第4話 やりたくないこと

 あれから一夜明けた翌日。

 僕らは遅刻こそしなかったものの、授業などとても頭に入る状態ではなかった。


 結論から言って、僕らはスティアの依頼を受けなかった。

 理由だって? そんなものは決まってる。


「……はあ」


 今日何度目かの溜息を吐く。

 後悔とも罪悪感とも呼べない不可思議な感情が心の奥底に引っかかっていた。

 自分は正しい判断をしたと何度言い聞かせても、胸につかえた異物感が消える気配は一向にない。


 僕の隣で板書を見つめるリーシャもさっきからずっと上の空だった。

 自分と同じ存在が商品として加工されているかもしれないと知ってしまったんだ。

 同胞意識があろうが無かろうが関係無い。銀髪エルフだからというよりは、人として当然の反応だろう。


「……っ」


 依頼は断る、と告げた瞬間のスティアの表情が頭から離れない。

 一瞬上下する上瞼。目尻は下がり、口元には薄っすらと笑顔が浮かんでいた。

 不格好と言う他ない。

 けれど彼女は、僕に気を遣わせまいと笑ったんだ。

 瞼の裏に焼き付いてしまったのか、目を閉じる度にその瞬間が蘇ってくる。


 僕はどうするべきだったのか。

 もしあの時依頼を受けていたなら、それはそれで別の後悔もあったかもしれない。

 だったら、今は——


「ロジー・ミスティリア、聞いているのですか? 次の設問の答えを」


 名前を呼ばれはっと我に返った。

 イスから立ち上がりながら状況把握を始める。


 教師の名前はサラ・ヘンティ、魔導具の歴史学者だ。

 年齢は20代後半、既婚、1児の母。

 前回の授業の際につけていた指輪が無い。普段は見せない攻撃的な表情はストレスが原因で、顔のむくみはストレス発散のための暴飲暴食によるもの。いつもより化粧が濃いのは夫以外の他人の目を意識するようになったから。考えられるのは夫絡みの家庭トラブル、つまりは浮気――とまあ、こんなところか。


「先生、設問の答えも重要ですが、今の先生に必要なのは円満な夫婦生活を送るコツですね」


「ちょっと……は、はあ!?」


「今日家に帰ったら、旦那さんに“やめてほしいこと”と“その理由”を可能な限り短い言葉で伝えてください。それで大概の問題は解決すると思いますよ」


「なっ、あ、あなたには関係無いでしょう!」


 なぜ知っているのか、と言いかけたのが分かった。


「そうですね、すみません」


 軽く頭を下げながら席に座る。


「……ロジー・ミスティリア、煙にまこうとしても無駄ですよ。設問についてはどうしました?」


「ああ、そうでしたね。答えは“魔導銃”です」


 どうせ答えられないと思っていたのか、驚いたようにサラの眉が上がる。


「……では続けて、現代の魔導具と魔導銃がどう違っているかを答えてみなさい」


「現代の魔導具は魔力を効率的に運用し“魔法”として行使するものが主流ですが、その技術が無い頃は魔力そのものを弾丸として打ち出していました。ただ魔力を込めて引き金を引くだけなので、魔導具は無理でも魔導銃なら扱えるという人が多いのが特徴です」


「よ、よろしい。授業中に無駄な発言は行わないように」


 ふう、と一息吐くと、リーシャの呆れたような視線に気づく。


「どうかした?」


「……いえ、どうしていきなりあんなこと言ったのかなって思って」


 サラとのやり取りのことを言っているのだろう。

 

「ちょっとボーっとしててね。そもそも単元すら分かってなかったから、時間を稼ぎながら設問が何なのか周りを見て確認してたんだ」


「……」


「リーシャ?」


 何かを言いかけたリーシャがそのまま動きを止める。

 やがてばつが悪そうに唇を噛むと、僕から視線を逸らすようにそっぽを向く。


「言いたいことは分かるよ、何となくだけど」


「……私、嫌な子ですよね」


「そんなことない。できることがあるのに何もしてないんだ。あの選択に疑問を持つのは当たり前のことだよ」


「ロジーはそうでも、私は違います。私はロジーの力をあてにしているだけで、自分1人では何もできないんですから」


 リーシャはそう言って自嘲気味に鼻を鳴らす。


「ねえリーシャ」


 少しだけ潤んだ空色の瞳が僕を見る。


「リーシャが今、“やりたくないこと”は何?」


「……“やりたくないこと”、ですか? やりたいことではなくて?」


「そう。なるべく短い言葉で教えて」


 長い言葉で伝えることが必ずしも正しい意思疎通に繋がるとは限らない。

 無駄な装飾を取り除いていって、最後に残ったものこそが本当に伝えたい言葉のはずだから。


「私、このまま見て見ぬフリをして後悔したくないです」


「つまり、例の件を調べたいってこと?」


「……はい」


 躊躇いがちに口を開いたリーシャが自分の手元に視線を落とす。

 その危険性については、わざわざ僕の口から説明せずとも分かっているはずだ。

 それでも、なのだろう。


「はあ」


 溜息を吐きながら後頭部を掻く。

 自分のズルさに嫌気がさす。

 分かってるさ。僕自身、心のどこかでこうなることを望んでいたんだ。

 誰かが僕の手を引いてくれるのを待っていた。


「……今回は手段を選んでいられない。だから犯罪に手を染めるかもしれないし、罪には問われなくても人として最低なことをするかもしれない。それでもいい?」


「ロジー! い、いいんですか?」


「知っちゃったからには何とかしなきゃね。個人的に気になることもあったし」


 リーシャが歓喜のあまり飛び跳ねるように立ち上がる。

 突然の奇行に教室中の視線が集まった。

 当然だろう、今はまだ授業中だ。


「……とりあえず放課後から、ね?」


「は、はい……」

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