第8話 イマジナリー・ファントム②
「そ、そうですわ! お祖父様に連絡して護衛を寄越してもらいましょう! それならきっと――」
「いや、それはやめておいた方がいいかも」
名案を思い付いたとばかりに表情を明るくするルクルに、僕は眉を寄せながら首を捻ってみせる。
呼び出した護衛がいつ到着するかは分からないものの、祖父であるアルバート・グレンドレックがここの理事であることを考えれば、早ければ明日にでも手配されてしまうだろう。
護衛の存在は僕が動きづらくなるばかりか、心理的な安心感によって“架空の怪人”の効果を薄れさせる。
ルクルに必要なのは不安感、不信感、孤立感、そして僕への絶対的な信頼だ。
仮に護衛の派遣を止められなかったとしても、常に疑ってかかるくらいの心理状態まで誘導する必要がある。
まあ、その反応は予想できたから、既に対策を考えてあるんだけどね。
「ど、どうしてですのっ? 何者かがわたくしを狙っていると分かった以上、人手は多い方が良いのではありませんか?」
「ルクル、君はさっき1つの手掛かりに行き着いたはずだ。ほら、この紙を見て何を考えた?」
ルクルの手を取り紙片を再び眼前に晒す。
その震える手を落ち着かせるように、親指の甲を指先で撫でた。
「……もしかしたら、わたくしに近しい人間が送り主なのではないかと」
「でも、そいつが本当にすぐ近くにいる人間だったのなら、君はとっくにどうにかなってるんじゃないかな?」
首を傾げるルクルに人差し指を立ててみせる。
その指先に集中させるように、ゆっくりと、一定のリズムで左右に動かす。
「こうした回りくどい方法を取らざるを得ない理由、想像してごらん? リラックスして、君ならすぐに分かるはずだ」
つとめて優しい声色と、独特の抑揚で答えへと誘導していく。
「……わたくしに理由無く近づけないから? だからわたくしを焚きつけて、何かを、待っている?」
「そう。君のことをよく知っているからこそ、こうして追い詰めていけば君が何をするかもお見通しのはずだ」
「まさか……護衛に紛れて、わたくしに近づこうと……!?」
その言葉が口をついた瞬間、ルクルの肩を叩き思考を中断させる。
ルクルは夢見心地から突如我に返ったかのように目を見開き、一瞬息を飲むとすぐに深い溜息を吐いた。
「そういうことだね。迂闊に近寄ってこられないなら今の状態を維持すればいいし、逆にこっちが相手の尻尾を掴んでしまえばそれで決着だ」
「え、ええ、そうですわね! 護衛だなんて、わたくしは何を考えて……」
「いいんだよ、君は悪くない」
「ローゼス――」
そう言って若草色の髪を撫でると、ルクルは熱っぽい息を吐いた。
まるで母親に甘える子猫のような仕草で、僕の首元に額を擦りつけてくる。
「ひとまず、ここは監視されてると考えて別の場所に行こう。今日は1階でいい?」
「もちろんですわ。お茶は下のテーブルに運ばせましょう」
ルクルを伴って階段を降りる。
傍から見れば僕がルクルをエスコートしているようなその光景に、階段付近のテーブルで談笑していた生徒たちが一斉にその動きを止めた。
しおらしいルクルの姿に困惑しているのか、あるいは男の影が見えなかったルクルに僕という相手が現れたことに驚愕しているのか。
そのどちらの可能性もありえるけど、ここまで注目されるのは少々厄介だ。
端の方の席まで移動して腰掛ける。
途中ルクルがメイドに声をかけていたからか、席について数分もしないうちに2人分のティーセットが運ばれてきた。
「……イスが硬いですわね」
「ごめんね、今度はそこまで気を回すようにするから」
「ローゼスは悪くないですわ! 悪いのはきっと……」
自分かもしれない、と言いかけたルクルに笑顔を向ける。
「ひとまず落ち着いて紅茶でも飲もうよ。気を張ってるに越したことは無いけど、ずっとそうしてたら疲れちゃうからさ」
「そうですわね。それに、これだけ人が多ければ相手も迂闊に手を出せないでしょうし」
「その通り。君ほどの人間に手を出したとなれば逃げきれないのは分かってるんだろう。だからきっと、何かしてくるなら君が1人になった時だね」
ポットから注がれた熱い紅茶にレモンを絞る。
「っ! 待ちなさいローゼス!」
口をつけようとしたところ、ルクルが酷く慌てた様子でそれを止めた。
「毒という可能性は無いかしら。もしこのポットに毒を混ぜられていたら、ローゼスも――」
「いや、それは問題ないよ」
言いながら紅茶を口に含む。
何せそんな相手は初めから存在しないんだから怯える必要は無い。
「ちょっ、どうして!」
「それが目的なら最初からそうしてる」
「え?」
「単に危害を加えるだけならいくらでも方法はあるってことだよ。これまでにそうしたことが起きていないのは、本当の目的が殺傷じゃないからだ」
「では――」
ルクルの得心したような顔に僕は口の端をつり上げる。
「見えてきたね、敵の狙いが」
そう言ってカップを掲げると、ルクルは期待を込めたまなざしで深く頷くのだった。
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