5 私はイルマじゃないから

「まさか、本当に成功させてしまうとは。イルマ嬢の元々の素質もあったんだろうけど、これは……」

「あの、岳都先輩……?」


 真剣な顔で、考え込む岳都先輩。ぶつぶつと何か言っているが、私にはよく意味が分からなかった。


「あ、いや何でもないよ」

「そうですか……。あの、それでどうするんですか?」

「とりあえず、ゴーロ君の様子を見てから、ここを出ることにしよう。シュタインマイヤー公爵、もう少しいてもいいかな?」


 私の質問に答えてから、岳都先輩はイルマさんのお父さんの方を見て、許可を求めた。

 イルマさんのお父さんは、今起こった出来事を認識するのに数秒かかったが、


「……勿論です。新しいお茶をお持ちしろ」

「承知しました」


 と頷き、執事さんにお茶の用意をさせる。

 岳都先輩が、お構いなく、と言う前に、執事さんは部屋を出て行ってしまった。仕事が早い。有能なんだな。


「ゴーロ、ゴーロ」


 イルマさんのお母さんが、ゴーロを抱いて必死に呼びかけている。ゴーロは、まだ意識を失ったままのようだ。

 大丈夫、なんだろうか?

 淀みは、ゴーロの体からは消えた、これは確信している。しかし、彼自身が無事かどうかの確信はもてていない。


 岳都先輩は不安そうにしているイルマさんのお母さんの元に駆け寄ったて、言葉を投げかける。


「落ち着いて、公爵夫人。すぐに意識は戻るはずだよ」

「そうなのですか?」

「はい。淀みに意識を奪われている時間は幸いにも少なかったようなので、命に別状は無いはずだ」


 すると、岳都先輩の正しさを証明するかのように、ゴーロ君が目を開いた。


「あれ、僕は……?」

「ゴーロ、気がついたのね」

「母上……?それにガクト様……?」


 ゴーロ君は記憶が曖昧なのか、かなり動揺している。自分が淀みに乗っ取られていたことも覚えていないようだ。


「ゴーロ君、君は淀みに体を奪われていたんだよ」

「えっ」


 岳都先輩がそう説明すると、ゴーロ君は驚き、そしてすぐに青ざめた表情をした。

 そんな、ゴーロ君の不安を取り除くように、岳都先輩は、


「大丈夫。淀みに体を奪われていた時間はほんのわずかだ。何の心配もいらない」

「そうですか…!ありがとうございます、ガクト様」


 ほっとした顔で、岳都先輩にお礼を言うゴーロ君。


「お礼なら、陣上さんに言うんだ。君の中の淀みを浄化してくれたのは彼女だ」

「……本当、ですか?」


 岳都先輩の言葉に、ゴーロ君は複雑な表情をした。

 姉だった中身が別人な人に、助けられるのはなんとも言えない気持ちだろう。イルマさんは優秀なようだったから余計に。


「お礼なんて、言わなくていいです。私は、私の償いをしただけですから」

「……しかし、お礼は言わなければなりません。ありがとうございました」


 ゴーロ君は大人の対応をする。まだ、15にもならない、私より幼い子が、感情を殺してお礼を言ってくる。

 これほど、虚しいものがあるだろうか?


「ゴーロ君。心にもない事、言わないでください」

「……っ!」

「本音をぶつけてください。それを受け止めるのは、私のやらないといけない事です」


 じっと、私はゴーロ君を見る。

 理不尽な悲しみでも、理不尽な怒りでも、口に出さないと辛いことは、よく分かっている。

 感情が理不尽なのは当たり前だ。

 その、感情を私は、イルマさんを奪ってしまった私は受け止めないといけない。


 最初は戸惑ったゴーロだったが、我慢していた感情が少しずつ表に出てきて、少しも経たないうちに、彼は泣き出した。声を出して。意味もなく、言葉を呟いて。


「なんで、なんで、なんでだよ……」


 私は、しゃがみこんだゴーロ君を抱きしめる。

 ゴーロ君は始めのうちは軽く私を叩いたが、段々と叩くスピードが遅くなり、やがて私の服を握りしめた。


「イルマ、姉上…」


 きゅ、と心が痛む。

 ごめんなさい、と心の中で謝る。


 そんなゴーロ君につられて、もう一人のイルマさんの弟が泣き出し、イルマさんのお母さんも目に涙を浮かべる。

 イルマさんのお父さんは泣きはしないものの、辛そうな顔をして、床を見つめていた。


 これでいい。この方がいい。

 無理して感情を隠すより、外に出した方がすっきりするものだ。


 そんなイルマさんの家族の様子を見て、彼女は愛されていたんだな、と心の底から感じた。少し、羨ましくも感じた。

 そして、償いようのない罪悪感も襲ってくる。


 イルマさんが、戻ってくればいいのに。

 イルマさんの記憶があればいいのに。


 私はこの時、心の底から強く願った。

 思いつきで願ったのではない。本気で本気で、願った。


 だから、なのだろうか。


 私の中に、記憶が流れ込んできた。

 イルマ=デューク=シュタインマイヤーの記憶が流れ込んできた。


 だが、それはイルマさんが戻ってきたわけじゃなかった。

 映画を見ているみたいに、記憶が流れ込んでくるだけ。

 そこには亜忍わたしの感情はない。

 言ってしまえば、ただの映像。ドラマやアニメと大差はない。


 私は、イルマさんじゃない。

 それは当たり前のことなのに、その事実に私は傷つく。



 そして、これが私の、陣上亜忍わたしだけの力。私というレガトゥースの、力。


 なんて、使えない魔法なのだ。

 こんな意味のない魔法なんて……。


 記憶と一緒に入ってくる数々の情報。


 私の、特有魔法アルス・マグナは、『記憶』。

 記憶に関する力、体の真の持ち主の記憶を見せること。記憶を見ること。それだけの魔法だった。



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