s1 ep4-2
堂々巡りの予感に胸の裡で舌打ちしたときだ。何の前触れもなく玄関のドアが開いて、中野とヒカルは同時に目を向けた。
ノブに手をかけた坂上が
黒い無地のTシャツにヴィンテージブルーのデニム。珍しくビールはなく、手ぶら。ちょっと散歩に出て戻ったかのような同居人は、肚の裡を嗅ぎ取らせない面構えでこちらの二人を素早く目で舐めた。
おかえり……と言いかけて、中野は声を引っ込めた。同居人の存在をヒカルに知られるのは得策じゃない気がしたからだ。
結果、最初に口をひらいたのは彼女だった。
「お友だち?」
「うん……まぁ」
「わぁ、こんにちは! 今はただの知人に過ぎない、ミナトの元カノでぇす」
ヒカルが愛嬌たっぷりに挨拶を投げると、坂上は無言の会釈だけ返してチラリと中野を見た。
「また出直す」
「でも……」
「邪魔すると悪ィから」
そう言うと、坂上はさっさと消えてしまった。
せっかく帰ってきたのに──未練がましくドアを見つめる中野の頬に、邪魔者が能天気な声をぶつけてきた。
「悪いことしちゃった?」
「そうだね」
「あんな若い友だちがいるんだ?」
「いくつに見えたんだ?」
「まだ二十代だよね」
「もう三十にはなってる」
自称だけど。
ふぅん? と相槌を打ったヒカルは、早々に興味が薄れた様子で口調を変えた。
「それより、お腹空いたなぁ。ミナトはごはん食べたの?」
「いや……」
「何か作ろっか?」
「ありがた迷惑だし、ほぼ外食だからまともな食材なんかないよ」
幸い冷蔵庫の中には、地下で入りきらなかったものを入れてある。ビールや調味料だらけなのは多少不自然だとしても、まるっきり空だというよりはマシだろう。
「じゃあさ、食べに行こうよ。泊めてもらうお礼に奢るから」
「いや泊めないけど?」
「だって、もうこんな時間だし。この期に及んで女子をひとりで放り出したりしないわよね?」
中野は溜め息を吐いた。
ひと晩くらい、どうにかなるか。坂上にはあとで連絡を入れておこう──
何もかも気乗りしなかったけど、腹は減ってたから諦めて食事に出かけた。ただし下手に借りを作ると後々どんな取引材料にされるかわからないから、奢られるのは断じて遠慮する。
一階の廃店のせいで定食の気分になったというヒカルの希望により、駅近の店まで行ってメシを食い、帰りは少し回り道して銭湯に立ち寄った。
二階の古臭いバスルームも使えるけど、中野の入浴中に部屋の中を探検されたりしては困る。だから風呂の調子が悪いと嘘を吐いた。嘘というか方便だ。
銭湯の脱衣所から、中野は坂上に電話をかけた。
状況を告げると、だったら今のうちに部屋に入って地下に潜ると坂上は言った。
「そうか、良かった」
「もう連絡は必要ない」
「一生って意味じゃないよね」
「何言ってんだ?」
電話はそのまま切れた。
帰宅後、ヒカルはようやく取り澄ましたワンピースから部屋着に着替えた。しかしこれがまた、別れた元カレの前でこんな格好をしてたら元サヤを期待してると勘違いされかねない、やたらセクシィなデザインで丈の短いキャミソールワンピとくる。色は、ともすれば透けちまいそうなオフホワイト。
「まさか誘惑しようとか思ってないよね」
「されてくれるならするけど、絶対されないでしょ、ミナト。急いで準備したから間違えて持ってきちゃったのよ」
「ならいいけど」
「相変わらず淡泊よねぇ」
「お前も相変わらず胸がないな、ヒカル」
「手に余らないところがまぁまぁ好きだって、あの頃は言ってたくせに」
「嫌いじゃないって言っただけだよ、どうでもいいからね」
しかし、そうか──中野は思った。確かに自分は巨乳嗜好じゃない。だから胸のない坂上とのセックスでも物足りなさを感じないんだろうか?
それからヒカルと二人で缶チューハイを傾けつつ、問われるままに職場の近況などを語り、別に興味もないシンガポールでの生活譚を上の空で聞き流し、やがて疲れたからもう寝ると言い出した彼女を洋室のベッドに追い遣ってから、中野は坂上に連絡を入れようかと考えた末にやめた。
きっぱり不要だと言い渡されてるし、坂上は無意味なコンタクトを好まない。
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