第10話 イマジナリー・ファントム④
あれから1時間ほど経っただろうか。
席を立ち上がり、そろそろ行かなきゃと言った僕に、ルクルは目に見えて不安な顔を覗かせた。
「何か用事でもありますの?」
「僕はここではゲストだからね、もうすぐ退館しなきゃいけない時間なんだ」
外はいつの間にか日が傾きはじめ、中庭の時計塔が大きく影を伸ばしている。
仕込みに夢中になりすぎて、レナードたちとの約束の時間をうっかり忘れるところだった。
「それでしたら、心配はいりませんわ」
「え?」
やけに自信満々なルクルが僕の隣に並ぶと、逃がさないとばかりに腕を組んで歩き出す。
ざわつく周囲の生徒たち。
そして、部活終わりと思われる人でごった返していた食堂に、かのモーゼの海割りのように道ができていく。
「わたくしを誰だと思っていますの?」
「……理事会の中でもトップクラスの発言力を持ってる、子爵様の孫娘?」
「ふふん、そういうことですわ」
半ば連行されるように訪れたのは、僕らが最初に足を踏み入れた正面玄関だ。
先に来ていたリーシャとレナードがソファに座ってくつろいでいるのが見える。
向こうもそんな僕の姿を認め、リーシャが目を丸くした。
ルクルに見えないようこっそりと人差し指を口にあてて、静かにしているようジェスチャーを送る。
レナードはといえば状況を飲み込めていない様子で、自分の目を疑うように両目を擦っていた。
そういえば、僕とルクルが一緒にいることを知ってるのはリーシャだけだったか。
「ところでルクル、玄関まできて何を?」
「犯人が捕まるまでローゼスがずっとここにいられるよう手配しますわ」
こちらを向きながらそっと僕の頬に触れるルクル。
ふわりと揺れた髪の毛からほのかに甘い花のような香りがした。
少し脅しすぎたか、と内心で嘆息する。
さて、どうするかな。
恐らく入館の時にはロジー・ミスティリアの名前で通っているはず。
名前の確認をされた場合、ローゼスが偽名であることがルクルにバレてしまう。
別に偽名を使っていることについてはいくらでも言い訳が効く。
「潜入任務だから」とかそれっぽいことを言っておけば、ルクルはきっと納得するだろう。
問題なのは、僕が数日後に受験を控えているリーシャと同じ姓であることだ。
ルクルはそこそこ頭が回る。
疑問に思われて調べられてしまえば一発アウトだ。
僕とリーシャの間に繋がりがあると分かれば、僕がリーシャのために一芝居打っていると勘付いてしまうだろう。
そうなれば計画はご破算。
下手をすれば僕の入学すら取り消される可能性もある。
……仕方ない。
ここは虎の威を借りることにしよう。
「分かった、話は僕がしてこよう。ルクルはここで待ってて」
「え? でも、わたくしが直接話した方が――」
そっとルクルの耳元に顔を寄せる。
「職業柄あんまり目立つわけにはいかなくてね、できれば穏便に済ませたいんだ。君なら分かってくれるでしょ?」
何となく漂うデンジャラスでミステリアスな雰囲気、そしてその相手に認められ信頼を向けられている自分。
そんな浮ついた状況であれば――
「分かりましたわ、ここにいればいいんですのね」
こうして雰囲気に呑まれ、言いなりになる。
「ありがとう、いざとなったら僕の方から呼ぶよ。そうしたら君は、何も言わずにただ威圧してくれるだけでいい」
「そうなんですの? 職員に言うことを聞かせるくらいなら簡単にできますわよ?」
方法はお教えできませんが、と口元をおさえクスクス笑うルクル。
どことなく触れてはいけないダーティな気配を感じながら、僕はその腕から逃れ後ろを振り返った。
「それじゃ、行ってくるよ」
言いながら階段を降り、1階の窓口のようになっている場所をノックした。
引き戸はすぐに開き、中から事務員と思われる中年の女性が顔を覗かせる。
「あら、どうかされましたか?」
「ハーグレイブ卿の紹介で学園見学に来ているロジー・ミスティリアです。ちょっと聞きたいんですが、僕のような来賓の人間が、数日学園に滞在することって可能なんですか?」
僕の背後でソファに座っているレナードを見て、女性は「ああ」と納得した顔で僕に視線を戻す。
「通常は無理ですが、特例で認められるケースはありますね」
「たとえば?」
「日を跨いで行われるイベントですとか、夜のうちに作業が必要な工事ですとか、そういった場合です。基本的には事前に申請が必要な他、滞在する方について十分な身辺調査が行われた後になりますね」
なるほど、さすがにお金持ちの子息が大勢通う学校だけあってその辺はしっかりしているようだ。
まあ、そうでなければ今ごろ大きな事件が起きた後か。
「じゃあ、僕がここで滞在希望を申し出ても、それは叶わない可能性が高いってことですね」
「あはは、そうね。ハーグレイブ卿の紹介といっても、今日すぐにというわけにはいかな――」
その言葉を受け、僕は階段の上に視線を向ける。
つられるようにその先を追った女性は、腕を組んでこちらを見下ろすルクルの姿に気づいた。
「いやあそれが、彼女にどうしても……とお願いされてしまいまして」
瞳孔散大、呼吸の乱れ、指先の震え、発汗。
女性は目に見えて怯えていた。
「知ってるでしょう? 彼女が言うことを聞かない相手に何をしてきたか。僕は別に居座りたいわけじゃないんですが、僕も彼女は怖いので」
「……あなたも脅されて?」
「まあ、そんなところです。僕には皆さんの怯える気持ちがよく分かるので、彼女にはあそこで待ってもらってるんです。ただ、あんまり時間をかけすぎると――」
降りてきちゃうかも、と続けると女性は身を竦める。
「お願いできますか?」
「……す、すぐに書類を用意します」
そう言って奥の方へ消えていく女性の背中を見送る。
共感と脅迫、いわゆる飴と鞭。
さらに僕自身も被害者であると認識させ、同族意識を芽生えさせた。
ほとんど脅していたにもかかわらず、女性には僕がルクルを抑えてくれている仲間のように錯覚していたことだろう。
これでひとまずは大丈夫なはずだ。
安堵の溜め息を吐くとともに、そういえば背後のレナードとリーシャをどうするかを考えていないことに気づき、再び頭を抱える僕だった。
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