s1 ep4-3
何かの物音で覚醒した気がしたものの、目を開けても耳を澄ませても何の気配もなかった。
それでも違和感を覚えて起き上がった中野は、暗がりに凝らした目を疑った。
押入れの襖の端が、ほんの数センチ開いている。
布団から跳ね起きて隣の部屋を覗くと、ベッドにヒカルの姿がない。
荷物はある。玄関のパンプスもある。ドアチェーンは外れてない。トイレの灯りは点いてない。念のため開けてみても、便器を抱えて這い蹲っていたりもしない。風呂場も無人。
まさか深夜の探検で隠し階段を発見して、冒険ごっこでもしに行ったのか?
だけど一階に降りたって、地下へと下る階段はまた別の場所、定食屋のレジの背後にある扉の中だ。いくら何でも、そこまで迷い込むことはないはず──本気の冒険ごっこさえしなければ。
ところが、下の『いずみ食堂』まで降りてみても、店内のどこにもヒカルの姿はない。じゃあ逆に、上に行ったんだろうか?
階段は二階で一旦、踊り場──というより、ちょっとした廊下のように平らな部分が続いて上階の押入れの下を通り抜け、3メートルほど先から再び上昇をはじめて、終点の隠し扉から三階の外廊下に出ることになる。オートロックだから一旦出てしまったら鍵がない限り戻れないけど、外階段を使って下に降りられるし、屋上にも行ける。
とにかく、しばらく経てば逆ギレしたヒカルが、二階の玄関の外から「開けてくれ」と要求してくるかもしれない。いずれにせよ、隠し階段が知れただけなら何とかごまかしようはある。
そこで、先に地下の様子を確認することにした。同居人が起きていれば一緒にビールの一本でも飲んでいきたいところだけど、ちょっとだけ覗いて戻るのが無難だろう。
──が。
レジの後ろの扉をそっと開閉して階段を下り、重たい防音扉を押し開けた刹那、鼓膜を叩きつけた音に中野は事態を悟った。
それはまさしく、ここ数カ月で耳慣れてしまった銃声だった。
部屋が明るければ、坂上の射撃訓練だと一瞬の勘違いくらいはできたかもしれない。でも灯りを落とした薄暗い室内から、明らかに二丁以上の撃ち合いらしきリズムが断続的に聞こえてくるとなれば、残念ながら冒険ごっこどころかハードな銃撃戦が繰り広げられてることは疑いようがなかった。
どういうことだ──?
中野はしばし、防音扉の前で立ち尽くした。
単純に考えれば中にいるのは坂上とヒカルで、つまり彼らが互いに撃ち合ってるってことになる。
でもヒカルが何故──?
が、いずれにせよ丸腰の中野自身は、すぐにここから出て扉を閉じるべきだ。そう頭の隅でわかってはいても、あまりの現実味のなさと駆け巡る疑問符のせいで正常な判断力が失われていた。
暗闇に明滅するマズルフラッシュ。放出される高圧ガスの一瞬の爆発音。エジェクターに押されてブリーチフェイスから引き剥がされ、弾き出される空薬莢、床に落ちて跳ね返る真鍮たち──スローモーションで脳内を駆けて行くそれらは、銃に造詣の深くない中野のイメージだから、どこか嘘臭くなってしまうのは仕方ない。
ちなみに、咄嗟にいくつか浮かんだBGMのうち、中野的にはエヴァネッセンス『Bring Me To Life』の旋律が最もマッチした。一応、女子がいるせいだろうか。脳内にある他の候補は全て男性ヴォーカルだった。
ただ、奇しくもタイトルそのままに終始歌詞が請い続ける「私を生き返らせて」というメッセージは、ヒカルというよりむしろ坂上の内側に閉じ込められた何かを窺わせるものがあるようにも思えた。
が、すぐにそんな当て推量は少女趣味の幻聴みたいなものだと思考を改める。
少なくとも、坂上からそんなことを求められてはいない。求めてないとも限らないけど、いずれにしろ残念なことに中野は知らない。今のところ。
坂上が請いさえすればいつでも、何であろうと、いくらでも望みどおりにしてやるというのに──中野がどうにかできることなら。
のんきに考えながらドンパチを傍観していた中野が、思いのほか近い場所に着弾したのを不意に感じ取った、次の瞬間。
不意に右半身のどこかに灼けるような痛みが走り、中野は思わず声を上げていた。
「──いっ、て!」
途端にピタリと銃声が止んだ。
「中野!?」
「ミナト!?」
暗がりの中で異口異音が完全にハモった直後、一発の銃声が弾けるのを聞いて、坂上が撃たれたんじゃないかという戦慄に心臓が跳ね上がり、凍りついた。
だから部屋の灯りが点いて、ダイニングテーブルの向こうに立つ同居人を目にしたとき、それはもう死ぬほどホッとした。止まりそうになった心臓が再起動したのに「死ぬほど」ってのもおかしな表現だけど、とにかく肚の底から安堵した。
彼は椅子の足もとに落ちていた銀色の鉄砲を拾い上げ、大股で近づいてきた。弛緩した中野とは対照的に、その顔は硬く緊張を孕んでいた。
「どこに被弾したんだ」
鋭く問われて痛む場所を探すと、Tシャツの右袖が少し裂けて血が滲んでるのを発見した。幸い、全然大した傷じゃなさそうだ。
「ちょっと掠ったくらいだよ。壁で跳ねたヤツが飛んできたんじゃないかな。ところで一応訊くけど、二人で仲良く射撃訓練やってたわけじゃないよね?」
坂上は答える代わりに、慎重な手つきで中野の肘に触れた。その指先から微かな震えが伝わってきた気がして、中野は彼の顔を見た。見ようとした。
しかし俯き加減の表情を覗うことは叶わず、こちらを向かせようと頬に手を伸ばした刹那、どこからか女子の怒号が飛んできた。
「ちょっと! イチャついてないで、殺す気がないんなら手当てでもしてよねっ!」
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