s1 ep16-10

 ハイウェイから離脱し、ぐるりとカーブして一般道に合流すると、辺りはインターの高架と木立以外に何もない暗がりが広がっていた。

 昼間でも見えるのは緑とコンクリートのライトグレー、あとはせいぜい路面のアスファルトの三色くらいしかなさそうな風景だった。

 うらぶれた道路灯が照らす一方通行路から、クルマはすぐに照明すらない脇道へと逸れた。

 左右を木々に囲まれた暗い林道はほどなく未舗装路に変わり、文明社会から遠ざかっていく。市街地や幹線道路と違って、森林に埋没した道路では衛星動画もほとんど意味がない。そこでシステム屋が、壁面ディスプレイのメインをドラレコ映像に切り替えた。

 時折、ヘッドライトの中に忽然と現れる疎らな民家。まるで寝床に潜った獣みたいに、敷地の入口に鼻先を突っ込んで眠るクルマたちのテール。

 それらを掠めつつ進むうち、いつのまにか足もとが舗装路に戻っていた──かと思ったら、いきなりまともな道に出くわした。

 広大な森を切り裂く片側一車線道路。が、そこへ合流することなく斜めに横切り、映像は再び木立の狭間へ。

 それでも今度はさっきまでの、お伽噺に出てくるようなよりはマシだった。舗装されてるし、等間隔に照明も設置されてるし、センターラインまではなくとも対向車とすれ違えるくらいの道幅がある。

 それにしても、どこに向かってるんだろう?

 ヴェロニカ車のコンピュータを乗っ取って誘導してるとかいう話だから、猛スピードで追いかける必要がないってのはわかる。

 けど、そろそろ少しくらい変化があってもいいんじゃないのか。

 かわり映えのしない映像に若干の眠気を覚え始めた中野が──熟睡してるところを叩き起こされたんだから仕方ない──女子陣が淹れ直してくれたコーヒーを啜りながら欠伸を噛み殺したときだ。

 木々の狭間の闇に吸い込まれていくようなカーブを抜けると同時に視界が開け、森の中に佇むシルバーのセダンのテールをカメラがキャッチした。

 次の瞬間、轟音とともに夜空目がけて火柱が走った。

 目映い閃光とオレンジ色、焦げた黒。三つの色彩が入道雲のように膨張して車体を包み、ふわりと浮かせた一瞬後、寸前までクルマだった物体は四方に破片を撒き散らしながら炎の塊をド派手に噴き上げた。

「おっと」

 情報屋の呟き。

 武器商人とエージェント二人が爆発物の種類と火薬の量と起爆の手段についてディスカッションをおっ始め、システム屋はひとり口を開けて画面を見上げていた。

 中野もコーヒーのマグを手に、大掛かりなキャンプファイアを無言で眺めた。

 確かに、そろそろ変化があってもいい頃だとは思ったけど──極端だよな?

 炎の中にチラつくセダンの影。夜空へと舞い昇る火の粉と黒煙。

 現場は妙にぽっかり拓けた場所で、人目を忍んでクルマを燃やすにはうってつけのロケーションに見えた。よくよく目を凝らすと、奥にポツンと立つバス停の案内板みたいなものがある。

 こんな森の中にバス停が? という違和感は、しかし転回場だと思い至れば腑に落ちた。

 確かに、ここに至るまでの道路はバスも通れそうな幅員だった。察するに、ここが路線の始発か終点で方向転換するためのスペースなんだろう。

 静止していたドラレコ画像がゆるゆると動き出し、数メートル進んで停車した。

 坂上がクルマを降りる気配。ほどなく、燃え盛るクルマに歩み寄っていく後ろ姿が映像の中に現れる。

 顔が見えなくたって間違いなかった。背格好、服装、そして何より個性を匂わせない歩き方と佇まい。この一年、中野が生活をともにしてきた同居人以外の何者でもない。

「終わったの……? ねぇ、終わったの?」

 夢でも見ているかのように呟いたヒカルの手を、傍らに立つアンナが無言で引き寄せた。

 中野の隣では、深く息を吐いた新井が久しく──サラリーマンという世を忍ぶ仮の姿のとき以外では──見せることのなかった笑顔を浮かべて、中野の背中を叩いた。

「おめでとう中野。お前も同居人も揃って生き残ったな」

「よし、とにかく祝杯でも挙げるか」

 冨賀が言って部屋を出ていった。

「良かったねぇ中野くん、良かったねぇ!」

 やたら感極まったクリスの声に、中野は小さく首を傾けてみせた。

 そう、良かった。同居人が生き延びてくれて。

 自分が難を逃れたことへの安堵や感慨は不思議なくらい感じなかった。

 そんなことより、衛星動画の不鮮明な拡大画像やドラレコの音声なんかじゃなくリアルタイムで生きて動いてる坂上本人の姿を目にした瞬間の、腰が抜けんばかりの脱力感ときたら。

 正直に言う。膝から崩れそうになるという滑稽極まりない感覚を中野は初めて体験した。

 だけど幸い、みんな画面に集中してたおかげで気取られずに済んだ。

「中野くん、十億ドルもらったら何に使うの?」

 クリスが無邪気な瞳とともに問いを寄越した。

「十億ドル?」

「ほら、お父さんの死後一年目の生存給付金的な?」

「あぁ……」

 ミトロファノフ氏の死から一年経過した時点で中野が彼のもとに召されていなかった場合、馬鹿みたいな大金が転がり込んでくるってヤツだ。

「そういえば、そんな話もあったっけ。とりあえず新井たちの会社への成功報酬かな。確か、1%の成功報酬を払うんだっけ? ところで、燃えてる音がやけにはっきり聞こえるけど、これドラレコの音声なんだよね」

「あ、ううん。これはね、スマホのマイクにアクセスしてるんだよ。Kの電話を盗聴したあとから、もうドラレコの音声は切ってあったんだ」

 へぇ……と呟いた中野の相槌を、アンナの鋭い声が掻き消した。

「見て!」

 彼女が指した壁面ディスプレイで、手前からフラリと現れた人影が坂上のほうへと近づいていくところだった。

 ほんの一瞬、母の可南子が到着したんだと思った。目を離してる間にSUVの後ろにでもクルマを停めて降りてきたんだろう、と。

 だけど後方カメラにクルマは映ってないし、そうでなくても可南子じゃないことはすぐに知れた。

 緩いウェーブを描く赤毛のロングヘア。露出度の高い、身体に張りつくような黒のロングドレス。優雅な裾捌きで歩を進める足もとは、武器商人のブーツに負けず劣らずのピンヒール。しかしその足取りは、ややぎこちなく引き摺るような感じに見える。

 あの靴は絶対脱いだほうがいい──中野が思うと同時にヒカルが戸惑いを漏らした。

「ちょ、え? ゾンビ……?」

 終わったと思った映画のエンドロールを流しっぱなしにしてたら続きがあることに気づいた、そんな口ぶりだった。

 ゾンビの気配を嗅ぎ取ったのか、キャンプファイアを見つめていた主人公──同居人が振り返る。遠目ながらもようやく拝むことのできた顔には驚きの色もなく、平素の無表情とさほど変わらない。

 が、彼の右手がチラリと動くと同時に女が鋭く何か言った。

 同時通訳を起動するよ! とクリスが機敏にキーボードを叩き始めた。どうやら、さっきのとは別のシステムがあるようだ。その間にも小ぶりの拳銃を手にしたヴェロニカがまた何事か言い、坂上がゆっくりと挙げた両手を頭の後ろで組んだ。

 部屋の外から戻ってきた冨賀が事態を察して、険しい面構えで手近な机にドン! とボトルビールのケースを置いた。

「どういうことだよ!?」

 詰問口調を投げつけられたって、まだ誰にもわからない。その事実を誰かが口にする前に同時通訳システムとやらが作動した。

 やや鼻にかかったハスキーなロシア語が、良好なレスポンスで無機質な合成ボイスの日本語に変換され始める。

「全く、ふざけたことをしてくれたものね。ラジコン遊びにしては高価すぎる玩具じゃないかしら? 私は運転する手間が省けたけど、どうせビーチに連れてこられるなら夏がいいわ。それにドアも窓も開かないクルマじゃ降りることもできなくて、せっかくのバカンスを楽しめないじゃないの」

 このセリフでわかったことが二つあった。ひとつは海の近くらしいこと。バス停はビーチを訪れる海水浴客向けの路線なのかもしれない。

 もうひとつは、コンピュータを乗っ取られたセナートはドアや窓もロックされてたってことだ。

 なのに、クルマが爆破される前にどうやって降りたんだろう?

 疑問に思った直後、坂上が同じことを口にした。

「──どうやって出たんだ?」

 通訳システムを介したセリフ回しは、ちゃんと性的区別がされていた。

 女の声ってのがちぐはぐな印象を与えるけど、同居人が女言葉で喋るのを聞かされるよりはまだマシな気がするし、それこそ、どうやって認識してるんだ? とでも訊いてみたいほどの高性能だ。

「どうやってクルマを降りたのかって? それは秘密よ。何もかも明かしてしまったら考える楽しみがなくなるでしょう?」

「──」

「でも、代わりにいいことを教えてあげる。今夜ノゥリは爆弾で吹っ飛んだわ、K。貴方がナカノサカウエに築いたお城ごとね」

 坂上の反応はなかった。

 残念ね生きてるわよ! とヒカルが画面に向かって中指を突き立てたけど、遠い異国までは届かない。

「賞金稼ぎたちの度重なる失態に業を煮やした私が自ら手を下すことにして、前祝いのパーティを終えたら日本へ発つ──っていうを、うっかり聞かれてしまったのかしら? だから今夜のうちに私を始末すればノゥリの身は安泰だとでも思ってた? 見くびってもらっちゃ困るわね、私にもそれくらいの工作をしてくれるお友達はいるのよ?」

 こういうタイプは久しぶりだった。

 自信と自意識が過剰で、当たり前のように鉄砲を振り翳し、取り澄ました口ぶりで訊かれてもないことまでよく喋る女。

 クソ、と情報屋が忌々しげに吐き捨てた。

「どんな手を使いやがったんだ? ヴェロニカが日本にくるなんて情報、こっちには漏れてこなかったぜ」

「けどソイツを拾えなかったからこそ、今夜何かあるって警戒して中野や俺が移動したわけだから、その点は結果オーライなんじゃないか?」

 フォローしたエージェントの言うことはもっともで、情報屋の反論はなかった。つくづくいいコンビだと言ってやりたいところだけど、今はそんなときじゃない。

「顔色も変えないのは、ハッタリだと思ってるから?」

 余裕たっぷりの口ぶりで通訳システムの女が言う。

「疑いたいのも無理はないけど、残念ね。ノゥリとガードがお城に入ったきり出てないのをちゃあんと確認した上で木っ端微塵にしてやったわ。貴方の夢でも見てるところを邪魔しちゃったかもしれないけど、仕方ないわよね? あんな廃墟みたいなジャパニーズレストランをメンテナンスもせずに放置してるんだもの、が起きたって不思議はないんじゃないかしら」

「──」

「嘘だと思うなら、ノゥリに電話して確かめてごらんなさい?」

 ごらんなさい? とは、これまた随分と高性能なシステムにそぐわない時代錯誤なボキャブラリィじゃないか? 中野が思った直後、元カノが野次を飛ばした。

「そうよ、電話させてごらんなさいよ! そんで鳩の豆鉄砲を喰らうがいいわ、このクソビッチ!」

 豆鉄砲を喰らうのが鳩だ、ヒカル──

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