~、何がでやんす~」


 だがかゆみが消えると、治癒の魔法光はとても心地が良いものだ。

 それを全身に私はすっかりふにゃふにゃになっていた。


「ジンバの兄貴さ。さすがにやりすぎだよ、あれは」

「そ、そんなことはないですから!」


 だがアンティの出してきた話題に、私はふにゃふにゃではいられなくなった。


「あれは私が悪いんです。兄貴の期待に応えられなかったから」

「……本当にそう思っているのか」

「当たり前じゃないですか。それに――」


 それに、そう、兄貴は言ってくれた。

 こんな私に対して、再び言ってくれたのだ。期待している、と。


「この傷は罰です。私は期待を裏切ったんだから、罰を受けるのは当然です」

「本気で、……言っているんだろうね。おまえは」


 私の傷を癒しながら、だがアンティはどこか一線引いた物言いをしてくる。

 確かに、私の反応は普通の人間からすればおかしいのかもしれない。


 これだけ蔑まれ、罵られ、一方的に痛めつけられて。

 だが私の中に、ジンバの兄貴を否定する気持ちは一片たりとも存在しない。


 そしてそれをおかしいと言われても、私は胸を張って反論するだろう。

 そんなことはない、と。


「アンティには分からないよ、きっと」


 彼女に聞こえないように、私は小さく呟いた。

 そう。この気持ちは誰にも分からない。親友であるアンティでも。

 何もしないでも見つけてもらえる人間なんかに、この気持ちは分からない。


 ――私は、兄貴のためにグレイ・メルタを暗殺する。

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