#188(4週目土曜日・夜・セイン)
「にしし、とうとう相場が1Mを割ったにゃ。こうなれば一気に落ちるところまで落ちるにゃ」
『それで、どうしましょう? まだ500kで小出しを続けますか? 在庫には余裕がありますけど…』
「もう少し続けてくれ。値下げするのは500kに張り合うヤツが出てきてからだ」
『はい、ではそうします』
夜。普段なら午前中でノルマを売り切って、狩りに出かけているところだが…、今回はあえて商品を小出しすることで限界まで販売数を絞って、夜も露店を続けていた。今は露店エリアを散策しながら音声のみでアイとやり取りをしている。
「しかし、ちょっと時間が勿体ない気がするにゃ。"自動販売"(正確には販売店舗利用サービス)を使ってもいいんじゃないかにゃ?」
「それだと、細かい駆け引きが出来ないだろ?」
「そうだけど、お金には困ってないのだから使ってもいいと思うけどにゃ」
販売店舗利用サービスとは、商人ギルドのサービスで、値段を指定した商品を自動で販売できる。露店スキルも自動決済と言う部分は同じだが、コチラは店にPCが拘束されることがないので狩りに出かけたり、完全にログアウトしたりもできる。(露店はログアウトすると維持できないのでソフトを起動しつづけないといけない)つまり"委託販売"だ。しかし、"サービス"なのでデメリットも存在する。
①、手数料が必要になる。利益率がおちるので、専属商人の基本である他PCから買い取って売るパターンでは使えない。
②、完全放置が前提なので、相場の細かい変化に合わせた調整が出来ない。
③、店を配置する場所に制限がある。(露店ならダンジョンの入り口で消耗品を売るなどのテクニックが使える)
つまり、商人プレイに時間をさきたくは無いけど買い取り商人に頼らず自前でアイテムを販売したい人や、VRマシーンを放置できない、あるいは他のVRソフトをプレイしたい人のための機能となっている。
「まぁ、自動販売を使うなら、付き合いもあるし各地の情報屋に売るかな? あくまで"処分用"だけど」
「兄ちゃんは、そう言うとこ、本当にマメだにゃ~」
「そんなに手間はかかっていないぞ? 最初にコネを作れば、あとは惰性。むしろ丸投げできる分、気軽なくらいだ」
勇者同盟に紹介された情報屋は、ほとんどが商人専門で…、販売するだけでも目立ってしまう高ランクのレアアイテムを処分するのに使っている。元勇者にボス産の素材が渡るリスクはあるものの、高額なアイテムを即金で買い取ってくれる利点は大きい。まぁ、神器クラスのヤバいアイテムだけは流さないようにしておけば充分だろう。
「そうやって簡単に言ってのけるところが、すでに凄いにゃ~」
「出来ないと思うのは、積み重ねたものがないからだろう? そう言う意味では"誰にでもできる事じゃない"かもしれないが、時間をかけて積み上げていけば誰でも形にはなると思うぞ?」
「そう言うのを、マメっていうにゃ~」
「いや、まぁ、そうかもな…」
『猫、兄さんと近すぎます。もっと確り相場チェックしなさい。あと、兄さんからもっと離れなさい。でないと…』
「あ! 900kがあったにゃ! あっちにも!!」
「値段だけでなく、商品が残っているかもチェックしろよ。見た目の相場もそうだが、客がいくらなら"買い"だと思っているのかが重要だ」
「うぃ~」
『兄さん!!』
「え? あ、あぁ…」
なにが「あぁ」なのか自分でも分からないが、怒られてしまった。やはり仲の良い兄妹と言っても、分からない事は沢山ある。
それはさて置き、目に見えないとこでは商人たちの激しい駆け引きが繰り広げられている。昨日までは1Mを割れば即決だった戦士セットが、今は1Mを割っても売れなくなった。理由は相場を無視した価格で売っているバカがいるからだ。もちろん、アイはバカではない。バカと言うのは商人から見た場合であり、今回なら「せっかく稼げる状態なのに何で利益率を下げるんだ!?」という意味になるだろう。
店売り以外のアイテムの相場に、絶対的な基準値は存在しない。だから好きな値段で売りに出せるし、タイムセールや話題作りのためのネタセールをやるPCはそれなりにいる。それも露店の醍醐味なのだが…、所詮それは数に限りがあるので巡り合える可能性は低い。それでも1日張り付いていれば掘り出し物は見つかるかもしれないが…、それならその時間で狩りをした方が効率がいい。その程度のものなのだ。
しかし、断続的でも破格値の商品を供給するものがあらわれたらどうなるのか? 露店には商品と値段、そして露店名や補則を自由に書き込めるフリースペースが設定されている。商品が売れても商品名と値段の表示は残り、商品補充のタイミングを掲示したりもできる。つまり、例え破格値の商品を買い逃しても、フリースペースに在庫があり補充するむねが記載されていれば、次のチャンスを狙って人が集まるのだ。それに付随して、本来なら即決価格の商品を他の露店で見つけても買い控える流れが出来上がる。それでも昨日までの相場しか知らないPCが1Mの戦士セットを見て即買いしてくれるパターンもあるので1Mで売りに出す意味はある。
だが、商人のかけ引きはそれだけに留まらない。これ以上相場が下がると買い取り時の価格を売価が下まわり赤字になってしまうリスクがある。だから少しでも相場が高いうちに在庫をさばいてしまいたいのだが…、破格値で売っているバカの在庫がつきて相場が1Mの大台を回復する可能性もある。売る方が得なのか、我慢するべきなのか…、そのせめぎ合いが、今、商人たちを大いに悩ませている。
「にしし、凄い人にゃ。これじゃ前に進めないにゃ」
「完全に"補充待ち"だな。まぁどう考えてもココより安い店はありえないし、張り込む価値はあるか…」
普段から人口密度の高い露店通りが、前に進めなくなるほどの混雑をみせている。いくら密度が高くても、本来なら(より多くの露店を見てまわるために)完全に流れが止まることはないのだが…、今日に限っては注目を集めている露店は1つに限られるので、誰も次へ向かおうとしない状態になってしまっている。
そう、アイの露店だ。
露店カートのデザインは、小型のリアカーのような質素で機能的なものなのだが…、露店スキルを使うと、足が固定されてカンバンがせり上がる。近くにいくと小さな立体映像で商品が表示され、注目すると価格や(強化値などの)補足事項が追加表示される。カンバンだけなら視界さえ通る場所なら確認できるが、映像が表示される距離に入らないと商品は買えない。その距離は半径5メートルで、アバターによる遮断判定はない。なので…、
「うわぁ~、完全に"おしくらまんじゅう"状態にゃ。 …うっ、なんか、見てるだけで酔ってきたにゃ…」
購入希望者が範囲内に入ろうと押し合いが発生して…、
「あれだけやっても購入できるのは先着だからな。流石に張り合う気にはなれないな…」
「うぃうぃ」
商品が補充された瞬間は、購入希望者全員にアイテムの映像が表示される。しかし、購入しようと代金を払おうとすると「そのアイテムの在庫は0です」と無慈悲な警告に購入を強制キャンセルされる。人気アーティストのライブチケットを買ったことは無いが…、たぶん、同じような状況なのだろう。
『兄さん、それでは商品を補充します』
「わかった。面白そうだから観戦させてもらうよ」
『その、兄さんさえ望むのなら…、なんだってお見せしますので…』
「ん? あぁ、(よくわからないが)その時は頼むよ」
『はい! いつでも言ってくださいね!!』
「あぁ~、だめにゃ、この兄妹…」
次の瞬間、アイの露店のカンバンが真っ白に変わり、周囲のPCが歓声を上げる。
「おい、押すなよ! 絶対に押すなよ!!」
「え? 押せって事??」
「なんでだよ!?」
「おい、横入りだぞ!!」
「横入りもクソもあるか! 早い者勝ちだ!!」
「ちょま、やめろ、押し出すなっての!!」
違反行為すれすれの駆け引きが繰り返す現場を、他人事のように傍観する。
露店スキルは、発動と同時にカートが変形するが、商品の設定やコメントを入力するまでは白紙の看板が表示される。実際に購入できるのは、PCが必要項目を設定し終わり、販売開始の選択を選び、カンバンに露店のタイトルが表示された瞬間となる。
騒いでいるPCの唸り声が徐々におさまっていく。しかし、その腕にかかる力は増すばかり。商品が表示されて、販売が終了するまでの時間は1秒もないだろう。それを逃せば、次の補充を待つために、またしばらくこの場で場所取りをするはめになる。今、最前列に陣取っているヤツラが何順しているかは分からないが…、リアルでやったら乱闘騒ぎになっていてもおかしくないくらいの殺気で場が満たされている。
「「「 …!!!?」」」
「だめだ!!」「くそ! いけると思ったのに!!」「うがーー!!」
ほぼ同時に落胆の声が発せられる。
この中で相場の半額で戦士セットを買えたのは3名。このあとは、これ見よがしに一緒に並べた関係のない商品が徐々に売れていくのを眺めながら…、いつとも知れない次の補充を待つことになる。
「おい! 買ったヤツ! 600kだす! 売ってくれ!!」
「俺は650だ!!」
「いや俺は…!!」
負け犬の遠吠えが虚しくこだまする。それで実際に売ってもらえるかはしらないが…、
「ぐしし、アイツラ、この後もっと安くなると知ったら、どんな顔するかにゃ~」
現在の相場は900kくらいだろうか? しかし、実際には900でも売れない。シビレを切らした商人が850、800と徐々に相場を下げ…、買い取り合戦をあきらめたPCが妥協を選ぼうとした頃…、ダメ押しの値下げが多くのPCに歓喜と混乱をもたらす。
誰も知らないだろう。現在入手可能な最高ランクの装備と言えるアイテムの在庫が…、まだ、100個以上、残っている事を…。
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