◆
オーガストは顔を歪め、拳を窓ガラスに叩きつける。
「おそらくユージン・シャーロットはアーサーに何かしら伝えた。そうじゃなきゃ、アーサーが組織を潰す決意を固められなかったはず。だから惑わされないで裏切りを受け入れられた」
黒川は続けてオーガストを追い詰めるように話す。
「狡いとは思わないかな? 事実を隠すことで確かに人は救われることがある。でも、事実を隠す理由としては、あんたの理由は腐っているよ。あんたの妻がどうしてダイヤを日本に持っていったのか、あんたと一緒に戦いたいと思ったのはなぜか。あんたはなーんにもわかっていないよ、オーガスト・フレデリック。あんたの妻は戦いたかったんじゃない。一緒にいたかったんだ」
歯を食いしばるオーガストを道化の男は冷やかな目で、しかし口元は緩めたまま見ている。
「ダイヤを守りたい、先祖への立派な行為だ。だが、暗号文を読み解くことのできるあんたなら、よく考えてみなよ。負けず嫌いな奥さんはあんたの立派な行為と決意を踏み躙れなかった。あんたの気持ちを酌みとって、あんたがしたいようにさせるために。そして争いが治まったときに、自分のもとに帰ってきてほしいと願ったから。一緒にいてほしいという切なる思いを堪え、それでもあんたを信じて、あんたの意固地な誇りとあんたを縛り付けているダイヤを、流行病と、行方不明となったある人物への罪悪感にも耐えながらも守ったんだ。あんたの奥さんがダイヤを捨てなかったのは、すべてはあんたと、あんたの顔を知らない自分の子供のためなんじゃないかい?」
「私は……!」
刹那、客室内に鮮血が飛び散る。何の脈絡もなく、道化の男の槍がオーガストの太腿を鋭く貫いた。あまりにも突然の出来事に、桐乃は呆然と立ち尽くす。オーガストは突き刺さった槍を掴み、顔をしかめる。黒川は顔色一つ変えずにオーガストと道化の男を見ていた。
「黒川さん……」
「口出し無用ですよ、お嬢さん」
槍から手を離し、道化の男が桐乃をちらっと見てきた。それから清々しい声でオーガストを見下ろしながら口を開く。
「少しは、子供の痛みを知ったほうがいいですよ?」
オーガストは道化の男を睨むように見上げ、歯を食いしばりながら何か言葉を発しようとしたのだが、道化の男は容赦なく槍を勢いよく引き抜き、横に薙いで血を振り払った。壁に飛んだ血がどろりと垂れ、オーガストの顔はさらに苦痛の色で染まった。
「あなたは何も守れちゃいませんよ、オーガスト・フレデリック。何も守れてはいない。家族もダイヤも組織も誇りも、何もかも守れちゃいないのです。あなたは守っていると思いたかっただけですよ。償いたければ、まずは守るべきモノを見つけることです」
呑気に、黒川は挙手をしてから道化の男に話しかける。
「それで満足なのかい?」
「満足というより、ちょっとした憂さ晴らしみたいなものですね。おかげで血の気が治まって、すっきりしましたよ」
「そりゃあ良かった」
黒川の言葉に嬉しそうに黙った道化の男は、満足げに振り返り、桐乃の横を通り過ぎて行く。槍を横一線に振り抜き、扉を引き裂き、破壊する。僅かな星明かりに照らし出された道化の男は深々とお辞儀をし、印象的な赤髪を揺らしながら、暗闇に溶け込むように消えていった。
「幸せ者だな、オーガスト・フレデリック」
呆気に取られていた桐乃だが、はっと我に返って、すぐにオーガストの下へと駆け寄った。テーブルに敷いてあった布を手に取り、オーガストの脚の止血を始める。貫通した傷は痛々しい。
「済まない、お嬢ちゃん」
「謝る相手は私じゃないでしょう」
少し怒っている、と桐乃は自分で思った。きっと、家族絡みだからだ、と自分の家庭環境を思い浮かべ、少しだけ羨ましいと思いながら口を動かす。
「たった一人で耐えてきた彼女に、ちゃんと謝ってください。大事だと、愛していると、そう思っているのであれば、ちゃんと向き合って言葉にして伝えてあげてください。うやむやにして逃げないでください」
手際良く止血を済ませ、ムッとした表情でオーガストを見る。目の前にいるのがマフィアの頭目であることを忘れ、桐乃は言う。
「家族を大切にしてあげてください」
桐乃の言葉に、オーガストは驚いた顔をしてから、申し訳なさそうに頷いた。
「さて、追手が来たようだ」
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