太宰ってるわ


「……なんじゃこりゃ」


 そこまで読んで顔を上げ、ちょいとばかり離れた場所に座る恋中こいなかに視線を投げかけた。

 だが恋中は眉をひそめ、いま俺が途中まで読んだ怪文書かいぶんしょに目を落とし、読み進めているらしかった。内容は……後で恋中に聞くとしよう。


 特別棟四階。告白応援委員会の部屋。

 浜ノ浦はまのうら高校でも最果てに位置するこの教室は、窓の外に眼をやれば運動部が爽やかな汗を流す姿を眺めことができるし、ブラスバンド部の練習音も聞こえてくる。これを青春的なシュチュエーションと言わずして、なんと言うのだろうか。


 さらに言えば、ここ告白応援委員会の部屋にいるのは俺と、恋中いろはという学校一の美少女のみ。こんな状況であればラブコメイベントの一つや二つくらい起きても可笑しくはないのだが、残念ながらなにも起きない。


 さすがにちょっとおかしい。ラノベとかだとヒロインの秘密を知った場合、物語が動き出したり、ヒロインとの親密度が上がったりするものだ。しかし目を皿のようにして見渡しても俺の周りにはヒロインらしき人間がいないし、差し当たって目につくのはこの学校の恋愛至上主義れあいしじょうしゅぎと伝統の学校行事をぶっ潰そうとしてる女のみ。そして俺はそんな女の共犯者。ま、これならなにも起きなくても仕方ない。


 と、俺は手に持った用紙にチラリと目をやる。

 言っておくが俺が書いたものではない。先ほど恋中から「太宰だざいってるわ」と言って渡されたものだ。なんでも今日、ここを訪ねて来る人物が「これを事前に読んでおいて欲しい」と告白応援委員会こくはくおうえんいいんかい宛てにメールで送ってきたらしい。それを出雲いずも先生が印刷して恋中に渡し、俺の元にたどり着いたというわけだ。

 てかなんだよ「童貞失格」って。童貞に失格も合格もねえよ。童貞ってだけで人間失格なんだよ。わかれよ。


 開け放たれた窓からは、春らしい爽やかな風が吹き込んでくる。ぼーっと窓の外を眺めていると、恋中はあの怪文書を読み終えたのだろうか、首をクルクルと回し、肩を揉み始めた。

 ……恋中、胸、大きいな。いや、くびれがあるから胸が大きく見えるのだろうか。そういや胸が大きい女の子は肩が凝りやすいって聞くし、俺が恋中の胸を支えてあげるとか、どうかな。

 と、そこで突然、恋中が俺をギロリと睨んできた。


日ノ陰ひのかげ、自分の胸が見られていることくらいわかるのよ」

「はあ? いやいや、それは自意識過剰ってやつだろ。んなことあるけ――」

「くびれがあるから胸が大きく見えるのか。なんて思ってたでしょ?」


 俺の心の声まで読んで来やがった。女は勘が鋭いってレベルを超えてやがる。

 てか、待ってくれ。そうなるといままで俺が女子の胸に向けていた視線は、レーザーポインターを見るがごとく鮮明に女子に察知されていたということか。どうりで中学の頃、巨乳だった佐藤は俺を烈火れっかの如く嫌っていたのか。でも仕方ねえだろ。目が勝手にそっちを向くんだよ。逆らえないんだ。おっぱいには。

 恋中が溜息を付き、「で、これなんだと思う?」と手に持った用紙をプラプラさせた。


「なにって……知らねえよ。でもこれ書いたヤツはたぶん童貞だし、俺よりも気持ちわるい童貞だし、俺より勘違いしやすい童貞だ。いつか理想の女の子が現れるのを信じてやまないタイプの童貞だ。それと90%の確率でまともに女の顔を見て話せないタイプの童貞だ。それから童貞だとされている偉人を尊敬するのがこの手の童貞の特徴だ」

「なんでこんな文章でそんな推測ができるわけ? ちょっと怖いんだけど」

「童帝を舐めるな。こんなの序の口だ」


 なんて言って「ははっ」と笑ってみたが、実際俺はこの文章に酷く共感してしまっている。

 そうだよなぁ、なんで女の子って男の椅子に座るの? 「あ、ごめんね。どくからー」とか言って椅子を譲られた後とかさ、微妙に椅子が温かくてすげえ心臓に悪いんだ。しかも「あ、これがあの子のお尻の温度」とか思っちゃうんだぜ? 自分でも気持ち悪いんだ。たぶん俺、理系に明るかったら椅子に残った温度を計測して『女子高生のお尻の温もりが再現できる便座』とか開発しちゃうぜ?


「でさ、恋中。今日来るってヤツ。いつ来るの? てかどんなやつなんだ?」

「もうそろそろ来るはずだけど。なんでもサムライみたいな恰好しているって出雲先生が言っていたけど……どういうことかしら」


 言って恋中は教室前方に掛けられた時計を見る。だが、俺の眉がピクリと勝手に動いた。……サムライ?

 その言葉に、嫌な予感を感じた。サムライって、あの侍だろ? てかサムライみたいって言われるってことは、もう髪の毛とかがサムライみたいってことだろ? で、だ。そのサムライとやらが、こんな文章書いたってことだろ? それもしかして……。


「なあ恋中。今日ちょっと用事があるから帰っても――――」


 瞬間、ドンドンドンドンドン! とドアがノックされ、間髪入れずに教室前方の扉がバン!  と大きく開け放たれヤツが入って来た。


「お頼み申す!」


 図太い声が部屋中に響き渡る。

 ソイツは髪を頭の後ろで団子に結び、高校生にも関わらず髭を蓄えていた。一応手入れをしているらしいが、その髭の形は無精髭にも似ていて、これほど制服と不釣り合いなものはないだろう。端的に言えば、老けている。そしてどこはかなとなく漂う、キモオタ臭。


「ここが告白応援委員会の部屋でよろしかったか。あいや失礼つかまつった。俺の名前は2年G組、新海しんかい春樹はるき。今日は用事があって、はるばるこのような校内の中でも最果ての最果てのそれまた最果ての教室に……日ノ陰?」


 ヤツは俺を見るなり首を傾げてきた。……やっぱりコイツか。正直、『童貞失格』をちょろっと読んだ辺りで頭の片隅に浮かび、それでも敢えて忘れることにしたけど……やっぱコイツか。うっわ、めんどくせぇ。

 すると、そんな新海のセリフを聞いてのことだろう。恋中は「うえぇ」という顔を向けてきた。


「日ノ陰知り合いなの? このキモチワルイのと」

「知り合いっていうかなんていうか。よくわからん」

「なにそれ気持ちワル。うわぁ。日ノ陰、どうにかしてよ」


 露骨ろこつに嫌な顔をする恋中。2人きり以外の時は『日ノ陰くん』って言って、ある程度猫を被る恋中が素を表している。これはアレだ。恋中は一瞬にして、新海春樹という人間は、猫を被る価値すらない、下の下の下の下の人間って認定したってことだ。可哀そうに新海。

 と、そこで視線を新海に向けてみれば、ヤツは俺と恋中を交互に見てふるふると震えていた。


「日ノ陰が、女子と喋っている……だと。なんということだ、貴様童貞ではなかったのか?!」

「なんで童貞=女と話せないって構図になるんだよ。俺みたく普通に喋れる童貞もいんの」

「くうぅっ!。童貞の風上にも置けぬ。童貞とは俺のように、いつか理想の女子に出会えると信じ、女子の顔を見て話すこともできず、童貞とされる偉人を尊敬する人間のことを言うのだ」


 そう新海が言うと、恋中が「すごい日ノ陰」と羨望せんぼう眼差まなざしを向けてきた。ピタリと『童貞失格』を書いた人間の人物像を言い当てたからであろう。いや、んなことはどうでもいい。問題はコイツがここに来ているってことは。


「で、新海。何しに来たんだよ? 言っとくがここは恋愛アンチの……じゃねぇや、恋愛に関しての問題を手伝う組織だ。恋も愛も知らないようなヤツがここにくるんじゃねえよ」

「ぬうううううっ! 恋愛絡みの問題だからここに来たのだ! 貴様はなぜ俺にそこまで冷たいのだ? あれか? 先日の武道の授業中、剣道の胴打ち練習の時間、手元が狂ったように見せかけて貴様の脇に竹刀を叩き込んだのが悪かったのか?!」

「ああっ?! てめえアレやっぱワザとだったのか!! ぶっ殺すぞ!

 」

 俺は思わず新海に向かって突っ込みそうになったが、恋中に「やめなさいよ、あなたも恋も愛も知らないでしょ」と言われてしまい、一気に冷静になった。そして恋中は続けざまに「ま、私もだけど」と言って「ははは」と笑っていた。

 ……なんだろう。女の子自虐ネタってマジで可哀そうに思えてくる。これは俺が恋中の彼氏になってあげたほうがいいんじゃないか?

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