幕間「少女リーシャの門出」

第1話 この広い世界へ

 ジオラス領の一件から半月が過ぎた日のこと。

 あれ以来変わらずカジノのディーラーを続けていた僕とリーシャの元に、王立ロメリア魔導学園から封筒が届いた。


 僕にしてみれば念願の、リーシャにしてみれば待望の、次のステップへ進むための招待状に心を躍らせる。


 けれど、これから僕らを待ち受けるのは、何も嬉しいことや楽しいことばかりじゃない。

 新しい出会いのため、今の関係に別れを告げなければならないことだってある。


「あ……」


 短く声を漏らしたリーシャの形の良い頭を撫でる。

 カシアの街から王都ロメリアまでは馬車で片道2日、当然ここから通うという選択肢は無い。

 それがいったいどんな意味を持つか、リーシャは今日この時まで考えたことも無かっただろう。


 封筒にあった資料によれば、ロメリア魔導学園は全寮制の学校だ。

 いわゆる夏季休暇のような長期の休日以外では、ここへ帰ってこられる機会も限られる。


「僕はリーシャの意思を尊重するよ。でも……ううん、だからこそかな。学園に通おうと思うのなら、まずはここの人たちにきちんとお礼をして、そしてお別れを言わないとね」


 僕と出会うまで、リーシャには目的というものが無かったように思う。

 必要以上に言葉を覚えようとしていなかったことがその証拠だ。

 

 エルフの森でリーシャがどんな生活をしていたのかは分からない。

 けれど、ここには衣食住があり、居心地が良く、仕事もあった。

 だからこそ、日々を生きる以外に目的を持つ必要が無かったとも言える。


 それは同時に、ギルド『錆の旅団』のメンバーとの別れを想像したことが無いのと同じだ。

 その関係性は友人や恋人というより、近くにいることが当たり前の家族との繋がりに近い。


「……名残惜しい?」


 リーシャは何も言わずにただ頷く。


 当然だろう、リーシャにとってはここが故郷であり実家でもある。

 そして、アルベスさんやガイズたちは家族と呼べる数少ない存在なんだ。


「ロジーは――」


 そこで言葉を切ってから僕を見る。

 空色の瞳がリーシャの心模様を映し出すように揺れ動いていた。


「ロジーは、どうなんですか?」


「もちろん寂しいとは思うよ。でも、僕は最初からここを仮の宿と決めていたから」


 僕の目的はあくまで学園に入ること。

 そして、それまでの繋ぎとして住む場所と仕事が必要だった。


 言い方は悪いかもしれないけど、別れが前提の出会いと割り切っていたんだ。


「さっきも言ったけど、僕はリーシャがやりたいようにやればいいと思う。でも、これだけは言っておくよ」


 封筒を握り締め、微かに震えているリーシャの手を取る。


「一度結ばれた縁っていうのは、切ろうとしなければ案外切れないものなんだ。リーシャが皆と家族でいたいと思う限り、その関係はこの先もきっと続いていくよ」


「……」


 ぎゅっと閉じた目の端から一筋の雫が伝う。


「それに、もう二度と会えなくなるわけじゃないんだから。手紙だって出せるし、休みがあれば里帰りすることだってできる」


「皆さんは……っ、こんな私を許してくれる、でしょうか……」


 少しおかしくなって、目を細めながらリーシャの頭を抱き寄せる。

 いい匂いのする銀色の髪を指先でなぞるように撫でた。


「許すも何も、引きこもりがちだったお姫様が目的を見つけて外の世界に行こうとしてるんだ。皆お赤飯炊いて祝福してくれるよ」


「おせきはん……?」


 おっと、こっちの世界に赤飯は無いのか。


「……ごほん。とにかく、皆きっと大喜びだし、祝ってくれるってこと」


 縋るように背中へ手が回される。


 力を入れれば折れてしまいそうなくらいか細い腕だ。

 こんな手で、リーシャは僕を守るためいつも矢面に立ってくれている。


 だからこそ僕は、僕のできることでリーシャを守ってあげたいと思う。


「それに、ほら」


 鼻の頭を赤くしたリーシャが顔を上げる。

 澄んだ空色の瞳に至近距離から見つめられ、心臓が小さく跳ねた。


「……」


「ロジー? 顔、真っ赤ですよ」


「き、気のせいだよ」


 肩を掴んで突き放し、照れ隠しのため立ち上がる。

 リーシャに背を向け、気持ちを入れ替えるように深呼吸を1つ。


「僕とリーシャは同じ“ミスティリア”なんだ。つまり……その、えっと、うん。ほら、あれだよ」


「あれ?」


 いつもは勘のいいリーシャのことだ。

 表情を見ることができないので確証はないけど、僕が何を言わんとしているかはもう分かっているかもしれない。


 けれど、あえて問い返すのは言葉にしてほしいからだろう。


「はあ……」


 大きく溜息を吐いてから頭を掻く。


「……僕だって君の家族なんだ。寂しくなったら、僕が傍にいるから」


 最後は消え入りそうなほど小さな声だった。

 でも、リーシャにとってはそれで十分だったのだろう。


 背中に感じる心地良い温もりに、顔の火照りが冷めるのはもう少し先になりそうだと天井を仰いだ僕だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る