第3話 2人のスティア③

 ガタン、とイスが鳴る。

 鼓膜を突き刺すような音に驚き心臓が大きく跳ねた。


「……っ」


 僕は自分が立てた音にすら驚くほど冷静さを欠いている。

 大丈夫だ、落ち着け。

 息を吸って、息を吐いて、心を乱す大波を捉えて、精神の揺らぎを支配下に置け。

 この身体は借り物でも、僕を僕たらしめる心は僕自身のものだ。


「てっきり笑い飛ばされるものと思っていました」


「……言ったのが君でなければそうしてたよ」


「会ったばかりの私をそこまで信じるのですか?」


「会ったばかりの僕にそんなバカげた嘘をつく理由がある?」


 たしかに、と言ってスティアがくすりと笑う。


「ねえスティア、いくつか質問してもいい?」


「はい、私の身分について以外なら何でも」


「それはもういいよ。あえて問い質さなきゃクリスティーナも言うことは無いだろうし」


 咳払いを1つしてからイスに座り直す。

 改めて深呼吸をすると頭に上っていた血液が全身へと戻っていくのを感じる。

 冷たくなっていた指先をさすり、口を開く。


「君が僕にこの依頼を持ち掛けるに至った経緯だ」


「それは——」


「僕がアルバート・グレンドレックを失脚させたから、じゃない?」


 遮るように言うと、スティアが驚いたように息を飲んだ。

 ……やっぱりそうか。


 ヤツもこの薬について知っていたわけだ。

 そして、些か以上に銀髪エルフを毛嫌いしていたあのアルバートが、こんなものの流通や使用を許すわけがない。

 大方“人道に反する”とか何とか、もっともらしいお題目で脅していたんだろう。

 忌避の対象となる銀髪エルフとはいえ、元を正せば1人の人間だ。

 薬の材料となっているなんて公表すれば、使った者、使おうとする者は世間から糾弾されるべき悪になる。

 政敵を陥れるにはこれ以上ないほどのスキャンダルだ。


 そうして抑えられていたか、あるいはごく一部にしか出回っていなかったものが今再び貴族の間に広まろうとしている。

 良くも悪くもストッパーの役割を果たしていたアルバートを、僕がこの手で取り除いてしまったからだ。


「……なるほど、君が“僕なら依頼を受ける”と言った意味が分かったよ」


 頭を抱えて嘆息する。

 有力者を排除した際の悪影響は考えていなかったわけじゃない。

 けれど、どこか楽観視していたのもまた事実だ。

 悪を取り除いていけばいつかは幸せに暮らせるなんて、世界はそう単純じゃないことくらい知っていたはずなのに。


「……そんな、まだ何も答えてないのに。もしかして、私の心を見通したのですか?」


「そういう人間なのです——ごほん、そういう人間なんだ。ロジー・ミスティリアという男は」


 スティアとの関係をもはや隠せてすらいないクリスティーナをおちょくる気も起きない。


 どうする。どうすればいい。どうしたい。

 自問を繰り返すも答えが出てくる気配は一向にない。


「……スティア、2つ目の質問だ。もし僕が依頼を断ったら、君はどうするつもりだった?」


 そうですね、と言ってスティアは数秒の間思案する。


「この薬の存在と材料についての噂を公表します。根本的な解決にならないことは分かっていますが、何もしないよりはマシですから」


「まあ、それしかないかもね。ただ、たしかに薬の流通は一時的には縮小するだろうけど、そもそもこの話自体が夢物語みたいなものだし、噂が噂のままな以上1ヵ月も経てば元通りだろう」


 公表というカードは劇的な効果をもたらす切り札である。

 けれど、切り札は確実に勝てる場面で切らなければ何の意味もない。

 どんなに強いカードでも、切ってしまえば後はただの紙切れだ。次の手が無ければその時点で飲み込まれて終わる。


「それに、奇跡にも等しい薬効となれば相当な高値が付くんじゃないかな。そして大金が動く以上、君が何者であれ間違いなく無事では済まないだろう。子供ならなおさらだ。それでもやる気?」


「危険なら既に冒しています。それでも、私は——」


 震えた吐息が静まり返った店内に細く響く。


「じゃあ、これが最後の質問」


「はい」


「危険なのを承知の上で、君がそうまでする理由は何?」


 核心に踏み込んだ質問だ。

 それこそ、事情によっては少女の正体にすら繋がりかねない。


「人が人をするなんて、あってはならないと思いませんか?」


 けれどスティアは、迷うことなく即答した。


「……」


「というのはまあ、建前……みたいなものでしょうか」


「建前?」


 言おうか言うまいか、逡巡するような間があった。


「——本当は怖いんですよ。禁忌の力に触れたばかりに、この国が亡びてしまうのではないかと」


 これまでで一番真剣な声でそう言うと、スティアは肩の荷を下ろすかのように背もたれに寄りかかった。


「もしかしたら本物の奇跡なのかもしれません。ですが、同じ種族の間でさえいがみ合っている私たちには、そんな都合のいい力を扱いきれるはずもありません。今当たり前にある魔導具だって、生活の一部になる以前には人を殺すためにしか使えなかったんですから」


 自分を……いや、愚かな人類を嘲笑うようにスティアがこぼす。


「スティア、君は——」


「ロジーさん、お願いです」


 鼻と鼻が触れ合いそうな距離。

 暗闇に浮かぶ星空のような双眸がそこにあった。


「どうかこの呪わしき“奇跡”を、あなたのお力で陳腐な“インチキ”に変えてください」

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