s1 ep10-5

 数日後、中野が仕事帰りにたまたま一緒になったヒカルと二人で、駅に向かって歩いていたときのことだ。

 隣で不意に表情を引き締めた彼女が、最小限の声で素早く言った。

「尾けられてるわね」

「え、そう?」

「周りは見ないで、私の言う通りにして」

 そしてヒカルに促されるまま、パチンコ屋に入って裏通り側の出入口から出て、斜向かいのファストフードに入って路地側の出入口から出た。

 続いて角を何度か折れて、店をいくつか出入りして通りを幾筋か移り、ラブホに入ってまた裏口から出るのかと思いきや、時間をかけて部屋を選ぶフリだけしたあと、お気に入りの部屋が空いてなかったカップル風情を装い、入ってきた入口から外の気配を窺いつつ滑り出て、何食わぬ素振りで歩き始めた直後に事態は訪れた。

 隣に並んでたヒカルの気配が後方に流れ、歩みを止めたのだ、と頭の隅で察すると同時に振り返った中野の目の前に、こちらを向いたまま立ち尽くす彼女の硬い表情と──

「こんにちは中野さん、こないだはどうも」

 ヒカルの後ろから艶然と投げかけてくる、武器商人のアンナの笑顔があった。

 今日は細身のジーンズに長い脚を包んだラフなスタイルだった。が、足元のヒールは相変わらず高く、大きく開いた白シャツから覗くカットソーの胸元も相変わらずの立体感で、シンプルなファッションに圧倒的なコントラストを加えている。

「知り合いなの?」

 ヒカルの探るような目が背後の気配と中野を往復した。

 中野が答える前に、ヒカルの背中に押し付けていたらしい銃をアンナが収め、入れ替わりにヒカルが素早く腰の後ろに手を回しかけた。

「彼の仕事仲間だよ」

 そう声を投げると、何もかもが小振りな造作の元カノは中野の顔から背後のグラマラス美女へ視線をシフトし、彼女の胸元のボリューム感を見て眼差しを険しくした。

「Kの仲間──?」

「仲間っていうか、正確には取引相手と言うべきかしら」

 アンナがセクシィに弛めた眼差しでヒカルを覗き込む。

「ごめんなさいね、悪気はなかったの。だけど真剣な顔も可愛いかったわぁ、落合亜季良さん」

「か、可愛い? 馬鹿にしてんの? ていうか、なんで名前……」

 疑問符だらけの顔を振り向けられた中野は、無言で首を横に振った。自分が教えたわけじゃない、という意思表示だ。代わりにアンナ本人が答えた。

「中野さんじゃないわよ。情報を売ってカネ儲けしてるロクでもないヤツがいてね、ソイツから聞いたってわけ」

 ロクでもないという部分に中野は胸の裡で賛同し、そして思った。こんなにも積極的にネガティヴな対人感情を抱くのは、記憶にある限り初めてかもしれない。

「私はアンナ、よろしくね。あなたも腰の後ろに差してるような商品を扱う商売人よ」

「あなたが? じゃあ、Kの商売道具を調達してるの?」

 そうよ、と応じたアンナがヒカルの頬に指を滑らせたかと思いきや、たっぷり官能を孕んだ囁きを耳元に吹き込むのが中野にも聞こえてきた。

「今度二人っきりで、武器と格闘についてひと晩中語り明かさない?」

 女子ともあろう者が、一体どんな口説き文句だろうか。

 が、眦を吊り上げたヒカルの唇からは、意外なことに拒絶の言葉が飛び出してきたりはしなかった。まさか、武器について語り合う魅力に抗いかねてでもいるのか。

 反応に窮するエージェントに武器商人が満足げな笑みを投げかけ、ジーンズの腰から抜いた小振りの鉄砲の銃把を差し出した。

「こないだ入ったばっかりの新製品。お近づきの印に、あげるわ」

 手の中に押し付けられた真新しい拳銃の艶めくシルバーに、ヒカルの目が釘付けになる。

「私好みに調整済みよ。それを気に入ってくれたら、私たち、きっとすごく相性いいわよね」

「な──何言ってんの? こ、こんなもので釣られるような安い女じゃないんだから私……!」

「そんな物言いもたまんないわぁ」

 じゃあ、またね。余裕たっぷりに言って背を向けかけたアンナは、何かを思い出したように振り返った。

「そうだ中野さん。こないだのKの仕事、上手くいったみたいね。延期になったときは酒屋が相当ご機嫌斜めだったけど、まぁ何事も終わり良ければ、よね」

 極めて魅惑的なウィンク付きで締め括って今度こそ彼女が立ち去ると、ヒカルが刺々しい口調をぶつけてきた。

「酒屋って誰よ」

 その顔には、一体どの感情を前面に出すべきか選びかねてでもいるような苛立ちが滲み出ていた。

「情報を売ってカネ儲けしてるロクでもないヤツだよ。それよりヒカル、何さっきのツンデレ──」

 言いかけた途端、一歩詰め寄ったヒカルが腹に銃口を捩じ込んできた。さっき手に入れたばかりの新製品だ。

「それ以上何か言ったら撃つわよっ」

「あれ、何が何でも俺を生かすのが仕事だよね?」

 すると間髪を容れず、舌打ちとともに憎々しげな悪態が返った。

「何よ、どいつもこいつも馬鹿にしてくれちゃって! くたばれ……!」

 捨て台詞を吐いたヒカルは、それでももらったものはちゃっかりバッグに仕舞い、ヒールの音を荒々しく響かせて中野の前から立ち去った。

 何がそんなに気に障ったのかは全くわからない。女の子扱いされたことか、胸のサイズか、それとも他に何か刺激したポイントでもあったのか。

 が、ひとつ確かなことが中野にはあった。

 ヒカルと出会って以来初めて、彼女を女子として可愛いと本気で思えたことだ。

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