s1 ep9-3

 きっと今後、この部屋を使うたびに中野は今日のことを思い出すだろう。ネクタイを締めた同居人と会議用テーブルの上で没頭したセックスを。

 中野はシックな木目調の天板に何気なく目を滑らせ、縁の角丸の径を見るともなく眺めて、坂上の右手が彼の頭上に伸びるのを視界の隅に感じた。

「──待て……」

 切羽詰まった声を漏らした坂上が、左腕で中野の頭を乱暴に掻き抱く。と同時にビジネスバッグに載っていた鉄砲を右手が引き寄せ、グリップしたソイツを出入口に真っ直ぐ向けるのがわかった。

 つられて振り向けた視線の先では、受付嬢の制服に身を包んだ見知らぬ女が小ぶりの拳銃を構えて、まるで不意討ちでも喰らったかのような顔で立ち尽くしていた。

 濡れ場に乱入されたのはこっちなのに、何故彼女のほうが豆鉄砲に見舞われた鳩みたいな顔をしてるんだろう?

「あ──え?」

 そんな戸惑いの声まで聞こえた直後、間近で弾けた銃声に中野はハッと我に返った。

 彼女も同じだったかもしれない。が、おそらく自覚する間もなく女は崩れ落ち、すかさず続いた二発目で完全に動かなくなった。

 どうして、ドアの隙間からこっそり撃ったりせずに開けてしまったんだろうか。

 角度的に折り重なって見えたとしても狙えなかったはずはないし、そもそもターゲットである中野が上にいたんだから簡単に撃ち抜けたと思う。

 だけど彼女の失敗を招いたものが何だったのか尋ねる機会は永遠に失われ、知る術のないことを考えるなんて無意味なだけだった。

 とにかく、これで一件落着だ。

 安易に片づけようとした中野と違い、同居人はそうじゃなかったらしい。手のひらで押し返されて素直に身体を起こすと、テーブルから降りた坂上が偽の受付嬢に近づいてダメ押しの一発を側頭部に撃ち込んだ。

 ひょっとしたら、前のアパートでの失敗を繰り返さないための用心なのかもしれない。最初のドンパチのとき、死に損ないの侵入者が中野を撃とうとしたところに彼が戻ってきた……という経緯があった。

 シャツ一枚、剥き出しの下半身に黒い靴下だけを履いた坂上は、格好だけなら滑稽なはずなのに、手の先に黒光りする鉄砲をぶら下げた後ろ姿が研ぎ澄まされた殺気のようなものを纏っていて笑えるどころじゃない。

 肩幅に開いて立つ形の良い二本の脚と、その向こうに横たわる女、それからカーペットに流れ出る血液を眺めて、中野は少し己の内側に目を向けてみた。

 やっぱり、何も感じない。

 死体や血液を目にしても、せいぜいシュルレアリスムの芸術作品でも鑑賞してるくらいの気分でしかない。

 初めて坂上の素性を垣間見た夜、何故そんなに落ち着いてるんだ? と訊かれた記憶がある。もしかしたら質問じゃなかったかもしれないけど、その問いは中野自身も知りたいことだった。

 いわゆる喜怒哀楽は、一般的な範疇から逸脱しない程度には備わってると思ってる。だけど標準よりは少なめなんだろうし、直面する出来事が大きければ大きいほど、それらは機能しなくなる。殊に人の生死が絡むレベルともなれば、全ての感情が一斉に寝床に引き揚げて狸寝入りを決め込む。

 そんなとき、中野は脳内のヤツらに問いかけてみる。本当は起きてるんだろう? と。

 だけど彼らは素知らぬ風情を貫くだけで一向に相手にしてくれない。そこにはあらゆる情動が集合してるというのに、どれもが皆、他人事みたいに息を潜めて同じ反応を示す。そのレスポンスコードを返すのは自分の役割じゃない、と。

 平たく言えば、死体に動揺するような感情が自分の中には存在しないらしい。が、それは欠如や異常じゃなくて単なる脳機能の傾向だ。その特性が原因で罪を犯すなら話は別だけど、そうじゃない限りは病名のラベルを貼られてカテゴライズされるなんて真っ平ご免だった。

 制服のスカートから伸びる弛緩した女の脚を見るともなく眺めて、中野はゆっくりと瞬いた。

「来るのは外注業者なんじゃなかったっけ。彼女、受付にいたよ?」

「与えられる情報がいつでも正確だとは限らない」

「ていうか、この国の女子ってさ、一体どうなってるわけ?」

「この国どころか人類に限らず、生き物ってのは本質的に雌のほうが強靱で容赦なくできてるからな」

 なるほど、それもそうだ。

「ところで彼女がここまで来たってことは、もしかしてヒカルたち、やられちゃったのかな」

「それは何とも言えない」

 ついさっきまで眼差しを淫らに霞ませてたくせに、今や完全なる平坦さで坂上は言い、声と同じくらい静かな目を投げて寄越した。

「心配か?」

 そう訊かれなければ、例え未練がましい思いに駆られようとも、中断を余儀なくされた行為を諦めて着衣を整えたはずだ。そもそも、会社という聖域で及ぶことが許される行為じゃないのは百も承知だった。

 が、心配かと尋ねた表情が孕むコミュ障な色合いを目にした途端、謙虚な気持ちは一瞬で吹き飛んだ。

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