S1 Episode13 再会

s1 ep13-1

 中野の部屋に棲みついて、ともに地底の住人となった同居人の素性が、つい先日ようやく明らかになった。

 ただ、知ったからと言って何かが変わったわけでもない。

 中野は相変わらず同僚の新井やヒカルに見張られ──否、守られながらリーマン生活を送り、相変わらず口数も表情も乏しい同居人とともに、相も変わらずボトルビール片手に海外ドラマを眺める日々だ。

 強いて変化を挙げるとすれば、近所に引っ越してきたらしい新井が出勤退勤の毎朝毎晩、小学生の登下校みたいに玄関前まで送迎するようになったことと、当面の休業を決めたらしい同居人が行方をくらまさなくなったことくらいだろうか。

 だけどそれらは別に、坂上の素性が明かされたことによる変化じゃない。

 つまり、知ったからと言って何かが変わったわけでは、やっぱりない。

 拍子抜けするほど代わり映えのない中、坂上がこんな問いを寄越したのだって、あれから数日経ってようやくのことだった。

「こないだ訊きそびれたんだけど」

 テーブルでビールを傾けつつ、もはや日課のように犯罪捜査モノの海外ドラマを漫然と眺めていると、本日二丁目の鉄砲を分解中だった同居人が唐突にこう言った。

「あんた、いつから中野なんて苗字になったんだ? 隣に住んでたときは違う名前だったよな」

「あれ?」

 中野は、ボトルを口に運びかけていた手を止めた。

 今日のビールはミラー・ドラフト。日中、配達のついでだとか言って立ち寄った冨賀が置いていったらしい。

 坂上の休業で接触する機会が減ったためだろうか、情報屋が家にまでやってくるのは珍しいことだった。まさか真昼の団地妻みたいな顛末はないと信じてはいるけど、念のため坂上に尋ねたら無言の一瞥だけが返ってきた。

「苗字って……あぁ。もう知ってんのかと思ってたけど、知らないんだ?」

「冨賀に調べさせたけどわからなかった」

「情報屋でもわかんないことがあるんだね」

「アイツにも得手不得手はある」

 言葉だけならフォローしてるようにも聞こえるけど、素っ気ない口ぶりはそんな感じでもない。

「ひとつ訊いていい? 彼はあんたに対してあんなに盲目なのに、なんで扱いがぞんざいなわけ?」

「別に。昔、ちょっとな」

「昔ちょっと、何?」

「今、質問してたのは俺だ」

「まぁそうなんだけどさ、そういうはぐらかし方されたら余計に気になるよ。今はともかく昔ちょっと、痴情の縺れなんかがあったわけじゃないよね?」

 言い終わらないうちに、まだバラされてない三丁目の鉄砲を同居人の指が素早く引き寄せていた。黒光りする銃身の先端に覗く暗い穴が、間髪入れず中野を見つめてピタリと静止する。

「撃たないってわかってるよ」

「あんたを誤射しちまったら、俺のこめかみも撃つ」

「そっか、誤射なら仕方ないね。でも、あんたのこめかみを撃たれるのは困るな」

「あいつとは信用ならねぇ出会い方をして、今それについて話したい気分じゃないってだけだ。痴情の縺れなんて冗談でもやめてくれねぇか」

「何だっけ、俺の苗字が変わった話?」

 何事もなかったかのように中野が軌道を戻すと、銃口も大人しく引っ込んだ。

「だけど酒屋じゃなくたって、あの彼、ダミアンでもわかんないかもしれないね。俺と母親の死亡説もカラクリがわかってないみたいだったし……まぁそんな偽装工作、俺だって知らなかったけどさ。でも、苗字が変わったことと無関係じゃない気はするよね」

 坂上親子──本当は坂上でもなければ親子でもないけど、便宜上──の隣家を引き払ったあと、中野は母親の弟である叔父のもとに預けられた。

 と同時に、名前を変えたほうが安全だと言われて叔父の養子となり、母は事情があって一緒にいられないと言い残し、姿を消した。

 その事情とやらは尋ねなかった。いちいち訊かなくたって何かヤバい事態なんだろうとは察しがついたし、それだけわかっていれば十分だったからだ。詳細なんか知ろうが知るまいが、中学生になったばかりの身には、どうせ他の選択肢なんか存在しない。

 以来、母は忘れた頃に現れてはまた姿を消すという不審な動きを何度か繰り返し、中野が中学三年生の冬に事故死の報せが届いた。進学先も決まり、卒業が間近に迫った二月の出来事だった。

「何もかもが当時の俺にはよくわからなかったんだけど、今回ようやく腑に落ちたよ」

 得心を頷きで示した中野がビールを呷ると、銃のスライドを手にした坂上が、自分こそ腑に落ちないといった風情を眉間に刻んだ。

「事故死って、何だったんだ」

「詳しいことは知らないけど、なんか東欧か中欧のどっかで交通事故に遭ったとかで、遺灰になって帰ってきたんだよね」

「おかしいと思わなかったのか?」

「うん、そりゃあ普通じゃないとは思ったけど。でも、それまでも普通じゃないことだらけだったし、叔父さんも何も教えてくれなかったしね。俺に言わないってことは、知らせたくない理由があるわけだからさ。じゃあ、知る必要ないかなって」

「そう思うあんたも普通じゃない」

 引き抜いたピンやスプリングをテーブル上で神経質に配置しながら、坂上が呟いた。

 しかし銃の分解、それもメンテナンス目的のフィールドストリップじゃなく単なる趣味としての精密分解が大好きな同居人だって、中野から見れば十分普通じゃない。

 が、ありがちな疑問を呈するなら『普通』の定義とは?

 単純に、一定の範囲内におけるマジョリティやらマイノリティやらという括りで測れば済む話なのか。なら、普通じゃないヤツだらけのこの環境においては、もはや彼らこそがスタンダードってことになる。

 要するに確かなことは唯ひとつ、世の中の基準ってのは常に相対的なものであるという原理だ。だから母の死の真相を知ろうとしなかった中野だって、必ずしも普通じゃないってわけじゃないだろう。

 坂上が言った。

「あんたの母親は結婚してたわけでもないのに、叔父さんと苗字が違ってたのはどうしてなんだ?」

 尋ねた坂上の目を無言で数秒見返していると、やがてそこに怪訝の色が浮かび上がってきた。

「何……?」

「うん、そうやっていろいろ訊かれるとさ、興味を持ってくれてる感じがして嬉しいなぁってね」

 途端に逸れていった眼差しと跳ね返ってきた沈黙は、中野の自惚れでさえなければ、こんな意味を孕んでるように思えた──興味がないわけじゃない、今まで訊けなかっただけだ、と。

 気持ちを言葉に乗せるのが苦手な相変わらずの表情に、自然と頬が弛んでしまう。中野は目を細めて同居人を見つめ、質問の答えを返した。

「彼らの苗字が違うのは、子供の頃に両親が離婚して別々に引き取られたからだって聞いてたよ。でも、こうなってくるとわかんないよね。俺は、おじいちゃんおばあちゃんには一度も会ったことがないし、叔父さんに会ったのだって預けられたときが初めてだったんだ。これで叔父さんが実の叔父さんじゃなかったとか、母親が本当は事故死じゃなかったとか言われても、もう驚かないね」

「あんた今まで生きてきて、驚いたことなんかあるのか?」

「え? やだな。こないだの話だって、どれもビックリしたよ?」

「──」

「ほんとだってば」

 ただし一番驚いたのは、同居人の年齢が詐称じゃなかった点だった、という事実は口に出さない。

 坂上は無言のまま、背凭れに背中を預けてボトルビールを口に運んだ。銃はまだまだ分解しかけだけど、珍しくやる気を失ったような顔に見える。

 不意にテレビが騒々しくなった。目を遣ると、だだっ広くて薄暗い倉庫の中でFBIとテロリストグループのドンパチが始まっていた。

 常識的に考えたら間違いなく撃たれてるような局面でも、何故か主人公をはじめとするメインキャラにだけは当たらないのが鉄則だ。

 でもそれならそれで、もうちょっとそれっぽい演出にすればいいのにな……? 銃撃戦のたびに燻るモヤモヤ感とともに眺めていたら、同じく画面の明滅に目を投げたまま、坂上がポツリと声を漏らした。

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