s1 ep5-3
あそこで帰る肚を括ったというのに、何故こんなところにいるのか。
無駄にコジャレた単身向けデザイナーズマンションの一室で、中野はやたら少女趣味なインテリアを見回して溜め息を吐いた。
目の前のソファには、部屋のコンセプトにまるで似つかわしくないオッサンが転がってる。ここは上司が家賃を払ってる愛人の自宅だった。
詳しい経緯は、何ら楽しくもないから端折る。簡単に言えば、引き留められて帰れずにいるうちに上司が酔い潰れ、何故か中野が愛人ともどもタクシーに同乗させられて、一緒にオッサンを運んできたというわけだ。
とにかく、これでようやくお役ご免となった。帰宅するなりどこかのドアに引っ込んだ愛人の姿が見当たらないけど、知ったこっちゃない。
声を掛けて帰る義理も別にないから黙って玄関に向かいかけたそのとき、不意に行く手にするりと女が立ち塞がった。
「もう帰っちゃうの?」
そう言いながら近づいてきて身体が触れ合うほど間近に立った女は、レースをあしらったシルクのローブ姿。色はベビーピンクで呆れるほど丈が短く、しかも腰の紐を結んでるだけの布一枚の下には、どうやら何も着けていない。
大胆に覗く谷間を存分に見せつけながら擦り寄ってきた上司の愛人は、ベビーピンクを着るにはちょっと大人びてるのでは……と内心思ったが、本人の勝手だからわざわざ口には出すことはしなかった。
「もう用事は済んだからね」
「そんな冷たいこと言わないで。あの人ったらすっかり寝ちゃってるし、ね? 話し相手がいなくて寂しいのよ」
「叩き起こそうか、彼」
「ううん。私、今夜はあなたと過ごしたいの」
「まずはシャワーを浴びたら?」
そう勧めたのは香水臭くて堪らなかったからに他ならない。
だから別の解釈をしたらしい女の「一緒にどう?」なんて誘いに乗るわけもなかったし、固辞されて諦めた彼女が「じゃあ、寝室で待ってて」なんて艶めかしさたっぷりに囁いてバスルームへ消えると、中野は靴を履いて玄関を出た。
今夜はとんだ災厄だった。それでも家に帰れば坂上がいると思ったら、くだらない出来事もみんな忘れられそうな気がした。
マンションをあとにした中野が、タクシーを拾うために大通り目指して歩き出し、いくらも進まない頃だ。後ろから近づいてきたヘッドライトが中野の横に並び、速度を落としたクルマの窓がすうっと開いた。
「ナカノさん、お疲れさまぁ」
顔を覗かせたのは、さっきのクラブで左側に貼りついていた女だった。
店での露出度の高さは既にない。黒っぽいパーカーを羽織り、髪も後ろで無造作に纏めている。ただし化粧と香水の匂いだけは変わらない。
中野は運転席にいる男に目を投げた。こんな顔のウェイターを店で見た気がするけど、定かではなかった。
「そのクルマ、安全基準改正前のモデルかな。静かすぎて歩行者が危ないよね」
「気になるのはそこなの?」
「どこを気にすれば満足すんの?」
「これならどうかしら」
セリフとともに登場したのは、もうすっかり見慣れてしまったアイテム──携帯に便利なサイズの鉄砲だった。先っぽに大袈裟な筒状のオプションがくっついてるのは、
「乗って」
促されて素直に従ったのは、向けられた銃口に恐れをなしたからじゃない。もし本気でトリガーを引く気が彼女になかったとしても、事故が起こらないとは限らないからだった。坂上に別れの挨拶もしないうちに、うっかり撃たれるわけにはいかない。何ごとも命あっての物種だ。
リアドアを開けて身体を滑り込ませると、海外ドラマでしかお目にかかったことのないハードなフェンス状のディバイダーが前部座席との間を仕切っていた。
「で? どこに行くのかな」
「それは着いてのお楽しみよ」
「ところで訊いてもいい? なんでみんな銃持ってんの?」
「入手経路を知りたいのかしら。残念ね、そう簡単に明かせるとでも思ってるの?」
「いや俺が知りたいのは、銃じゃなくて刃物の人はいないのかなってこと。こんなに銃を持った女子ばっかり次々と現れたら、他の武器はないのかなって疑問をおぼえるよね」
ただまぁ、刃物を構えた女子が次々現れたところで大差はない。
「──女子が次々?」
フェンスの向こうから女の目が流れてきた。
「どんな女子たちなの?」
「そうだな、セクシィなお姉さんとかね」
「私以外に?」
運転席の男が鼻で笑ったようだけどコメントはなかった。
「そう、君以外にもね」
例として、バーで出くわしたロイヤル・ハウスホールドの女の特徴をかいつまんで聞かせると、前の二人はチラリと視線を交わした。が、運転席の男は坂上と同じくらい寡黙らしく、今度も口を開いたのは女のほうだった。
「あの女、最近見ないと思ってたら消されたの?」
「消されたってのは、どういう意味かな」
「とぼけたって駄目。あなたがあの女と会って、なのにこうして自由の身でいるってことは、彼に消されたんでしょ?」
「彼って?」
「だから、とぼけたって駄目。彼は……」
だから彼よ、という呟きに異変を感じた中野は、彼女の目線を追って前方に目を向けた。
深夜の閑散とした車道のど真ん中に歩行者の姿が見えた。──が、正確には歩行者とは言えない。何故なら、その人物はショットガン風の銃を真っ直ぐこちら向きに構え、クルマを避ける素振りもなく立ち塞がっていたからだ。
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