第8話 早すぎる再会④

 マスターからの要求は釈放——つまりは無罪放免にしろということだ。

 相手は前代未聞の連続殺人鬼。協力の結果どれだけの人間を救うことになるとしても、恐らくそれだけはありえないだろう。

 ただ、それはあくまで正規の方法に則った場合だ。

 証拠の改竄、自治組織メンバーの買収、世論の印象操作など、思いつく限りの不正を行えばできないこともない。

 そう、“できないこともない”のであれば、その方法は選択肢の1つとして数えられる。

 ……いや、数えざるを得ない、が正しいか。


 交渉の場において重要なのはノーと言わせないことだ。

 その点から見れば、悔しいけどマスターの交渉術は完璧と言えるだろう。

 なぜなら僕は、“釈放”なんて馬鹿げた要求を突っぱねられずにいるんだから。


 最初から手に入らないものならその時点で諦めもつく。

 だけど、手を伸ばせば届いてしまうからこそ、目の前にチラつかされた情報を手放すのが惜しい。

 そう思わされている時点で僕は既に負けている

 人が陥りやすい心理を的確についた、実に上手いやり口だ。


「君はこの世から差別を無くしたかったはずだ」


「ええ、その通りです」


「だったら、銀髪エルフが薬の材料にされているかもしれない現状を看過できるの?」


 一瞬本気で驚いた表情を見せたマスターは、その直後に乾いた笑い声を漏らす。

 そして、失望したと言わんばかりに大きな溜め息を吐き出した。


「まさか私のような人間の情に訴えかけるとは……あなたは本当に、あのロジー・ミスティリアなのですか?」


「自分が誰かなんてどうでもいい。可能性があるなら何でもやる、それが僕だ」


「ええ。当然、私をここから出すこともできるわけですね」


「もちろん。でも、それをやるかどうかは僕が決める」


 語気を強めながら踵に体重を乗せて鉄格子を蹴る。

 狭い地下牢に甲高い金属の音が響き渡った。


「忘れるなよ“パッチワーカー”、あんたの生殺与奪を握っているのはこの僕だ」


「なるほど、お次は暴力ですか。それも可能性の1つなのですか?」


「いいや? 暴力であんたを従わせられるなんて最初から思っちゃいない。ただ、あんたの死後“パッチワーカー”に関するありとあらゆる記録を改竄することもできるって言いたいだけだ」


「……馬鹿らしい。死んだ後の話など脅しにもなりませんよ」


「そうかな?」


 ぼんやりと光を放つ火灯石を拾い上げてから、リーシャの手を引いて踵を返す。


「安心しなよ、もうあんたから“パッチワーカー”の名前を取り上げるようなことはしない。でも、高尚な理想を持った殺人鬼を、ただの変態犯罪者に変えることはあるかもしれないけどね」


「そんなこと、私の弟子たちが許すとお思いですか!?」


「分かってないな、あんたはもっと自分を高く評価した方がいい。この世に“パッチワーカー”を演じられるのはあんた一人しかいないだろう。つまりだ、その弟子たちですら“パッチワーカー”の名前を汚す要因でしかないんじゃないのか?」


 一歩、また一歩と、わざとらしく足音を立てながらマスターから離れていく。

 背後で格子を掴む音が聞こえる。

 釣り針はかかった。後は隙を見て大胆に――


「わ、分かりました! 釈放までは望まない! だからせめて、死刑を延期するようかけあってください!」


「さようなら“パッチワーカー”。束の間の凶悪犯生活を楽しむといい」


「っ、ステモン墓地です! 名前はジーン、暮石にもそう刻まれています!」


 ステモン墓地、たしかラランと呼ばれるスラム街のすぐ近くに位置する共同墓地だ。

 治安の悪いエリアのため人も寄り付かず、埋葬されるのは身元不明や引き取り手のいない遺体ばかりと聞いたことがある。

 なるほど、調査を行うための条件としては完璧だ。


 さて、釣果は上々。

 足を止めることも振り返ることもなく、足早に地下牢を後にする。

 ピッキングで開けた錠前を戻し、途中眠りこけている看守の頬を何度か叩き、水筒の飲み口に塗った眠り薬を拭い取ってから地上へと出た。


「……はー」


 リーシャが溜息と共に奇妙な声を吐き出したのは王城を出てすぐのことだった。


「緊張した?」


「あ、当たり前じゃないですか! 私たち、あの場で捕まってもおかしくないことをしたんですよ!」


「言ったでしょ、今回は手段を選んでられないって。あんなのまだ序の口だ」


「あれ以上があるんですか!?」


「——リーシャ」


 真剣な声色に何かを感じ取ったのか、リーシャの表情が少しだけ強張る。


「止めるなら今だ、まだ間に合うよ」


 立ち止まってそう言うと、一歩先でこちらに背を向けたままリーシャが俯く。


「スティアに聞いたことを全て忘れて、これまで通り自分たちにできる範囲の仕事を請け負っていけばいい」


「……ロジーは優しいですね」


「優しい? 僕が?」


 予想外の返答に思わず聞き返してしまう。


「だって、こうして逃げ道を用意してくれるじゃないですか。この道を選んだのは私のはずなのに、逃げたっていいんだって言ってくれる……」


 でも、と続けて一呼吸置く。

 答えより先に、握ったままの手が強く握り返された。


「私、逃げません。絶対にやり遂げるって決めたんですから」


 赤みがかった景色の中、決意を湛えた空色の瞳が真っ直ぐに僕を見据えていた。

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