第13話 嘘の責任①

 額に浮いた玉のような汗を拭いつつ、まだ力の入りきらない足で一歩く。

 さすがにこの状態で平静を装うのは無理だ。

 だったら、今はそれを逆手に取ろう。


 ユーリを診ていたレナードの肩を叩く。

 それだけで察してくれたのか、レナードは何も言わずに立ち上ると僕らから少しだけ距離を取った。


「やあ、体の調子はどう?」


「大丈夫、です」


 憔悴した様子で弱々しく頷く。

 それはよかった、と言うと、目を細めるだけの笑みでユーリが応えた。


「私よりも、あなた方が重症って顔してますよ」


「君を巻き込んだ手前、怪我をさせたとあっちゃ寝覚めが悪いからね。いやもうほんと、肝が冷えたよ」


「……あの子のおかげですね」


 そういってユーリが視線を向けた先にはリーシャがいる。

 小さく手を振って見せるリーシャにユーリが顔を綻ばせた。


「あ、そうだ。これ、お返ししますね」


「さすが魔導学園の生徒だね。これが何か知っていてくれて助かったよ」


 そう言って渡されたのは小さなキューブ。

 薄い黄色と銀の装飾が特徴的な、魔力を通すとこちらの居場所を伝えられる魔導具だ。


「ん? おい、それ王都の人間が使う連絡用の魔導具だろ? なんだってお前らがそんなもの持ってる」


 不意にレナードが口を出してくる。

 まずい、何かに使えるかもと思ってカリーナからスっておいたはいいものの、足がつくタイプの特注品だったか。


 今はひとまず、余計なことを言われる前にレナードには黙っていてもらおう。


「それは後で説明するよ、ハーグレイブ卿。今は彼女に聞きたいことがあるんだ」


 ハーグレイブ卿、と呼ばれたことで僕がまだ演技の最中だと気づいたのだろう。

 レナードは頭を掻くと口を噤み、明後日の方へ視線を向けた。


「聞きたいこと?」


 ユーリが首を傾げる。


「ほとんどの人間が右手と左手で別々の絵を描けないように、同時に複数の物事を考えることはできない」


 何のことやらと目を泳がせるユーリ。


「もっともな反応だ。ただ、ルクルならこれだけで僕が何を言いたいか分かったかもね」


「……私と違って、ルクルちゃんは頭がいいから」


「それを羨ましいと思う?」


「少しだけ。でも――」


「でも、君は平凡に生きたかったから必要なかった」


 見開かれる目、緊張する口元。

 呼吸を止め唾を飲むその姿に僕は確信に至る。


「あ、あなた……どこまで知って……」


「疑い始めたのはついさっき。レナードとルクルの反応からもしかしたらと思い始めて、今君にカマをかけて全部分かった」


 つまり、誰にとっても予想外の出来事が起きるまでは、そんな疑いを抱きすらしなかったということだ。

 それだけルクルの演技は真に迫っていた。

 というより、ルクル自身にそういう願望があったからこそ僕の目を欺けていたんだろう。

 自分に正直であるなら、僕が違和感を覚えることも無い。


「はあ」


 と溜息を吐くユーリ。

 まるで全てを観念したようなその表情に、僕も告げるべき言葉を口にした。


「この学園の理事、アルバート・グレンドレック子爵の本当の孫娘は――ユーリ、君だね」


 背後から僕に駆け寄る足音。

 リーシャに止めさせる必要は、無い。


「待ってください、ハーグレイブ卿」


 僕の口を塞ごうとしていた手が、ユーリの言葉により直前で止まる。


「証拠が無いってすっとぼける道もあったのに。君のせいで認めざるを得なくなったね、レナード?」


 すぐ後ろで聞こえる呻き声に苦笑する。

 頭痛をこらえるようにこめかみを押さえるユーリが、目を閉じたまま口を開いた。


「……どうして、分かったんですか?」


「思い返してみれば理由は色々あるけど、君に何かあると最初に思ったのは、君やルクルと初めて会った時だ」


 人は見た目と言動で印象が決まる。

 ルクルのいかにもお嬢様然とした態度のせいで、この子が子爵の孫娘と勝手に解釈してしまった。

 もちろん、それが彼女たちの狙いではあったわけだけど。


「あなたに釘を刺したのは余計でしたか?」


「いや? 家の身分なんて関係無いくらいの歳の頃、仲の良い友達だったのかなって思ったくらいだよ。……失礼、今もそうなんだろうね」


 ええ、と短く言ったユーリは少しだけ嬉しそうな顔をしていた。


「確信に至ったきっかけはルクルが君の攻撃からリーシャを庇おうとした時だ。あれだけ銀髪エルフに嫌悪感を示していた子が、反射的にあんな行動を起こしたのには相応の理由があると考えた」


 咄嗟の行動には人の真意が現れる。

 ルクルの銀髪エルフへの敵意は本物だったからこそ、リーシャを庇う行動にはほんの一瞬でも躊躇が見られるはず。

 けれど、彼女には一切の迷いが無かった。


 ――それはなぜか。


「勘違いだったとしても、ルクルは君を無関係な人間を傷つけた加害者にしたくなかったんだ。その行動は、君が“昔仲の良かった取り巻き”だったなら説明がつかない」


 そこで僕は考えた。

 この主従関係、実はなんじゃないかということに。


「けれど、君が“今も守るべき大切な主人”だと考えれば、ルクルが“銀髪エルフ”という嫌悪の対象を躊躇無く守ろうとした行動にも納得できる」


 リーシャではなく、ユーリを守ろうとしたのであれば迷う必要はない。


「結論まで行き着いてしまえば思い当たる節もいくつかある。そのうちの1つがレナード、君だ」


「俺?」


 踵を返せばレナードがすっとぼけたような顔をしている。

 いや、本当に気づいてないだけか。


「まず確認だ。君はユーリとルクルが立場を入れ替えていたことを知っていた、そうだね?」


 レナードが僕の背後に視線を向ける。

 ユーリに発言してもいいかどうかの確認をしているのだろう。


「ああ、そのうえで万が一バレそうになった場合フォローを入れる約束をしていた」


 やがて僕に視線を戻し、小さく頷きながら言った。


「そう、君はその約束を守るため僕に嘘をついた。そして僕をよく知る君は、僕に嘘を見破られるかもしれないと恐れていた」


 僕が読み取ったのはそんな感情だ。

 まあ、あれは見破るとかそういうレベルの話では無かったような気もするけど。


「……裏目に出たわけか」


「そういうこと」


 ただ、その時点では嘘をついているということまでしか分からない。

 何について、の部分が分かっていなければ、気づかないのと同じことだ。


「ローゼスくん、あなた……ハーグレイブ卿とお知り合いなんですか?」


「まあね。君とルクルが偽りの立場で周囲と接していたように、僕も偽りの立場で君たちに接していたんだ」


 ユーリの顔に罪悪感の色が浮かぶ。

 よくもまあ、こんな素直な女の子が今まで嘘を突き通せたものだ。


「ローゼス! 先生を呼んできましたわ!」


 階上からルクルが叫んだ。

 そうそう、と僕は付け加える。


「もしルクルが本物の高飛車お嬢様だったら、いくら慌てていても自分の足で人を呼びに行ったりしないよ」


 あ、と口を開けたユーリは、やがて花がほころぶように明るい笑顔を覗かせた。

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