第34話 分かたれた道の先で①

 ――空を切った手が震えていた。

 大切なものを守りきれなかった弱者の手だ。

 大切なものを掴み損なった役立たずの手だ。


 それを伸ばしたまま下ろすこともできない。

 そう、下ろすことを私自身が許していなかったから。


「……ャさん」


 声が聞こえる。

 私を呼ぶ声だ。


「リーシャさんっ」


 もう一度名前を呼ばれ、握られた手がゆっくりと下ろされていく。

 そこではっと我に返る。

 この一瞬にあった出来事が頭の中をグルグルと回りはじめ、走馬灯のように浮かんでは消えていった。


「ロジー……そうだ、ロジーを助けにいかなきゃ……」


 うわごとのように呟き、外に出ようと手を振り払う。


「待ってくださいリーシャさん。ロジーさんは――」


 怯えたスティアさんの顔を見て、私は今自分がどんな顔をしているかを理解した。


「ごめんなさいスティアさんっ。わ、私……」


「いいんですよ。あんなことがあった後なんですから」


 街灯の光がうっすら差し込むだけの薄暗い馬車の中には私とスティアさんの2人だけ。

 さっきまでそこにいたロジーは数人の男たちによって連れ去られてしまった。

 私やスティアさんが呆けているその間に。

 反応したのはロジーだけだ。あの場において、ロジーだけが状況を正しく理解していた。

 私に戦うよう指示しなかったのは応戦したところで意味が無かったからだ。

 そのくらい圧倒的で、あっという間の出来事だった。


「……すぅ、はぁ」


 慌てず、騒がず、深呼吸。

 ロジーがいないなら、ロジーだったらどうするかを考えよう。

 今私がすべきは取り乱すことじゃなく、落ち着いて事態の把握に努めること。


 ――もう一度ロジーと会って、信じていたと言ってもらえるその時まで。


「……驚きました、この一瞬でずいぶんと雰囲気が変わりましたね」


「ロジーの相棒を名乗るなら、かっこわるいところは見せられませんから」


 強がって笑ってみせると、スティアさんもつられるように笑ってくれた。


「あれ……?」


 フードの無いスティアさんの素顔を初めて見た。

 肩よりも少し長いくらいの金色の髪と、星空を閉じ込めたような瑠璃色の瞳。

 背は私やロジーよりも低いけど顔立ちはどこか大人びていて、薄暗い中でも分かるくらいに整っている。

 ちょっとだけ悔しい。


 ぶんぶんと首を振って余計な思考を振り払う。

 ……そうじゃない。

 初めて見たはずなのに、どこかで彼女を見たことがあるような気がする。

 そう、たとえばこの瞳なんて――


「あ」


 許可をもらってからスティアさんの髪に手を伸ばす。

 ちゃんとした編み込みを作れるほど長くないから完璧にはできないけど、後ろで結ぶくらいは簡単にできる。


「えっと、最後に紐で結んで……っと。これでよし」


「?」


 ポニーテールにした金色の髪、星空みたいな瞳、大人びた顔立ち――

 やっぱり、そうだ。


「スティアさん、クリスちゃんにそっくりなんです」


「っ、そういえば顔を……!」


 慌てて顔を覆うスティアさんに苦笑する。


「もう遅いですし、とりあえず安心してください。私のお友達に似てるなって思っただけで、どこの誰かまでは分かりませんでしたから」


「……本当に?」


「はい。私もロジーも王都に来てから色々あったので、自分の身の周りで起きていることにもあまり詳しくないんです」


 そう言うと、スティアさんは恐る恐るといった様子で顔を覆っていた腕を下ろす。

 それがなんだかおかしくて、自然と笑い声を漏らしてしまった。


「ふぅ」


 大丈夫、いつも通りとまではいかないけど、心はだいぶ落ち着きを取り戻せた。

 しっかりしなきゃ。私はロジーからスティアさんを託されたんだから。


「スティアさん、私がいいと言うまでなるべく音を立てないようにしてもらえますか?」


「え? はい、分かりました」


 きょとんとするスティアさんをよそに、私は馬車の窓に耳を近づけて集中する。

 風の音、木の葉が揺れる音、人の声、人の足音――みつけた。

 複数人の足音が馬車から離れていく。この近くには一人もいない。


「……」


 馬車の中でも最も暗い場所、街灯の光の死角に移動して外の様子を窺う。

 誰もいない。ということは、馬車から離れていく足音が、目的を達成して撤退していく見張りだったのかもしれない。

 扉に手をかけて軽く押してみる。

 ……開かない。


「あ、もう大丈夫ですよスティアさん。ありがとうございました」


「何をしていたんですか?」


「この辺に敵がいないか確認してました。まずはここを抜け出して、誰にもみつからない安全なところに避難しましょう」


「分かりました。それでは、私の護衛を呼んで――」


「いえ、それはダメです」


「え、どうして?」


「スティアさんを連れて私たちが元居た街に戻れ、ロジーはそう言ったんです。これは多分、スティアさんを隠せって意味でもあると私は思います」

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