60 急に倒れた女の子

『私は、忘れたい。名前も、両親のことも、あの惨劇のことも。全部全部、忘れちゃいたいの。だって私は……、シェミーだもの。アデルフェーの看板娘、シェミーだもの』


 そう言って笑ったシェミーを、私は今でも忘れてない。

 だから、私は–––––。


 * * *


 私がシェミーと出会ったのは、アイオーンに来てすぐのことだった。

 そう言えば、私とシェミーの出会いはかなり衝撃的なものだったなぁ。


 * * *


 そろそろうまい飯が食べたい。料理ができないことが、こんなに辛いとは……。


 引っ越しというか、家出というか、逃亡というか、まあここに来てから早くも1週間。


 家事なんてできない私だが、自分なりにこの1週間頑張ったのだ。

 料理してみたり(全部焦がしたけど)、掃除をしてみたり(逆に散らかったのでやめた)、洗濯をしてみたり(もう言わずとも分かるだろう。そう言うことだ)、まあ散々だったのだ。


 だから、私は掃除と洗濯は諦め、食事は朝昼晩は外食にすることに決めた。もっと早くこうしていればよかった。


 そういうわけで、私は朝食兼昼食を求めて、街を歩いていた。

 そしてある店の前に置いてある小さな看板に目が止まり、つい凝視してしまう。

 『アデルフェー』、という名前の食堂のようだ。お洒落だな。


 いや、そんなことはどうでもいい。

 メニューに、懐かしい名前が並んでいるのだ。カレー、肉じゃが、酢豚などなど。

 こちらの世界に来てから、食べてない懐かしい名前たちが並んでいた。


 いや、もうここしかないじゃん。

 私はこうしてアデルフェーの扉を開いた。



 店内は、お洒落な名前とはかけ離れている雰囲気だった。木のテーブルと椅子が、適当においてあり、客層も冒険者の人達が多く、騒がしかった。

 その騒々しさもまた良かったんだけど。


「いらっしゃいませ!」


 忙しそうにしていた、赤髪に深い翡翠色の瞳を持つ、笑顔が可愛らしい少女がこちらに来た。

 だが、彼女が私の目の前に立つと異変が起きた。


「あ、ああああ……」


 なんて呻き声をあげながら、するりと倒れてしまったのだ。


「ちょ、大丈夫?!」


 とっさに私は彼女を支えながら尋ねるが、彼女は気絶してしまったらしく、答えは返ってこなかった。


 食事を楽しんでいた客も、一瞬驚きで固まっていたが、流石冒険者というべきか、すぐに適切な対応を取り始めた。ある人は店主を呼び、ある人はこちらにかけてきて症状を見てくれる。


「あの、大丈夫ですかね……?」


 私、ヒーラーです、と格好から物語っている女性に私は聞いた。


「気絶してるだけみたい。そのうち目を覚ますと思うわ」

「そうですか……。でもどうしていきなり?」

「それは私にも分からないわ。疲れていたのかしら?」


 それは、無いと思う。

 だって、私を見て呻き声をあげたんだから。十中八九、私に原因があると思えてならない。


「シェミーは大丈夫か?!」


 そんなことを考えていると、奥から店主らしきおじさんが顔色を変えて走ってきた。


「はい、気絶してるだけですよ」


 私の問いに答えてくれたヒーラーさんがその問いに落ち着いて答える。


「そうか……。良かった」


 店主のほっとした表情に皆が安心する。


「私、この子運ぶの手伝うよ。どこに運べばいい?」


 私がそう申し出る。

 詳しい事情を聞きたいという下心があるからだ。


「いいのか、嬢ちゃん?」

「うん、何の問題もない!」


 なんせ、レベル300ですので! 女の子1人持つのくらい指一本でもいけますよ!

 ……いや、指一本で持たないけどね?


 そういって、私はシェミーと呼ばれた女の子をお姫様抱っこする。なんだかんだ、これが一番持ちやすいのだ。


 ていうか、女の子が女の子をお姫様抱っこするって、絵面的にどうなの……。私もされる側になりたかったなぁ。


「じゃあ、こっちにお願いしてもいいか?」

「お任せあれっ!」


 あっははは、なんて流石に笑うまではしなかったが、可愛い女の子を抱っこしていて私も少なからずテンションが上がっているようだ。

 やっぱり、可愛い女の子は罪だよなぁ、と思いつつ、私は店主について行った。



 * * *



「ここに寝かせてもらえるか?」


 私が連れてこられたのは、アデルフェーの二階、この子の部屋であった。


 見知らぬ人を本人の許可なく入れていいのか……なんて思ったが、それは気にしないでいよう。

 ここは、異世界。どこもかしこも、セキュリティはゆるゆるなんだから。


「わかった」


 私はそっと、ベットに少女を寝かせる。本当に、可愛い顔をしているなぁ。

 ほっぺたつんつんしたい。


「ありがとう。助かったよ」

「お気になさらず。ねえ、一つ聞いてもいい?」

「なんだ?」

「この子って、ゼーレ族……だよね?」


 私の質問に、店主は気まずそうな表情を浮かべる。


「……よく知ってるな。ここに来てから一度もそんなこと聞かれなかったんだが」

「たまたま知ってただけだけど。もう一つ聞いていい? この子の家族は?」

「……こいつの家族は、俺だ」

「でも、おじさんゼーレ族じゃないよね?」


 店主の瞳は翡翠色とはかけ離れた、リンゴのように赤い色だ。


「ああ。こいつと俺は血がつながってないから、当然だな」

「養子ってこと?」

「そうだな。俺が旅の途中で拾ったんだ」

「へえ……」


 ゼーレ族の里が滅びてから、もう何十年もたつ。つまり、シェミーという子は、ということになる。


「あ、ごめんねおじさん。忙しいのに引き留めちゃって」

「こっちこそ、色々やってくれてありがとな」

「ねえ、この子起きるまで、私ここにいていい?」


 この子には、聞きたいことが山ほどある。


「ああ、構わんが……。飯を食いに来たんじゃないのか?」

「まあ、そうだけど……」


 うむ。困ったことになった。腹は減った。でもこの子のそばにはいたい。

 そんな私の苦悩を感じ取ったのか、


「じゃあ、ここに飯を持ってきてやるよ」


 店主がそんな神のような言葉をくれる。


「いいの?!」

「ああ。飯代も構わねぇよ。何がいい?」

「本当にありがとう! 店主のおすすめでお願いしますっ!」

「了解。じゃあ、待っててくれ」


 そう言って、にかっと笑いながら、店主は店に戻っていった。

 できる親父さんである。

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